2015年4月11日土曜日

映画でアフリカを観て(3)

カーツーム

1966年にアメリカで制作された映画で、19世紀末期のスーダンで起きたマフディーの乱を背景としています。ハルトゥームとは、白ナイルと青ナイルが合流する交通の要衝で、当時数万人の人が住んでいましたが、これがマフディー教徒に包囲されて、1885年に陥落するという話です。

















 エジプトは19世紀前半にスーダンに進出しますが、その後エジプトが1882年に事実上イギリスの保護国となったため、スーダンもイギリスの勢力下に入ります。まさにヨーロッパ列強によるアフリカ分割が本格化し始めた時代でした。当時スーダンの民衆はエジプト支配の下で苦しんでおり、民衆の間にマフディー(救世主)到来を待望する声が高まっていました。そこにムハンマド・アフマドという人物が登場します。ムハンマド・アフマドはムハンマドの家系に生まれたとされ、クルアーン学校で教育を受け、高い教養をもっていました。彼はすでに、1870年代に信仰の革新と国土の解放を説き、圧政者へのジハードを説いて人々の共感を得ます。
 1881年に彼は、自分がマフディーであることを宣言します。これに対してエジプト軍は4回も攻撃を加えますが、ほとんど棍棒と石しか持たないマフディー軍に敗北を重ね、さらに1883年にはイギリス将校が指揮する近代装備を備えたエジプト軍がマフディー軍に敗北し、1万人近い軍隊が全滅しました。ほとんど給料が支払われていなかったエジプトの兵士たちの中には、むしろマフディーに共感するものが多かったとされます。そしてマフディー軍は、この戦いで大量の最新兵器を手に入れることになります。その結果、スーダン総督府のあるハルトゥームがマフディー軍に包囲されることになります。
 こうした中で、イギリスはハルトゥームから撤退することを決意しますが、その際ハルトゥームの住民とエジプト軍を救出する必要があります。しかしハルトゥームはマフディー軍に包囲されていたため、それは不可能に思われました。そこで白羽の矢が立てられたのがコードン将軍です。彼は1863年から1864年まで、中国で中国の義勇兵を率いて太平天国軍と戦い、反乱の鎮圧に大きな役割を果たした人物です。その後世界各地で任務に就いた後、1873年から79年までスーダンの総督になり、各地の反乱を抑えます。彼はイギリス国民の英雄であり、またスーダンを熟知していたため適任ではありましたが、問題は彼に援軍を与えられなかったことです。要するに、一人で行ってエジプト軍の兵士を救出してこいということでした。
 映画では、ゴードンは二度マフディーに合います。最初は、ハルトゥームに着いた直後に単身でマフディーの本陣に会いに行きます。ゴードンはマフディーにエジプト軍を撤退させてくれるよう要請しますが、マフディーはイスラーム教の理想国を建設するための象徴としてハルトゥームを陥落させる必要があるとして、ゴードンの要請を断ります。そして二度目の会見は、ハルトゥームの包囲を完了したマフディーがゴードンを本陣に呼び、あなたとは戦いたくないのでハルトゥームを去ってくれと要請しますが、ゴードンは断ります。
 このような会見が本当に行われたのかどうかは知りません。たぶん創作だと思われます。ただ、そこで描かれたマフディーは、知的で、戦略に長け、確固たる信念をもった人物として描かれていました。そして結局ハルトゥームは1885年に陥落し、ゴードンは戦死し、その半年後にマフディーも病死します。マフディーの後継者は残忍でしたが有能で、その後も勢力を拡大しますが、アフリカ分割が激化する中で、イギリスはスーダン攻略を決意し、1898年にマフディー軍を破ってスーダンを制圧します。
 この映画は、1960年代に制作された植民地主義の映画の典型ですが、それでもマフディーを単なる狂信者としては扱っていません。西欧人はこうした人々を一方的に狂信者・残虐なテロリストとして喧伝しますが、見方を変えれば、西欧人は自由主義を掲げてそれを押し付ける自由主義の狂信者と言えなくもないと思います。また、こうした映画のパターンは、現地の切迫した状況と政治ゲームに明け暮れる本国政府の決断の遅さを浮き彫りにさせることです。そしてこの映画では、本国政府の思惑で、結局ハルトゥームは見捨てられることになります。しかし、当時のイギリスは世界中に紛争を抱えており、また軍隊を派遣するにはそれなりの道理というものが必要であり、さらにその紛争と長期的な政策ビジョンとの関係も考慮する必要があるでしょう。そしてゴードンの壮絶な最期は、イギリス植民地主義に新たな英雄をつけ加え、イギリスの侵略に新たな大義名分論を与えることになりました。それこそがイギリス政府の狙いだったのかもしれません。

 マフディーの乱に見られるようなイスラーム主義の運動は、長いイスラーム世界の歴史の中でしばしば見られます。こうした運動は、社会矛盾が極限に達した時にしばしば現れ、最近問題となっているイスラーム国やボコ・ハラムの運動もこうした流れを汲んでいるのではないでしょうか。政権の腐敗、貧富の差の拡大、ヨーロッパ的価値観の押し付け、いまだに続く「自由主義」の名の下で行われる欧米による収奪などが、こうした運動の原因になっていると思われます。彼らは国境を越えて活動する傾向がありますが、もともと現在の国境はヨーロッパ人により勢力圏画定のために勝手にひかれたものですので、彼らにはそのような国境は無意味です。もちろん彼らの行動を肯定するものではありませんが、ただ彼らを狂信的なテロリスト集団と決めつけるだけでは、問題は解決しないのではないでしょうか。

風とライオン

1975年にアメリカで制作された映画で、20世紀初頭のモロッコを舞台としています。内容的には、1960年代に流行った植民地主義の英雄物語とは、一味違います。また、主人公のベルベル人を、「007」のショーン・コネリーが演じており、見事な転身を遂げていました。
















この時代のモロッコには、一応王国があり、国王(サルタン)がいましたが実権がなく、太守が実権を持ち、地方ではベルベル人の首長が各地に割拠していました。そして事件が起きた1904年には、日本は日露戦争中であり、アメリカはカリブ海への進出を本格化させ、パナマ運河の建設に着手していました。そして、アフリカ分割は最終段階に入りつつあり、モロッコが焦点となりつつありました。モロッコはアフリカの北西端に位置し、タンジールはジブラルタル海峡に面する戦略上の要衝だったからです。この年に英仏協商が成立して、イギリスはエジプトでの優越権を認めてもらう代わりに、モロッコでのフランスの優先権を認めました。そこへ、植民地進出に出遅れたドイツが介入してきます。太守はフランスと結んで力を維持しようとしたのに対し、サルタンはドイツと結んで太守を牽制しようとします。まさに当時のモロッコは、複雑な情勢にありました。
こうした中で、ベルベル人の族長の一人ライズリがアメリカ人のペデカリス夫人とその二人の子供が誘拐するという事件が起きました。ライズリによる誘拐事件は、実際に起きた事件のようです。彼が誘拐事件を起こしたのは、ヨーロッパの言いなりになるサルタンを苦境に陥れ、国土を回復するように警告を発することだったということです。案の定、太守もサルタンも何もできず、結局、ライズリの思惑通り、アメリカがモロッコに軍艦を派遣し、サルタンはさらに苦境に陥ります。
ここで、アメリカ大統領Th.ローズヴェルトが登場します。彼は型破りの大統領でした。幼少の頃は喘息もちで、病弱で学校に通うこともできませんでしたが、やがて強靭な意志とバイタリティをもった人物に成長していきます。彼は、スペインとの戦争の時に義勇兵を連れて活躍し、有名になって副大統領に選ばれます。ところが、1901年に大統領が暗殺されて、彼は大統領に昇格します。42歳、史上最年少の大統領です。彼は、国内的にはさまざまな矛盾の克服に努め、対外的にアメリカを大国にすることを目指していました。それを果たしたのが、ちょうどこの頃始まったパナマ運河建設の再開と、日露戦争の調停でした。特に1905年にポーツマス条約で日露の講和を締結させ、アメリカの国際的な威信を高めるのと同時に、彼はノーベル平和賞を授与されました。こうした情勢の中で、モロッコでの誘拐事件は起きました。
映画では、ライズリとTh.ローズヴェルトの動向が交互に映し出されます。まずTh.ローズヴェルトは戦艦の覇権を決定します。その背景には選挙が近づいてということがありますが、アメリカの国威を示す必要があったからです。そして合ったこともない二人の間に奇妙な友情のようなものが生まれてきます。一方には砂漠に生きる荒々しいライズリと、他方には未だフロンティア精神を失わないTh.ローズヴェルトが、利権問題ではなく、人質問題という人間的な問題を介して向かい合ったわけです。
一方、誘拐された婦人はアメリカ女性らしく気丈に振舞いますが、彼女も彼女の子供たちも、ライズリに親近感を抱き、かれらの間にも奇妙な友情が生まれます。やがて国王はライズリに身代金を払うことを伝え、ライズリが受け取りにいった所で、国王は彼を逮捕します。明らかに国王による裏切り行為であり、怒った夫人はアメリカの海兵隊の援助を受けてライズリを助け出します。結局ライズリは、この誘拐によって得るものは何もありませんでしたが、「人生には一度は、こういうことがあるものさ」と、笑い飛ばして去って行きます。
結局、この映画が言おうとしていることが何なのか、よく分かりませんでした。特に、ライズリとTh.ローズヴェルトの場面を交互に映し出しているのは、滅びゆくフロンティア精神と、なお健在なモロッコの部族世界の魂を、対称的に描いているのかもしれません。最後に、ライズリはTh.ローズヴェルトに手紙を書きます。「貴殿は 風のごとし、余はライオンのごとし。貴殿は嵐を呼び 余を惑わし 大地を焼けり 余の抵抗の叫びも貴殿には届かず、されど共に相違あり 余はライオンのごとく住みかにとどまり  貴殿は風のごとく とどまることなし」と。そしてTh.ローズヴェルトは自分の娘に、「敵の なかにも友人以上に立派な人物が存在し得るのだ。人は皆、大成への道を歩む時、大きな人々の歩んだ道が暗くて孤独だと知る。導いてくれる先輩は敵かも知れない、だが貴い敵だ」と。

 この映画は不思議な映画ではありますが、あまり深く考えずに楽しむことのできる痛快な映画です。

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