2017年10月18日水曜日

「ザ・グレート・ゲーム」を読んで

ピーター・ホップカーク著 1990年、京谷公雄訳、中央公論社、1992
本書は、内陸アジア、特にアフガニスタンを巡るイギリスとロシアの諜報活動を描いたもので、この壮大な諜報活動は、いつしかチェス・ゲームになぞらえて、「ザ・グレート・ゲーム」と呼ばれるようになりました。










19世紀初頭、ナポレオンがロシアと結んで陸路でインドを攻撃するという壮大な計画をたてました。この計画は実現されませんでしたが、ナポレオンが倒れた後、その後に巨大なロシア帝国が出現し、インドを大英帝国繁栄の基盤とするイギリスにとって、大きな脅威となります。ところが、イギリスは内陸アジアの地図さえろくに知らない状態でしたので、イギリスは多くの軍人をこの地方に派遣し、地理・地形・住民など多岐にわたって調査させます。ロシアは、古くから中央アジアと関わっていますので、比較的この地域の情勢に明るいのですが、イギリスの関心はインドにあり、内陸アジアについてはまったく無知でした。内陸アジアについては、このブログの「映画「ダイダロス 希望の大地」を観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2017/09/blog-post_30.html)を参照して下さい。
 本書で述べられているのは、個々の戦争よりも、こうした諜報活動で活躍した多くの人々です。彼らは時には商人に化け、時には巡礼者に化けて諜報活動を続けます。彼らの行動は、ヨーロッパや極東で起きたことと常に連動しており、その意味では巨大なチェス・ゲームのようです。本書に登場する人々は、おそらくイギリスではよく知られた英雄なのでしょうが、私はほとんど知らない人々でした。彼らは、グローバル・ヒストリーの観点から見れば、帝国主義の先兵だったかもしれませんが、同時に彼らは探検家として、この地域についての多くの情報を世界に伝えました。
 本書は、内陸アジアの西トルキスタンを中心に述べられていますが、原書では東トルキスタン、つまり現在の新疆ウィグル自治区についても述べられており、両者を合わせるとあまりに膨大なるため、訳書では割愛されたとのことです。この地区では、ヘディンによる楼蘭の発掘やスタインによる敦煌文書の発見などが行われますが、こうした探検も一連の諜報活動の過程で行われたものと思われます。
 グレート・ゲームは、広い意味では現在まで続いているといえるかもしれませんが、本書では1907年の英露協商をもって終わります。これによってイギリスはアフガニスタンでの優位を確立したわけで、これを可能にした分けは、日露戦争におけるロシアの敗北でした。今や極東の日本も、グレート・ゲームに深く関わっていたわけです。
 本書は、知らない固有名詞が多いので、少し読みにくいかもしれませんが、日本ではあまり知られていない内陸アジアで繰り広げられた雄大なゲームを楽しむことができます。 なお、本書の定価は2300円ですが、アマゾンの古書コーナーでは1万円以上で販売されています。

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