2017年3月8日水曜日

「太陽よ、汝は動かず」を読んで

A.アーミティジ著、1947年、奥住喜重訳、岩波新書(1961)
 随分古い本ですが、本箱の片隅で眠っていた本を、何十年ぶりかで発見しました。本書のサブタイトルは「コペルニクスの世界」です。言うまでもなく、コペルニクスは地動説を唱えたことで知られ、この発想の転換を、後にドイツの哲学者カントが「コペルニクス的転回」と呼んだことで有名です。
 本書は、コペルニクスだけでなく、コペルニクスに至る天文学の歴史を大変分かりやすく述べており、大変参考になります。人類が誕生し、人々が空を見上げ、太陽や月や星の動き見つめる時、まず天が動いており、その動きは神々の意志を表すと考えることは、自然のことです。本書は、古代バビロニアの占星術から古代ギリシアの天文学やプトレマイオスの天文学について分かりやすく説明しています。そしてその後千年以上、ほとんど天文学に変化はありません。
 コペルニクスは、まず何よりも聖職者で、教会法と医学の専門家であり、実務において極めて有能であり、その合間に天文学を研究していました。中世を通じて天文学はほとんど進歩しなかったとはいえ、観察を通じて新しい発見があり、説明困難な現象が多く発見されていました。そうした中で、コペルニクスは太陽を中心とするという仮説の下に、地動説を主張するようになります。コペルニクスの主張については、天文学者たちの間では広く知られており、ローマ教皇の耳にも入っていましたが、彼は宇宙が球体であるというプトレマイオスの主張を信じていたこともあって、コペルニクスの主張は数学上の仮説としてあまり問題にされませんでした。それどころか、この時代に今日われわれが使用しているグリゴリウス暦が制作されますが、コペルニクスはその制作にも協力しています。
それでも、彼は自説の出版についてはかなり慎重で、1542年にようやく草稿が完成し、翌年死亡します。1543年にこの本をローマ教皇に献本していますが、特に問題とはされませんでした。むしろ、ルターがコペルニクス説を聖書に反するとして批判し、カトリック教会にもこれに対応する理論武装が必要となりました。そうした中で、ケプラーやガリレオ・ガリレイが地動説を主張して教会により咎められ、そうした中でコペルニクスも批判されるようになります。そして、ガリレイが死んだ1642年にニュートンが誕生します。彼らを通じて地動説は、もはや遊星の軌道の問題だけではなく、宇宙の力学の問題に発展し、コペルニクスの死後150年近くたって彼の説は否定しがたい事実として確立されます。

本書は、興味深いというだけでなく、感動的でさえありました。おそらく、コペルニクスの時代にヨーロッパの天文学は、技術的には中国より劣っていたかもしれませんが、しかし中国ではついに「コペルニクス的転回」が起きることはありませんでした。そしてヨーロッパで起きた「コペルニクス的転回」が、ヨーロッパに近代科学を生み出すことを可能にしたものと思われます。


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