2016年10月29日土曜日

映画「アフガン」を観て

2005年にロシアで制作された映画で、アフガニスタン紛争で最後の激戦となった「3234高地の戦い」を描いており、原題は「第9中隊」です。邦画タイトルの「アフガン」は「ランボー3 怒りのアフガン」を連想させ、DVDのカバー写真は安っぽい戦争映画を連想させますが、この映画はかなり重い映画です。
 アフガニスタンの歴史については、このブログの「映画でイスラーム世界を観る アフガン零年」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/06/blog-post_8.html)、「映画でアメリカを観る(7)  チャーリー・ウィルソンズ・ウォー」 (http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/02/7.html)を参照して下さい。1978年に社会主義政権が成立したアフガニスタンは、政情不安のためソ連に軍事援助を求めました。ソ連としては、アフガニスタンに社会主義政権が生まれることは好都合でしたが、当時緊張緩和が進んでおり、2年後には社会主義圏で最初のモスクワ・オリンピックを控えていたため、問題を起こしたくなかったのですが、結局、1979年にアフガニスタン侵攻という苦渋の決断をしたわけです。当初は、半年程度の介入で済むと思っていたのですが、結局9年間もアフガニスタンに引きずり込まれ、ヴェトナムにおけるアメリカの二の舞を演じてしまいました。そもそもソ連軍は、ヨーロッパや中国を仮想敵としているため平原での戦いを想定しており、アフガニスタンの山岳戦に向いていません。さらにヴェトナムでのアメリカ軍と同様、近代兵器を備えた正規軍は、ゲリラ攻撃には無力でした。
 映画は、若い志願兵たちが軍隊に入隊するところから始まります。彼らがなぜ志願したのかについては、それぞれに異なる理由がありますが、一旦入隊すれば厳しい訓練が始まります。若者たちは、初めはよく喧嘩もしましたが、厳しい訓練の過程で友情も生まれてきます。5カ月ほど後に彼らはアフガニスタンに送られ、第9中隊に配属されて実戦の任務につきます。そして彼らは、1987年末に輸送路を確保するために、標高1000メートルほどの「3234高地」の守備を命じられます。これに対して敵は、17日に高地を奪還するため総攻撃を開始します。
 敵の圧倒的な攻勢の前に、兵士たちは次々と倒れ、応援要請の無線も通じず、孤立無援で戦います。実は当時ソ連は、アフガニスタンからの撤退交渉を始めており、もはや「3234高地」の存在すら忘れていたのです。翌18日、映画では、もはや味方は7人しか生き残っていませんでしたが、最後の抵抗を試みて、生き残ったのは一人だけでした。実際には、もっと生き残ったようですが、多くの兵士が死傷し、中隊は壊滅状態でした。そしてこの年の4月に、アフガニスタンからの撤退が決定され、そして翌年2月には撤退が完了し、この年のマルタ会談で冷戦終結宣言が行われ、さらに2年後にソ連邦が崩壊します。一体何のための戦いだったのでしょう。
 ソ連は、平均して10万人以上の兵力をアフガニスタンに駐留させ、9年間でソ連軍は15000人の死者と75000人の負傷者をだし、帰還後もトラウマに苦しむ兵士が多数いました。また、この出兵の経済的負担が、ソ連崩壊の原因の一つともなりました。一方、アフガニスタン人の死傷者は、民間人を含めると150万人に達すると推定され、これにより戦後一時的に、人口の半分が14歳以下になったとされます。その後のアフガニスタンは、国内の支配を巡って内戦状態になり、さらにアメリカ軍が介入し、今日もなおアフガニスタンは混迷状態にあります。

 映画は、無邪気だった若い兵士たちが無駄死にしていく過程を、見捨てられた若者たちの眼を通して、淡々と描いています。

0 件のコメント:

コメントを投稿