2019年7月20日土曜日

映画「アウンサンスーチー」を観て















2011年にフランスとイギリスにより制作された合作映画で、ビルマ(ミャンマー)の政治家アウンサンスーチーの半生を描いています。原題は“The Lady”です。なおスーチーは、ビルマ建国の父アウンサンの娘です。
ビルマは、東南アジアのなかでも豊かで強力な国でしたが、19世紀にイギリスが侵略して富を収奪し、ビルマ人と少数民族との分断を促しました。そうした中で、アウンサンは日本と提携して独立をしようとしますが、日本がビルマに独立を与える気がないことを知り、1944年には日本と決別します。1945年に日本が敗北しイギリス支配が再開されますが、アウンサンはイギリスとの交渉を重ね、1948年に独立することを承認します。しかし1947年、独立準備中のアウンサンは親日派によって暗殺されました。32歳でした。そしてこの時、娘のアウンサンスーチーは2歳になったばかりでした。
1948年にビルマ連邦建国後も混乱が続き、1958年に軍事政権が成立し、以後2015年まで、いろいろと曲折はあったとしても、基本的には軍事政権が続きます。この間、アウンサンスーチーはインドや欧米で教育を受け、一時日本にも留学しました。そして1972年にオックスフォード大学の後輩でチベットの研究者マイケル・アリスと結婚し、以後二人の子供をもうけ、専業主婦としてイギリスで暮らしていました。しかし1988年に母が危篤のため帰国し、ビルマの惨状をつぶさに観察し、英雄アウンサンの娘へのビルマ国民の期待がいかに大きいかを認識します。この時、アウンサンスーチーは43歳でした。
映画はここから始まります。彼女は今まで政治的関心などもったことがありませんでしたが、以後ビルマの民主化の象徴として生きていくことになります。1989年に彼女は自宅軟禁され、その後軟禁と解放が繰り返されます。この間に、夫の尽力でノーベル平和賞を授与されますが、授賞式には出席できませんでした。1999年に夫が癌で死亡しますが、彼女は夫の最期を看取ることが出来ませんでした。2007年に仏教徒が反政府運動を行った民主化要求が高まり、映画はここで終わりますが、まだ軟禁状態は続きます。
 2015年の総選挙でアウンサンスーチーの政党は圧勝し、いろいろ条件付きではありますが、一応彼女が政治の実権を握ります。アウンサンスーチーが70歳の時であり、彼女がビルマに帰国してから28年ぶりのことです。先進諸国は、アウンサンスーチー政権の成立に好感して積極的な投資を行い、経済も順調に進んでいるようですが、まだ少数民族問題が残っています。最近イスラーム系の少数民族が虐殺される事件が起き、これにアウンサンスーチーが直接かかわっているのかどうかは知りませんが、彼女からノーベル平和賞を剥奪しようとする動きもあるようです。

 英雄アウンサンの娘としての彼女は、立派に義務を果たしたとは思いますが、それでも映画は彼女を美化しすぎているように思います。

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