2016年2月20日土曜日

映画でウェールズを観て

わが谷は緑なりき

1941年にアメリカで制作された映画で、19世紀末のウェールズの炭鉱労働者の生活を描いています。その意味では、このブログの「映画でゾラを観て ジェルミナール」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/01/blog-post_30.html)と背景が似ていますが、趣はかなり異なっており、労働者の悲惨な生活よりは、正直に生きる人々の生活を描いています。













映画の舞台となったウェールズは、ブリテン島の南西部にあり、三方を海に囲まれ、地域の大半が山岳地帯で土地は痩せていたため、古来主要な生業は牧羊と漁業でした。民族的には、ケルト系のブリトン人で、今日でもウェールズでは、ケルト系のウェールズ語と英語が公用語となっています。歴史的には、アングロ・サクソン人の進出には頑強に抵抗しましたが、統一的な政権がほとんど成立せず、13世紀にはイングランドに臣従し、16世紀にはイングランドに併合されました。スコットランドやアイルランドはイングランドとの同君連合という形をとっていますが、ウェールズはイングランドの一部ということになっています。
 18世紀半ばから産業革命が始まると、石炭をはじめとする鉱物資源が豊富なウェールズでは、重工業や鉱工業が発展します。とくに19世紀後半から20世紀前半にかけて、ウェールズは世界最大の石炭輸出地として発展します。これが「わが谷は緑なりき」の背景です。しかしエネルギーが石油に切り替えられると、鉱工業は衰退し、今日では軽工業やサービス業に転換されています。特に、この地方の景観が美しいことから、観光業が発展しています。
映画では、谷あいのある村のモーガン一家を中心に語られ、この家の末っ子で10歳のヒューが語り部となっています。モーガン家では、父親を中心とした家父長的な規律が守られており、5人の兄たちは皆炭鉱で働いており、仕事から帰ってくると、母親が入り口で皆の賃金を受け取り、家のことを一切取り仕切っていました。肝っ玉母さんです。そして姉が母を手伝っていました。けっして豊かではありませんでしたが、堅実で幸せな生活を送っていました。また、村にはまだ共同体の連帯意識が残っており、山にはまだ緑が残っていました。 
しかし、会社が賃金の引き下げを提示すると、ストライキが始まり、ストライキの賛成派と反対派が対立して、村人たちの間に亀裂が入ります。そうした中で、3人の兄が海外に移住し、1人の兄は炭鉱の事故で死にます。姉は一度嫁ぎますが離婚し、ヒューは秀才で学校に通いますが、結局炭鉱で働くことになりました。教会に新しく赴任してきた神父は、新しい考えの持ち主で、古い伝統を維持している村人と対立します。そして最後に、落盤事故で父が死んでしまいます。ヒューは、その後も炭鉱で働き続けますが、老年を迎えた頃、村を去って行きます。
映画には、とくにストーリーらいしものはなく、ヒューが昔を回顧するという形で、モーガン家が幸せだった時代、そしてそれが壊れていく様を描いており、ゾラの「ジェルミナール」と比べると物足りない感じがしますが、この映画は、炭鉱労働の厳しさではなく、ウェールズの美しい谷の村における、実直な人々の生き方を描いているのだと思います。


ウェールズの山


1995年にイギリスで制作された映画で、原題は「丘に登って山から下りてきたイングランド人」という、とんでもなく長いタイトルです。この映画は、ウェールズ南部の国境近くにあるフュノン・ガルウとい山が、「山」なのか「丘」なのかという「深刻」かつ「どうでもいい」問題を扱っています。そもそも、我々日本人には、ウェールズとイングランドとの「国境」という言い方自体に違和感を覚えますが、ウェールズ人は「国境」と呼んでいます。なお今日でも、サッカーではイギリス代表という言い方はせず、イングランド代表、スコットランド代表、ウェールズ代表に分かれています。
 ウェールズがイングランドの一部となってから、すでに何百年もたちますが、それでもウェールズ人は、ウェールズ人としての意識を非常に強くもっており、イングランドから入植した人もウェールズ化してしまうそうです。また、ウェールズの子供が英語を習うのは、小学校に入ってからだそうですので、日常生活ではウェールズ語が広く使われているようです。このウェールズ人としての強いアイデンティティが、映画「ウェールズの山」の背景にあります。
 第一次世界大戦中の1917年に、イングランドからガラードとアンソンとい二人の測量技師が、地図製作のため山の高さをはかるために、フュノン・ガルウという山のふもとの村にやってきました。この山は、ウェールズに入って最初の山であり、この山が侵略者たちからウェールズを守ってきたというのが、この村の人々の誇りでした。ところが、ここで問題が発生しました。標高305メートル以上が「山」として地図に記載され、それ以下は「丘」であって、地図に記載されないのだそうです。そのため、村中で「山」か「丘」かで大論争が始まりました。
 測量の結果、299メートルであることが分かり、フュノン・ガルウは「山」ではなく、「丘」ということになり、地図にも載せられないことが判明しました。そのため村中が大騒ぎになり、それなら下から土を運んで6メートルだけ高くしょうということになりました。しかし、測量技師たちは翌朝帰ることになっていましたので、色々策を練ります。まず車を故障させ、パンクさせ、列車の駅では駅員が切符を売るのを拒否してしまいます。さらに村一番の美女に接待までさせます。二人は、もう一日留まるしかなく、その間に村中の人々が、バケツや荷車を総動員して土を運びました。これで4メートルまで積み上げ、その後3日間雨が降り、日曜日は列車が動かないため、再び日曜日に土盛りを行いました。
 一体、何故村人たちは、これ程までに「山」に拘ったのでしようか。もちろん長い間イングランドに支配されてきたという恨み、この山に対する誇りなどがありますが、同時に第一次世界大戦で若い男たちが戦争に徴収され、さらに他の男たちは炭鉱で働き、その石炭はイングランドの発展のために使われます。村人たちは、イングランドはわれわれから山まで奪うのか、という思いがあったのです。こうした中で、測量士のアンソンも村人に共感し、土盛りを手伝い、出発間際に測量をしなおします。そして、305メートルを少しだけ上回り、フュノン・ガルウは「山」として登録されることになりました。
 映画は、ウェールズの人々の気持ちを、コミカルに、巧みに描き出しており、大変心温まる物語でした。グローバリゼーションが叫ばれる時代にあって、むしろこうしたミクロの世界の重要性を考えさせる物語でした。

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