2019年2月16日土曜日

映画「ダンケルク」を観て

 2004年にイギリスで制作されたテレビ用のドキュメンタリーで、三部からなり、合計で180分あります。内容は、第二次世界大戦初期の1940年、イギリス軍のダンケルクからの撤退を描いています。

 193991日にドイツ軍がポーランドに侵攻すると、イギリスとフランスはドイツに宣戦布告し、ドイツとフランスの国境に建設されたマジノ線と呼ばれる巨大な地下要塞に立てこもります。その後ドイツは、ポーランド、バルト諸国、北欧諸国に侵攻しますが、英仏軍は何もせず、マジノ線でドイツ軍の侵攻を待っていただけでした。この状態は「いかさま戦争」とか「奇妙な戦争」などと呼ばれます。1940年春、東部戦線で優勢となったドイツ軍は西部戦線に方向転換し、マジノ線など見向きもせずにベルギーに侵攻し、さらに526日にフランスに侵入しました。これによりマジノ線はまったく無意味となり、英仏軍はドイツ軍の攻撃を逃れてダンケルクへと撤退します。

 当時イギリスでは、510日にドイツに宥和的なネヴィル・チェンバレン首相が退陣し、強硬派のチャーチルが首相となると、彼はダンケルクに次々と集まる兵士たちの救出を決定します。これが524日から64日までのダンケルク撤退作戦で、10日間で35万人の兵士が脱出しました。映画は、この10日間を克明に描いています。兵士たちは、戦争の全体像が見えず、ただドイツ軍に追われるように、一秒一秒を不眠不休で生きているだけです。そしてその過程で、多くの兵士が殺されます。一方、政府は大きな方針を決めるだけで、個々の兵士の顔を見ることはありません。チャーチルの撤退命令は兵士を思ってではなく、ドイツとの戦争を継続するために人的資源が必要だったからです。35万人の人的資源を、今失うことはできません。また作戦の司令部は、輸送のための船を調達するためにてんてこ舞いです。軍艦から民間船まであらゆる船を調達し、多くの船がドイツ空軍の攻撃で沈没しまたます。
 ドキュメンタリーは、こうした事態の推移を180分にわたって克明に再現していますので、さすがにうんざりしてきました。そしてこの戦争の馬鹿馬鹿しさを痛感しました。この戦争はイギリスの勝利の出発点になったと言われますが、初期の誤った戦略の尻拭いをしただけでした。この戦争は多くの兵士の命を救ったといわれますが、それは次の戦争で死ぬためでしかありませんでした。このドキュメンタリーは、こうした視点を若干もちつつも、基本的にはこの作戦の成功とそれに続く戦争の勝利を謳うものでした。
 


0 件のコメント:

コメントを投稿