2014年5月29日木曜日

予備校発「新学力」考

 1995年に、雑誌「教育評論」から「再び学力とは」<特集>のための原稿執筆を依頼されて、書いたものです。「新学力」とは、1889年の学習指導要領で提唱されたもので、知識偏重ではなく、問題解決学習を重視たものです。それは、当時すでに始まっていた「ゆとり教育」と連動するものでした。こうしたことを背景に、教育評論が「新学力」について各分野の人から意見を求め、私に原稿依頼があったわけです。その原稿を、ここでそのまま掲載します。すでに20年近く前のものなので、「教育評論」にもお許しいただけると思います。なお、ここで書かれた内容は、このブログの「グローバル・ヒストリー 第2章 歴史とは何か」に反映されています。


「新学力観」について
文部省(現文科省)の「新学力観」についての記事を読むと、当たり前すぎて陳腐な観さえする。まじめに生徒の教育に取り組む多くの先生たちは、いかにしたら生徒たちに生きた教育を与えることができるかに日夜とりくんでおり、事実上それを妨害しているのが、知識偏重の教育行政ではなかったのか。ともあれ、この「新学力観」なるものにより、ようやく大手をふって生きた教育をおこなうことができるのかといえば、決してそうではあるまい。なぜなら、入学試験が知識偏重である限り、知識偏重の教育を根本的に改めることは困難だからである。そして、このことを最も敏感に感じているのは他ならぬ予備校であり、予備校は当面、受験産業として生き延びることができるからである。
予備校の「学力観」
 予備校にとっての学力とは、生徒が希望する学校に入学できる学力であり、建て前上は「真の学力」などというものは問題にならない。そして世間でも、予備校とは、そのようなところと考えられている。しかし実態は少し異なっており、予備校は意外にまじめに教育にとりくんでいるのである。その理由は、私の考えでは二つある。一つは講師の態度である。予備校講師には既成の教育に反発しアウトロー化した、あるいは幾分屈折した講師が多く、独自の教育観に基づいた個性的な講義を実践している人が多い。そして予備校は、基本的には生徒の出席率と満足度が高ければ講師の講義方法や内容に口をさしはさまない。また、現実的な問題として、出席率と満足度を高めることは、予備校講師が存立するための不可欠の前提であるが、単なる知識偏重の受験教育では生徒を満足させることはできない。そのため講師は生徒の反応を敏感に感じとって、さまざまな工夫を強いられるのである。そして出席率を高めるということは、とりもなおさず他の講師の出席率を低めることであり、この意味において予備校では常にかなり熾烈な競争の原理が働いている。もちろん、このような競争の原理は、時には眉をひそめさせるような対立を引き起こすこともあるが、全体としては講義の質を高める役割を果たしていることは事実である。
 予備校がまじめに教育にとりくむもう一つの理由として、予備校の深刻な経営上の問題がある。数年前から受験者人口は急速に減少しており、この傾向が今後ますます強まることは明白で、どの予備校も生き残りをかけてさまざまな模索を行っている。そこでは、当然予備校間での生徒の奪い合いも展開されるであろうが、もはやそのような小手先の競争だけでは生き残れないほど事態は切迫しているのである。つまり、もはや受験教育だけでは、生徒を引きつけられないのである。一方では、低学力層のケアや体験学習・講演会など、多様な生徒の多様な要求に応えるだけでなく、映像、コンピューター・グラフィック、衛星放送など最新の機器を用いた新しい教育システムの開発など、さまざまな模索が行われている。今、予備校が生き残りのために目指しているものは、たんに受験のための「狭間の産業」というだけでなく、公教育を補完しうるような新しい教育産業である。したがって、文部省が「新学力観」なるものを提唱するまでもなく、営利を追求する予備校は、その鋭利な臭覚によって生徒の新しいニーズを嗅ぎとり、大規模な転身をとげるための努力をすでに開始しているのである。
一予備校講師の「学力観」
 このような予備校のなかに身をおいて生きる、一予備校講師たる私の「学力観」とはどのようなものか。私のおかれた立場は、まず何よりも大学に合格できるだけの知識を生徒に与えねばならないということだ。生徒は受験に失敗して辛い思いをし、さらに家族や周囲の幾分冷たい目に耐えながら、高額の授業料を払って予備校に通い、しかも確実に合格するという保証もなく不安に怯えている。だから私の第一の義務は、彼らを合格させることである。だから、ある程度の知識偏重の教育は避けられないのだが、しかし私の講義は決して知識偏重の受験教育に偏重しているわけではない。その理由は、予備校を取り巻く新しい状況の変化ということもあろうが、何よりも私の良心にある。つまり、真の人間の価値は「レベルの高い大学」と受験界で評価されている大学に行くことではなく、すぐれた知性をもつことにある、というごく当たり前の良心である。また、もっと現実的に考えても、たんに暗記だけによる知識では入試問題を解くことは困難であるという、これまた当たり前の事実がある。この事実を生徒は本能的に知っており、したがって彼らは詰め込み教育だけを行う講師には高い評価を与えないし、それを敏感に感じとっている講師は、常に「意味」を理解する能力を養うためにさまざまな工夫を強いられている。私も、そのような講師の一人であることはいうまでもない。
 ところで私は「世界史」の講師である。私には中学一年の子どもがいるが、これがまったく社会ができないのである。そこで、今、子どもが学習している「歴史」の教科書を見てみたのだが、そこには「権力」「実権」「支配」「革命」といった言葉が当たり前のように書かれている。このような言葉が中学一年生に理解できるのだろうか、私自身が、かつてどうだったのかは記憶にないが、自分の子どもを見ていて理解できるとはとても思えない。もちろん学校では先生がこれらを理解させるためにさまざまな努力を行っているだろうが、結局は、これらを十分理解しないまま、受験のためにとりあえず知識だけを詰め込み、さらに高校の教科書に登場する膨大な知識を、これまたほとんど理解しないまま詰め込んで予備校にやってくるのではないだろうか。事実一部の生徒は、予備校での講義を通して膨大な知識の意味と繋がりを見出し、急速に力をつけることがある。つまり、高校での教育は現場でのさまざまな努力にもかかわらず、結果的には詰め込み教育に終わり、逆に予備校で、より知的な教育が行われているのではないだろうか。これは奇妙な逆説だが、私にはそのように思えてならないのである。このことは、文部省の「新学力観」に示された理念にも関わらず、現在の受験体制が存在するかぎり、変わらないのではないだろうか。そして「受験」で生活している一予備校講師が、受験体制を批判するのもまた奇妙な逆説であるが、すでに予備校も講師も、現実的要請から受験教育からの脱皮を図って悪戦苦闘しているのである。
「世界史A」について
 「新課程」で「世界史A」なるものが鳴り物入りで登場したことは周知の事実であり、すでに高校では、この授業が開始されている。この「世界史A」こそが、文部省のいう「新学力観」の「世界史」における実践であり、生徒に考える能力や国際的視野を与えることを目的としたものである。しかし、ここでも致命的な問題点は入試である。文部省は「世界史A」をセンター試験で実施することを決めており、大学にもこれを生徒に課すことを強く求めているのだが、そもそも「考える能力」とか「理解力」などというものは、「小論文」のようなテスト形式でなければ判定が困難であり、ましてマーク・テストに向かないのは明らかである。なぜなら、絶対的な客観性が求められるマーク・テストは、どのように工夫しようとも、結局は知識テストにならざるをえないからだ。このことは、すでに「現代社会」において明らかとなっており、結局、試験の直前に「現代社会」を試験科目からはずすことになってしまったのである。センター試験が実施される前に模擬試験を実施しなければならない我々にとっても、頭の痛いところである。しかも、「半分以上の教科書に記載されている事柄を出題する」という、入試センターの規定にしたがうとするなら、どのような問題を作ったらよいのか想像もつかない。さらに、個人的には「世界史A」の枠組みにも若干の疑問を感じる。周知のごとく、「世界史A」は「地域文明の歴史的特色」「諸文明の接触と交流」「19世紀の世界」「現代の世界」という四部からなっており、後の二つが近現代史で、この近現代史を重視するという立場をとっている。この枠組みは、いくつかの地域が、相互に一定の交流を行いながらも、それぞれ独自の文明を形成し、やがてヨーロッパを中心に世界が一体化されていくという、最近のほぼ一致した歴史観をもとに構成されている。とくにある教科書では、ウェーラーステインの「近代世界システム」の影響が色濃くうかがえる。このように教科書を明確な歴史観に基づいて記述することは、従来の事項羅列型の教科書に比べて大変よい傾向だと思うのだが、私は近現代史重視という考え方には疑問を感じるのだ。ある教科書の執筆者が、「古い時代のことばかりやっていても仕方がないのだ」と言っておられたが、生徒にとっては二千年前の時代も百年前の時代も同じくらいに古いのである。さらに、近現代史を学ぶことに意義があるという考え方は、文部省の「国際的視野」を広げるという点では意味があるであろうが、本当の意味で歴史を学び教える者の態度としては間違っているのではないだろうか。
一世界史講師の歴史観
 私は世界史をどう教えるか、というよりも私自身が歴史をどのように理解するのか、ということについて常に迷い続けてきた。率直に言えば、私は教壇で世界史を語る時、基本的にはマルクス主義の手法に依存してきた。もちろんマルクス主義の手法といっても階級闘争の歴史観という意味ではなく、広い意味での研究手法としてのマルクス主義的手法であって、特に発展段階論的な歴史のとらえ方である。この意味において私は、ウォーラーステインの「近代世界システム」も広義のマルクス主義であると考えている。そしてわたし自身は、これ以外の方法で世界史を体系的に語る方法を知らない。しかし、私はこのことに長い間、疑問を感じつづけてきた。
 発展段階論という歴史のとらえ方は、常に視点が現代にあり、現代から見て歴史は、どのように展開してきたかという歴史のとらえ方である。もちろんこれも歴史の一つのとらえ方ではあろうが、あまりに歴史を一面的にとらえすぎているのではないだろうか。このように一つの側面からだけ歴史をとらえる歴史観は、かつての階級闘争の歴史観や国家中心の歴史観、政治史中心の歴史観と本質的には同じことではないだろうか。国際的視野が必要とされるのだから、それを養うような歴史の教え方をすべきであるという現実的要請に基づいた教え方は、国のために命を捨てて戦わねばならないのだから、国の栄光の歴史を教えるべきである、といっているのと同じではないだろうか。このような教育観は、真に「自分で考える能力をもった人間」を養成するのではなく、結局は国家や社会に必要とされる「型にはまったよき国民」をつくろうとしているにすぎないのではないだろうか。
 もちろん私はそのような人間をつくることを意図しているわけではないが、結局は私自身も発展段階論的な教え方しかできないのが現実である。先に歴史の「意味」を教えていると述べたが、実は、この「意味」とは、現代的な視点からの意味にすぎないのであり、その点では文部省の教育方針に適合しているのだが、私自身はこのことに常に疑問を感じつづけてきた。では、私にとってどのような歴史の教え方が理想なのだろうか。私が漠然と考えていることは、それぞれの時代の人々の視点に立って歴史を教えることである。しかもそれは特別な人々の視点ではなく、ごく普通の人々の視点である。過去のそれぞれの時代は現代のためだけに存在しているわけではなく、それぞれの時代がそれぞれの時代の存在意義をもっており、その存在意義をわれわれと同じ普通の人間の目でみつめることによって、歴史を見直してみる必要があるのではないだろうか。このような視点にたって歴史を考えることこそ、真に知性ある人間、あるいは自立して自ら考えることができる人間を養うことができるのではないだろうか。さいわい「世界史A」の教科書の近代以前の部分は、このような歴史を語るのに適した場であるように思われる。ここにおいて、政治的枠組みとか歴史的事件などは最小限にとどめ、その時代その時代の視点で歴史を語ってみたいと思うのである。共通性よりは相違を、普遍性よりは個別性を語ることによって、生徒の感性に訴えかけてみたいと思うのである。
 しかし、残念ながら私にはそのような歴史を語る能力がない。さいわい、近年ヨーロッパ史の分野では、庶民史とか民衆史とか心性史などの研究が精力的に行われている。かつて「普通の人」の歴史を解明することは、それが史料にはほとんど登場してこないために困難であると主張されていたが、今日では非常に苦労してではあるが、それが徐々に可能になってきているようだ。私もこれらの歴史書を読んで感銘を受け、大きな影響を受けつづけている。この影響は、私の従来の歴史観を根底から覆すものなので、私にとっても大きな苦痛をともなうものなのだが、いずれ通過せねばならない過程であると考えている。とはいえ今のところ私には、このような歴史を断片的に語ることはできても、それを体系的に語る能力がないのである。「世界史A」の教科書においても、このような立場からの記述が部分的に含まれているが、それはほんの申し訳程度にすぎない。そして何よりも、受験という大前提がある以上、このような歴史を自由に語ることは当面ゆるされないことなのである。とくに予備校講師にとってはである。
生徒の「学力観」
予備校に通う生徒の学力観とは、大学に合格できる学力をつけることはいうまでもない。しかし、それは建て前であって、1819歳の多感な彼らが知識教育だけで満足するはずがなく、だからこそ彼らは知的な刺激を求めて魅力的な講義が行われている教室に殺到するのである。彼らもまた本当の学力が知識だけでないことをよく知っているのである。では、彼らにとってどのような講義が魅力的なのか、という問いには簡単には答えられない。それは多様である。純粋に知的な刺激を与えてくれる講師とか、教え方がうまい講師とか、あるいは個人的な魅力やカリスマ性をもった講師に生徒は集まるようだ。私がどのタイプに属するかといえば、どちらかといえば知的な刺激を与えるタイプの講師だと、自分では思っている。そして私が与える知的な刺激とは、基本的には先に述べた発展段階論に基づいた体系的な世界史である。ところが、この10年間ほどの間に、このような講義を受け付けない生徒が年々増えつづけている。
私は常々、「最近の生徒は……」とか「最近の若い者は……」というような愚痴をこぼさないように心掛けているつもりである。しかし事実として、「最近の生徒」は論理的な整合性や合理的な意味といったものを受け付けない傾向が強くなっているように思う。この事実を、単に生徒の質が落ちた結果であると嘆くだけでは、問題は何も解決しない。最近、私が思うことは、実は生徒の方が先に進んでいて、私の方が遅れているのではないかということだ。生徒は、私が語るような発展段階論的な歴史に対して本能的な拒否反応を示しているのではないだろうか。つまり、私が苦闘しながら発展段階論からの脱皮を試みているときに、すでに彼らは彼ら自身が普通の人間であるように、過去の普通の人間がどのように考えているかを本能的に求めているのではないだろうか。ルターとかカルヴァンといった「特別な」人間はわれわれにとって雲の上の人であり、あたかもこのような人々だけが歴史をつくっているかのように思われる現在の歴史のあり方というものが間違っているということを、彼らは本能的に嗅ぎ分けているのではないだろうか。そのような歴史に彼らは意味を感じることができず、意味を感じることができなければ、当然学習意欲もまた湧き上がってこないであろう。
しかし、歴史の流れや意味を理解する生徒も多数いるではないか、という問いがあろう。確かに、その通りだが、私が見るところ、いわゆる「よくできる生徒」には、本音と建て前を使い分けることのうまい生徒が多い。たとえば、よく生徒は「センター試験と二次試験とでは頭の別のところで考える」という。つまり、彼らはセンター試験の問題を解くときには、まったく別の発想で問題に臨むようだ。私のような古くて不器用な人間には想像もつかないことだが、現に彼らは私などよりずっと早く問題を解くことができ、しかも相当の高得点をとることができる。つまり、彼らはセンター試験の学力と二次試験の学力を使い分けているのである。これと同じように彼らは、私が説くような歴史を受験用の知識として、したがって必ずしも納得していなくても、「必要なこと」として学んでいるのではないだろうか。これは少し考えすぎかもしれないが、もし事実であるとするなら大変悲しいことである。私が自分の歴史観にもとづいて語っていたことが、実は生徒にとっては、単に受験上のテクニックの一つでしかなかったことになるからである。
生徒は教師にとって最大の教師であり、私たちは絶え間なく生徒の影響を受け続ける。そのため私の講義は、この10年の間にずいぶんと変化してきている。具体的には、社会経済史を中心とした、歴史を構造的にとらえるような解説がいくぶん後退し、歴史を具体的に理解できるようなエピソードを多用している。残念ながら、「普通の人」の目で歴史をとらえるだけの力量が私には不足しているが、このような歴史の必要性を教えてくれたのは、あるいは生徒なのかもしれない。だとすれば、やがて新しい時代を築いていく彼らこそが、本当の「学力」とは何かを本能的に知っており、むしろ私が彼らよりも遅れた「学力観」しかもっていないのかもしれない。もしそうなら、最も遅れた学力観は、文部省の「新学力観」ということになるのではないだろうか。
終わりに
 とりとめもないことを、思いつくがまゝに書いたが、率直にいえば私のように公教育の外に身をおく者にとっては、文部省の提示する理念などには何の意味もないのである。そのため、「新学力観」についての予備校の立場というものについて十分な説明ができず、個人的な感想文になってしまった。感想ついでに、最後に今の私の思いをつけ加えるなら、今後も真摯な態度で生徒から学びつづけていきたいと思うのである。


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