2018年2月17日土曜日

映画「アレキサンダー大王」を観て

1980年にギリシアで制作された映画で、監督はテオ・アンゲロプロスという高名な監督で、この作品も名作とされています。この映画は208分という長編で、私にとっては「映画「ルートヴィヒ」を観て」http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/02/blog-post_27.html
以来の退屈な映画で、意味もよく分かりませんでした。
 映画の時代は1900年で、いよいよ20世紀になったということになっています。厳密にいえば20世紀は1901年から始まるのですが、この際それはどうでもよいことです。ギリシアには古代ギリシアの栄光の時代がありましたが、その後さまざまな民族の支配を受け、16世紀以降はオスマン帝国の支配下にありました。1830年、実に1900年ぶりにギリシアは王国として独立し、19世紀末から20世紀初頭にはトルコと争って領土を広げます。この時代のギリシアの社会について私は何も知りませんが、おそらく多くの矛盾を抱えたいたものと思われます。そして、はっきり言えることは、この時代のギリシアはかつての栄光の古典ギリシアとは何の関係もない別物ということです。
 舞台となったのはギリシア北部の山間の寒村です。この村出身の20数人の盗賊(義賊)が監獄から脱獄し、その指導者が自称アレキサンダー大王です。不思議なことに、脱獄すると、彼のために鎧兜や白馬が用意されていました。一体誰が用意したのでしょうか。また、途中彼らはイギリスの貴族を何人も人質にして、政府に彼らの恩赦と身代金を要求します。そして彼らは故郷の村に帰ります。ところが村では「先生」(インテリ)と称する人物が「共産村」を築いており、土地も羊も村の共同所有、労働は広場の時計に従って規律正しく行われます。これでは大王たちの居場所はありません。
 村は政府の軍隊によって包囲され、大王と先生が対立し、村人も厳格な規律の下に置かれた共産村にうんざりしていました。こうした行き詰った状況の中で、大王は人質全員を殺し、独裁を強め、軍隊と戦い、結局大王は村人によって殺されます。この間先生も殺されて共産村は崩壊します。最後に村のアレキサンダーという名の少年が一人で村を出て行き、「こうしてアレキサンダーは町へ入って行った」という字幕が出て、映画は終わります。ギリシアは近代へと向かっていった、というような意味なのでしょうか。
 映画は、抽象的な演劇の舞台を観ているようで、印象的な場面が何度も映し出されますが、それが何を意味しているのか、よく分かりません。結局時代錯誤的なアレキサンダーは政府に操られて脱獄し、共産村を破壊するように仕向けられ、それを果たして死んでいったということでしょうか。どうも「巨匠」と呼ばれる人の「大作」と呼ばれるような作品は、私には向いていないようです。

 なお、第一次世界大戦後のギリシアは、共和制になったり王制になったりして政情不安定で、第二次世界大戦ではドイツ・イタリアなどに占領され、戦後は共産主義と右派との内戦となり、米ソ冷戦の先駆けとなりました。その後しばらく安定した時代が続きますが、1967年に軍部がクーデタを起こし軍事独裁体制が成立しますが、1970年代に経済が低迷すると国民の不満が高まり、1974年に軍事独裁体制は崩壊し、さらに国民投票により王制を廃止し、共和制に移行します。この映画には、監督自身が生きたこの時代の混迷が反映させているのかもしれません。

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