2017年1月7日土曜日

映画でペルシア戦争を観て


スパルタ総攻撃

1962年にアメリカで制作された映画で、以前に述べた「300(スリー・ハンドレッド)」と同じテルモピレーの戦いを扱っています。「300」は、スパルタという異常な環境で異常な教育を受けて戦闘マシーンと化した人間を描いており、歴史的には意図的に事実とは異なる描き方がされています。これについては、このブログの「映画で古代ギリシアを観て(2)  300 (スリー・ハンドレッド)http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/05/blog-post.htmlを参照して下さい。
「スパルタ総攻撃」の原題は「300人のスパルタ人」で、ペルシアがスパルタを総攻撃したという意味なら、間違っています。ペルシアがギリシアを総攻撃したのであり、アテネの入り口に当たるテルモピレーでスパルタが待ち伏せしたのです。スパルタが総攻撃したという意味なら、これも間違いです。スパルタ人は300人しかいませんでした。また、あたかも300人だけで戦ったかのような誤解されがちですが、他の都市の兵士を含めて2000人前後はいたと思われます。それにしても、ペルシアとの兵力差は圧倒的です。
この映画では、テルモピレーの戦いに至る経過が述べられています。スパルタには、実権のない二人の王がおり、その一人がレオニダスです。軍隊を出すためには、二人の王と議会の承認が必要でしたが、議会は、祭りの最中に軍を出すことはできないとして反対しましたが、レオニダスは王が自由に動かせる親衛隊300を連れて出陣します。もちろんスパルタにも事情がありました。スパルタは常に奴隷(ヘイロータイ)の反乱という内部不安を抱えており、多くの軍隊を外にだすことは危険だったのです。

この間、アテネの将軍テミストクレスが何度も登場します。アテネとスパルタはいつも争っていましたが、今回はめずらしく手を組みます。はっきりいって、争っている場合ではありませんでした。ギリシアのポリスの中にはペルシアに寝返るポリスも多く、アテネもスパルタも存亡の危機に立たされていたのです。ポリスはいつも争ってはいましたが、ペルシアという異質で巨大な勢力を前にして、彼らにもギリシア人という意識が芽生えていたのです。そして紀元前4808月に、スパルタ軍は3日間にわたってペルシア軍を食い止めて全滅しました。この間に、アテネの住民の多くはアテネから脱出し、アテネはペルシア軍によって占領されますが、テミストクレスに率いられた海軍が、サラミス湾に集結し、テルモピレーの戦いの1カ月後にサラミスの海戦を開始することになります。


300 帝国の進撃
2014年にアメリカで制作された映画で、前に述べた「300(スリー・ハンドレッド)」の続編ですが、サラミスの海戦を題材としたファンタジー・アドベンチャー映画で、歴史的に学ぶものは何もなく、CGによる戦闘場面を見せるだけの映画でした。
映画では、テミストクレスは誠実な将軍として描かれていますが、実際には独裁的で、かつ賄賂をも厭わない策略家だったようです。結局テミストクレスは、ペルシア戦争後、過大な栄誉と権力を求めたため、オストラシズム(陶片追放)によって追放され、ペルシアに亡命しました。当時、ペルシアに亡命すること自体は珍しいことではなく、今日政治的に敗北した人の多くがアメリカに亡命するように、当時も政治的敗者の多くがペルシアに亡命し、ペルシアはこれを受け入れました。ペルシア帝国は、自由を抑圧するアジアの残虐な独裁国家として語られることが多いのですが、実際にはギリシアよりずっと懐の深い国だったのです。




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