2016年5月7日土曜日

映画「屋根の上のバイオリン弾き」を観て



 「屋根の上のバイオリン弾き」は、19世紀末にユダヤ系ウクライナ人作家ショーレム・アレイヘムによる短編「牛乳屋テヴィエ」が、1964年にミュージカルとして上演されたもので、それが1971年にアメリカで映画化されました。 
 ヨーロッパの中世において、スペインで迫害されたユダヤ人はオスマン帝国などに亡命しセファルディムと呼ばれ、ドイツなどで迫害されて東欧に移住したユダヤ人はアシュケナジウムと呼ばれ、彼らは主に東欧に移住しました。(この点については、このブログの「映画でヒトラーを観て 戦火の奇跡」を参照して下さいhttp://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/02/blog-post_24.html)。彼らは、東欧各地にシュテッテルと呼ばれるユダヤ人コミュニティーを形成し、古くからの伝統とユダヤ教を守ることで、アイデンティティを維持してきました。彼らの言語は、イディッシュと呼ばれ、ドイツ語にヘブライ語などが混ざった言語です。
この映画の舞台となっているのは、ウクライナのアナテフカというシュテッテルです。この村には、なぜか、いつも屋根の上で不安定な姿勢でバイオリンを弾いている人がいました。主人公は、テヴィエという牛乳屋で、彼には妻と5人の娘がいました。そして娘の結婚は、父親が決めるのが伝統でした。ところが、長女のツェイテルは若い仕立屋のモーテルと結婚したいと言い出しました。村では仕立屋は7人で1人前と言われており、しかも娘の結婚は父親が決めるという伝統にも反しましたが、テヴィエは娘の幸せのために、二人の結婚を許します。こうして、伝統は少しずつ崩れていきます。
次女ホーデルはキエフ大学の貧乏学生パーチェルと恋をし、パーチェルが反政府活動で逮捕されてシベリア流刑となると、彼女もパーチェルの後を追ってシベリアへ向かいました。そして三女のハーバは、フョードカというキリスト教徒の青年と結婚するために家出しました。信仰を最後の拠り所として生きてきたテヴィエにとって、娘が異教徒と結婚することは、大きな打撃であり、もはや彼を支えてきた伝統は崩れ去りました。そしてこれに追い打ちをかける事件が起きました。
当時ロシアは、ユダヤ人の追放政策を強めており、周辺の村でも追放が行われたという噂が流れてきていました。当時は、一民族一国家という国民国家の概念が普及した時代で、ユダヤ人など異分子を排除する動きが強まっていました。同じころ、フランスで起きたドレフュス事件も、こうした情勢を背景としています。ロシアでのユダヤ人排斥は「ポグロム」と呼ばれ、ロシア語で「破壊・破滅」を意味するそうです。
こうした中で、ユダヤ人は命令に従うしかありません。ある者は、ロシア領内の別の土地に移動しますが、彼らの多くは、後にナチス・ドイツによって徹底的に迫害されます。ある者はイスラエルに移住し、当時生まれつつあったユダヤ人国家の建設に協力します。そしてテヴィエは、原作ではイスラエルに行ったことになっているようですが、映画ではアメリカに移住します。この時期に、多くの東欧のユダヤ人がアメリカに移住し、今日でもアメリカにはイディッシュの話者が300万人近くいるようです。
最期に、荷物を積んで村を出ていくテヴィエたちの背後から、バイオリン弾きの奏でる曲が流れます。ユダヤ人の生活は、いつ追放されたり、虐殺されたり、ゲットーに押し込められたりするか分かりません。それは、不安定な姿勢で、屋根の上でバイオリンを弾く姿に似ています。つまりテヴィエたちの「伝統」は、初めから不安定な基礎の上に成り立っていた分けです。
映画は、コミカルなタッチで描かれ、哀愁に満ちており、大変感動的でした。

 

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