2020年6月30日火曜日

映画「スティーブ・ジョブズ」を観て

2013年にアメリカで制作されたアップル社の創業者スティーブ・ジョブズの半生を描いた映画です。スティーブ・ジョブズについては、2015年にも同名の映画が制作されているようですが、私は観ていません。
 スティーブ・ジョブズの業績についてはあまりにも有名で、間違いなく彼は世界を変えた人物といってよいでしょう。1977年にジョブズはアップル社を設立し、世界最初のパーソナル・コンピューターともいうべきアップルを製作・販売して成功します。しかし、まもなくコンピューター世界の巨人IBMがパーソナル・コンピューターに参入したため、これに対抗してMacintoshプロジェクトを開始します。1984年に発売されたMacintoshは好評でしたが、開発費が膨大で赤字に陥り、1985年にジョブズは事実上アップル社を解任されました。しかしその後もアップル社の業績不振は続いたため、1997年にジョブズはアップル社に復帰し、2000年にCEOに就任します。
 映画は、2001年のアップル社のミーティングで、ジョブズが新製品iPodの発売を公表する場面から始まります。その場で彼は次のように述べました。「これはハートのためのツールである。一台の機械に千曲もの曲を入れ、ポケットに入れて持ち歩くことができるのだ。」次いでiPhoneiPadが開発され、アップル社の業務範囲は従来のパソコンからデジタル家電とメディア配信事業へと拡大していきます。しかし2003年に膵臓ガンでることが判明し、2011年に死亡します。56歳でした。
 ジョブズは、コンピューター界の巨人であるIBMに強い対抗心をもっていましたが、マイクロソフトを創業したビル・ゲイツは、IBMと組んでWindowsを開発し、世界的なパソコン規格に発展させました。 私が初めてパソコンを購入した1995年は、ジョブスがアップルから離れていた時期で、マイクロソフトがWindows95を発表した年でした。当時の私はパソコンについて全く無知であり、MacintoshWindowsの違いも分かりませんでしたが、仕事でパソコンを使う以上、ファイルの互換性を考慮せざるを得ず、Macintoshを選択する可能性はありませでした。これが、MacintoshWindowsに敗北した理由の一つであろうと思います。

 しかしジョブズは決して敗北しませんでした。彼はiPodiPhoneiPadを開発することによって、世界を変えてしまったのです。ビル・ゲイツもIT界の巨人ですが、創造性と影響力においては、ジョブズにはるかに及ばないのではないかと思います。

2020年6月29日月曜日

映画「ビリーブ 未来への大逆転」を観て

















 

 

2018年にアメリカで制作された映画で、男女不平等と闘ったルース・ベイダー・ギンズバーグという女性を描いています。
 アメリカに限らず、世界の多くで女性は不平等に扱われていますが、その社会的・歴史的背景はさまざまですので、ここではそうした問題には触れません。ただ、ここで問題となっているのは、「女性は家庭にいることが自然の原理である」という考えであり、特に19世紀の欧米では、これがイデオロギーにまで高められ、社会のあらゆる場面に反映されていました。
主人公のルース・ベイダー・ギンズバーグは実在の人物で、ハーバード大学のロースクールに入学しましたが、これはハーバードに女性の入学が許されて6年目であり、500人の入学生のうち女子学生はたった9人でした。彼女は、大学でも有形無形の差別を受け、卒業後弁護士となることを望みましたが、「母親が弁護士になったら、だれが子供を育てるのか」と言われて断念し、大学の教職に就きます。そして法廷闘争を通じて、女性差別と闘うようになります。
アメリカの法律には、「女性は家庭で」ということを前提とした女性差別の法律が多数ありました。これに対して、過去に何度も訴訟が行われましたが、ことごとく敗北してきました。こうした中で、ある男性が母の介護の費用に対する税の控除を求めましたが、法律では控除は女性にしか認められないことになっていました。この法律は、一見女性の権利を守っているように思われますが、実はこの法律の背景には「女性は家にいるべきもの」という前提があります。女性は家にいて介護を行う義務があるのだから、介護費用の控除が受けられる。しかし男性は外で働くべき者だから、家での介護に対する控除はみとめられない、ということです。
このケースは、原告が男性であること、しかも法律の条文が一見女性の権利を守っていかのるように見えることから、ギンズバーグは男女不平等を正すチャンスとして、この裁判の弁護を引き受けます。この種の裁判では、裁判官の論法は「100年以上続いてきた法律が間違いだというのか」というものでした。これに対して彼女は、社会が変化するなら法律も変化しなければ、国家が崩壊するという論法で戦い、結局彼女の主張は認められます。

その後も彼女は男女差別の撤廃のための戦いを続け、1993年にクリントン大統領により連邦最高裁判事に指名され、彼女はいまもその職にあります。


2020年6月28日日曜日

映画「家へ帰ろう」を観て

2017年に制作されたスペイン・アルゼンチンの合作映画で、ナチスの迫害を逃れてアルゼンチンに移住したユダヤ人が、70年後に故郷のポーランドを訪問する、という話です。
 私がこの映画に興味をひかれたのは、まずアルゼンチンとユダヤ人という組み合わせです。アルゼンチンには、ペロンのようなポピュリスト政治家が現れ、それは民衆迎合的であると同時にファシズム的でもありました。そのため、ペロンもヒトラーやムッソリーニに親近感をもっていたようで、彼ら程ではありませんが、民衆による熱狂的な支持の裏で、反対者を過酷に弾圧していました。こうしたこともあって、アルゼンチンはアイヒマンをはじめナチスの残党の亡命を受け入れましたが、だからといってペロンをファシストと呼ぶこともできないし、また彼は、ユダヤ人の差別に対しては反対していました。
 アルゼンチンは、独立後の軍事独裁政権の時代にヨーロッパからの移民を多数受け入れます。一般に中南米への移民はスペイン系が多いのですが、アルゼンチンにはイタリア系やドイツ系やポーランドなど東欧系が多く、アルゼンチンは中南米ではヨーロッパ系が一番多いなどという時代錯誤的な自慢をしたりもしていました。そしてこの時代に、ポーランドなどから多くのユダヤ人が移住し、さらにナチスによる迫害の時代やナチス後に生き残ったユダヤ人が多数移住しました。
 この映画の主人公アブラハムは、ポーランドでナチスにより強制収容所に入れられ、目の前で両親と兄弟が殺されるのを目撃し、1945年にナチスが去った時、彼はからくも生き延びていましたが、屍同然でした。その彼を救ったのが、彼と同年配の少年で、アブラハムはいつか必ず会いに来ると約束してアルゼンチンに移住しました。その後70年、人生の終わりを迎えようとしていたアブラハムは、ポーランドの友人に会いに行く決意をします。この旅では、盗難にあったり、いろいろな人々との出会いがあったりして、その経過を幾分コミカルに描いており、大変面白く観ることかでできました。

 そしてアブラハムは、ポーランドの同じ町の同じ場所で、親友を見つけました。70年の歳月が流れていましたが、お互いに一目で相手を認めることができした。こうした経験は、おそらくアブラハムだけではなく、多くのユダヤ人が経験したことなのだろうと思います。

2020年6月27日土曜日

映画「イノセントボイス」を観て


2004年にメキシコで制作された映画で、中米の小国エルサルバドルでの内戦を描いています。中央アメリカとエルサルバドルについては、このブログの「映画「サルバドル」を観て」に詳しく書きましたので、一部を引用します。

  中央アメリカの歴史と社会は、どの国も似たような経過をたどります。構造的には、一握りの地主による寡頭支配とその利益を守るための独裁政権の存在、それに対する勢力との内戦が繰り返されます。20世紀になるとアメリカ資本が本格的に進出して、多くの国がその温暖の気候に適したフルーツを生産し、ますますアメリカ資本への従属が強まっていきます。こうした中にあっても、各国の内部で改革を行おうとする動きもありましたが、ことごとくアメリカの介入によって潰されてきました。今日多くの国では失業者の増大と貧富の差の拡大、犯罪者の跋扈による無秩序状態が蔓延しています。ホンジュラスから多くの難民がアメリカに向かうという事件がありましたが、それはこうした情勢を背景としています。そしてエルサルバドルも似たような状態にあります。

 「サルバドル」とは「救世主」を意味し、それに定冠詞「エル」がついて「エルサルバドル」となります。また首都は、聖なる救世主という意味で「サンサルバドル」となりました。かつてスペインがアメリカ大陸を征服した時、キリスト教に関連する地名をつけることが多く、例えばかつてスペイン領だったカリフォルニアのサンフランシスコやロスアンジェルスなどがよく知られています。
  第二次世界大戦後のエルサルバドルは比較的安定していましたが、1979年に隣国のニカラグアで革命政権が樹立されると、その影響を受けてエルサルバドルでも革命評議会による暫定政権が成立しました。これに対して極右勢力によるテロ活動が激化し、1980年にはサンサルバドル大司教が殺害され、これに対して左翼ゲリラが抵抗運動を起こします。これが、1992年まで続くエルサルバドル内戦で、この内戦で75000人を超える犠牲者が出たとされます。この間、1980年にアメリカ大統領に当選したレーガンは、中米の共産化を阻止するために「エルサルバドル死守」を掲げ、本格的に介入を始めたため、内戦は泥沼化していきました。
 映画「サルバドル」は、内戦を取材するジャーナリストの姿を描いていましたが、「イノセント・ボイス」は内戦に巻き込まれる少年たちの物語で、まさに「無垢なる声」です。舞台となったのは、ゲリラと軍の狭間に取り残されたクスタカンシンということ小さな町です。この町では政府軍とゲリラとの銃撃戦は日常的であり、特に政府軍は12歳以上の少年を兵士として強制的に徴収していきます。過去においても今日においても、世界の各地で、紛争が泥沼化した地域においては、しばしば少年や少女を拉致し、洗脳して兵士として訓練することが行われてきました。このブログでも、以前に「ザ・テロリスト 少女戦士マッリ」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/01/blog-post_11.html)を紹介しました。
 主人公のチャバは快活な少年でしたが、まもなく12歳になろうとしており、12歳になれば徴兵されることになっていました。そのため彼はゲリラのもとに逃亡しようとしますが、その過程で友人や初恋の少女を政府軍によって殺され、快活だった少年は初めて絶望の叫び声をあげます。その後多くの人の援助を受けて、彼はアメリカに亡命します。もちろんアメリカでは彼は不法移民ということになるでしょうが、それでも故郷の家族に送金することができます。中南米では、多くの人々がこうした生活を送っており、アメリカへの不法移民の波は、止まることがありません。
 アメリカからすれば、それぞれの国内であろうとアメリカであろうと、こうした低賃金労働者は不可欠であり、結局彼らはアメリカ資本主義の発展に貢献しているわけです。


2020年6月26日金曜日

レバノン映画「判決、二つの希望」を観て

2017年にレバノンで制作された映画で、庶民の普通の生活と、つまらないいざこざや裁判沙汰を通して、レバノンの人々の心を描き出しています。
レバノンについては、最近日産のゴーン元会長がここに亡命して話題になりましたが、この地域には極めて古い歴史があります。すでに紀元前1200年頃にはフェニキア商人が地中海貿易で繁栄し、各地に植民市を建設して移住しました。今日でもレバノン人は、世界各地に移住して財産を築いており、特にブラジルのレバノン人の人口は本国の人口を凌いでいるとされます。レバノン人だったゴーン氏がブラジルで生まれ、レバノンで教育を受けたのは、こうした背景によるものです。
その後、レバノンは多くの民族に支配され、やがてアラブ化・イスラーム化が進んでいきます。この間、11世紀末に始まった十字軍運動が、レバノンに拠点を置いたため、この地域の人々はヨーロッパ人とくにフランス人との関係を深め、その影響もあって、この地域にあったキリスト教勢力も拡大します。このキリスト教勢力が、後にヨーロッパ勢力がレバノンに進出する足掛かりとなります。20世紀に入ると、レバノンはフランスの支配下に入り、第二次世界大戦中に独立しますが、この間にレバノンはフランスの強い影響を受け、今日でもレバノンの公用語は、アラビア語とフランス語です。ゴーン氏がフランス国籍ももつ背景には、こうした事情がありました。
 第二次世界大戦後、レバノンは金融や観光業で繁栄しますが、相次ぐ中東戦争で多数のパレスチナ難民が流入すると、人口構成の変化などがあって、宗教・宗派間の対立が深刻となってきました。レバノンでは、フランス統治下の1932年に国勢調査が行われ、キリスト教徒が60%、イスラーム教徒が40%という調査結果に基づき、政府の要職や議員数が割り振られました。そしてこれ以降今日に至るまで本格的な国勢調査は一度も行われておらず、今日に至るまで、この1932年の調査結果に基づいて宗教・宗派の勢力図が定められてきました。 こうした中で大量のパレスチナ難民が入り込み、宗教・宗派の対立が激化します。
その結果、1975年から15年におよぶレバノン内戦が始まり、政治も経済も人々の心も深く傷つきました。戦後も、イスラエ軍による空爆、国連軍の駐屯、財政破綻など、私にはレバノンについては混乱のイメージしかありません。映画は、こうしたことを背景としています。極右的な傾向をもつ主人公とパレスチナ難民が些細なことで喧嘩をし、裁判沙汰になりますが、これが国論を二分する紛争へと発展します。しかし当人たちは、いつのまにか理解し合うようになり、彼らの周辺の人々だけが騒ぎ立てるようになります。紛争とか戦争というものは、このように些細なことから発展していくものだと思います。

映画は、幾分コメディー・タッチの裁判映画で、レバノンに生きる人々の心が描かれていました。

2020年6月24日水曜日

「五色の虹」を読んで

三浦英之著 2015年 集英社
 本書は、満州建国大学と、敗戦後のその卒業生たちの軌跡を追ったもので、大変考えさせる内容でした。
 1932年に建国された満州国は、どこから見ても日本帝国の傀儡国家であり、国家財政は麻薬の販売に依存しているような国家でした。以前に「キメラ 満州国の肖像」(山室信一)という本を読ました。キメラとはギリシア神話に登場する複数の動物の融合体で、本書はキメラたる満州国が形成され消滅していく様を描いた名著です。満州国では、一人一人は善意で努力しているのに、結果はグロテスクな怪獣が形成されていくことになります。
満州建国大学とは、1938年に南洲国の首都新京(長春)に建国された大学で、五族協和(日本族・満州(中国)属・朝鮮族・モンゴル族・ロシア族)を唱え、理想の満州国建国のためのエリートを要請する高等教育機関として建設されました。この大学は誰が見ても、日本の満州国支配を正統化するための一手段でしかなく、今日でもそう考えられています。ところがこの大学では、建国の理想が実現されていたのです。5族が寝起きをともにし、互いの言葉を学び、毎日自由な議論が行われていました。何とこの大学では、言論の自由が保障されており、日本帝国主義を批判することも、マルクス主義を学ぶことも自由だったのです。
この大学は、外の世界とは別世界でした。大学を一歩出れば、満州人に対する軽蔑と弾圧が公然と行われていました。しかしこの大学の中では、まるで試験管の中で理想が純粋培養されているかのように自由でした。おそらく、軍が大学教育に関心がなく、優秀な若い教師が多数送り込まれたことによるものと思われ、この大学もいずれはキメラのごとき怪物に変身したことは間違いないと思いますが、その前に大学そのものが消滅してしまいました。
本書は、一人のジャーナリストがこの大学の卒業生のその後の軌跡を追って書かれました。この大学に関わった人々は、中国では売国奴とみなされ、日本では帝国主義の手先とみなされたため、多くが大学について語らず、辛い戦後を暮らすことになります。筆者が大学に在籍した人々を追う旅を始めた時、彼らはもはや相当高齢でしたが、多くの人々は建国大学に在籍していたことを、密かに大きな誇りと考えているようです。筆者は、中国、モンゴル、台湾、カザフスタン、韓国を旅して、在籍者の心の内を探っていきます。

2020年6月20日土曜日

映画「パウロ 愛と赦しの物語」を観て

 2018年にアメリカで制作された映画で、キリスト教の使徒の一人パウロの晩年を描いています。パウロはキリスト教の伝道に大きな役割を果たし、異邦人への伝道者と呼ばれます。映画の日本語版のサブタイトルは「愛と赦しの物語」となっていますが、英語版では「キリスト教の伝道者」となっています。なお、パウロはイエスの死後「回心」しますが、この時代のパウロについては、このブログの「映画で聖書を観る ローマ帝国に挑んだ男 -パウロ」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/04/blog-post_3082.html)を参照して下さい。
パウロは、30年の間に三度、大伝道旅行を行っており、それまでユダヤ教の一分派でしかなかったキリスト教を普遍宗教に高め、古代社会にキリスト教の共同体を築いたとされます。パウロはイェルサレムで逮捕されてローマに護送され、ローマで処刑されたとされます。そして映画は、ローマで獄中にあったパウロの言葉をルカが書き取るという形で進められます。「新約聖書」には7点のパウロの書簡が掲載されていますが、それ以外に、パウロの布教活動を記した「使徒公伝」があり、これがローマでのパウロが獄中で語ったものを、ルカが書き取ったとされるものとされます。ルカは、パウロのほとんどの伝道旅行に同行したとされ、パウロの思想を後世に伝える上で、極めて重要な役割を果たしました。彼はまた医者でもあったようで、後に医者の守護聖人となります。

映画は、ネロ帝によるキリスト教徒大迫害の時代の紀元67年に、ルカが賄賂を使ってパウロのいる牢獄に入り込み、パウロの言葉を筆記する場面を中心に展開され、パウロの強い意志とローマの街でのキリスト教徒の不安、さらに牢獄を管理する帝国の高官などの姿を描いており、大変興味深い内容でした。ただ、私個人としては、あまり面白い映画とは言えませんでした。なお、この年にパウロはローマで斬首されたとされており、映画でもそのように描かれていますが、パウロがローマで死んだかどうかについては、はっきり分からないようです。

2020年6月17日水曜日

「上海時間旅行」を読んで

著者佐野眞一ほか 2010年 山川出版
 本書は、主として戦前の上海を、8人の筆者がそれぞれ思いを込めて書いています。上海の歴史については、「映画で上海を観て」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2015/08/blog-post_29.html)を参照して下さい。
 上海は、「東洋のパリ」とか「魔都」などとも呼ばれ、多くの顔をもった都市でした。この町では、犯罪者、スパイ、文学者、革命家などさまざまな人々が蠢いており、また日本にとっては、西洋への最も近い窓口でもありました。本書で扱われているテーマは、どれも大変興味深いのですが、ここでは内山書店のみを紹介しておきたいと思います。
 この書店は大正6年から昭和20年までの30年間、上海の共同租界で開業していました。書店にはさまざまな本がおかれ、さらに自由にお茶が飲めるサロンがあり、そこでは読書するのも談笑するのも自由で、多くの人がこの書店を訪れました。このサロンには魯迅も頻繁に訪れ、後には官憲に追われた魯迅が書店の2階に居候をしていたそうです。その魯迅をスメドレーがしばしば訪問していたそうです(「偉大なる道 上下」を読んで https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2016/04/blog-post_20.html)
 戦後も日本人には、上海に特別の思いを持つ人がいました。私の父はほとんど歌を歌わない人でしたが、それでも時々、昭和26年に発表された「上海帰りのリル」という歌を口ずさんでいました。父は上海に行ったことはないとは思いますが、この歌は多くの日本人の上海への郷愁を歌った歌なのだろうと思います。

2020年6月13日土曜日

映画「レクイエム」を観て


2009年に制作されたイギリス・アイルランドによる合作映画で、1960年代後半から1998年のベルファスト合意まで断続的に発生した紛争、つまり北アイルランド紛争の一つの局面を描いています。原題は「至福の5分間」です。アイルランドそのものについては、今まで何度も述べてきたので、ここでは繰り返しません。アイルランドについては、このブログの以下の項目を参照して下さい。
「アイルランド史入門」を読んで(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2015/09/blog-post_23.html)
映画でアメリカを観る(4) 遥かなる大地へ(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2015/02/blog-post_7html)
映画でアイルランドの独立を観て (https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2019/05/blog-post_25.html)

映画「ヴェロニカ・ゲリン」を観て(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2018/02/blog-post.html)

 アイルランドは長い闘争の末1922年に自治国となり、1937年に完全独立します。しかし、問題が残っていました。つまり北アイルランド問題です。クロムウェルの時代以来、北アイルランドには多くのイギリス人が移住し、自分たちの社会を築いてきました。そのためアイルランドが独立する際、彼らはプロテスタントであるため、カトリックのアイルランドに併合されることを拒否し、イギリス領としてとどまりました。そして彼らは、北アイルランドのアイルランド人つまりカトリック教徒を、政治・宗教・経済などあらゆる面で差別的に扱いました。こうしたことに対する不満がカトリック系住民の間に広がり、1960年代末ごろから警官とカトリック系住民との大規模な衝突、カトリック系、プロテスタント系双方のテロ組織によりテロの応酬が続き、北アイルランドは泥沼状態となっていきます。
 映画は、プロテスタント系テロ組織に属する若者が、カトリック系の若者を殺すところから始まります。1975年、アルスター義勇軍のメンバーである17歳のアリスター・リトルは報復テロとしてカトリック教徒である19歳のジム・グリフィンを殺害します。彼は命じられるがままに、初めて拳銃を与えられ、軽い気持ちでジムを射殺しました。しかし、その現場をジムの8歳になる弟ジョーが目撃していました。その後アリスターは深い後悔の念に捉われ、苦しみ続けます。一方、事件を目撃したジョーは、兄を助けなかったことに対するいわれのない非難を受け、トラウマに苦しみ、犯人にナイフを突き刺す「至福」の時を夢見ていました。
 その後色々あって、30年以上たった後に、二人はようやく過去から解放されます。アイルランドの内戦は、スペイン内戦同様、多くの人々に深い傷を残したのでした。

2020年6月10日水曜日

「イスラームから見た世界史」を読んで


タミム・アンサーリー著 2009年 小沢千重子訳 紀伊国屋書店 2011
 筆者はアフガニスタンで生まれ育ち、やがてアメリカに留学し、アメリカで世界史教科書編集の仕事をしていました。ところがアメリカの世界史教科書には、イスラーム世界の記述がほとんどないため抗議しましたが、却下されました。以下は、当時の世界史教科書の目次です。
1.文明の誕生 エジプトとメソポタミア
 2.古典時代 ギリシアとローマ
 3.中世 キリスト教の興隆
 4.再生 ルネサンスと宗教改革
 5.啓蒙時代 探検と科学
 6.革命の時代 民主革命・産業革命・技術革命
 7.国民国家の出現 覇権をめぐる闘争
 8.第一次世界大戦と第二次世界大戦
 9.冷戦
 10.民主的な資本主義の勝利
教科書的な歴史は現在の状況を最高のものとして、そこから過去を振り返るものであり、欧米人にとって現在の状況とは「民主的な資本主義の勝利」ということになります。そこで筆者は、イスラーム世界から見た世界史を書くことを決意し、その結果が本書となったわけで、次にその目次を掲載します。
1.古代 メソポタミアとペルシア
2.イスラームの誕生
3.カリフの時代 普遍的な統一国家の追求
4.分裂 スルタンによる統治の時代
5.災厄 十字軍とモンゴルの侵入
6.再生 三大帝国の時代
7.西方世界の東方世界への浸透
8.改革運動
9.世俗的近代主義者の勝利
10.イスラーム主義の抵抗
どちらにも、東アジア史などが含まれておらず、私から見れば、西洋の地域史と西アジアの地域史にしかみえません。本書は650ページに及ぶ大著ですが、私は長く世界史を学んできたため、大半が知っている内容であり、読むのにそれほど苦労はしませんでした。それでも、イスラーム世界から見た歴史には興味深いものも多々ありました。たとえばヨーロッパ中世の項で次のように述べています。
当時のイスラーム世界は西ヨーロッパについて、ヨーロッパ人がその後久しくアフリカ大陸の奥地について無知だったのと同様に、ごく乏しい知識しか持ち合わせていなかった。ムスリムから見れば、ビザンツ帝国とアンダルス(スペイン)との間には太古の森が広がっているだけで、そこに住んでいるのはいまだに豚の肉を食べているような未開人だった。ムスリムが「キリスト教」というとき、それはビザンツ帝国の教会や、ムスリム支配下の領土で活動していた(アルメリア教会やコプト教会など)より規模の小さな各種の教会を意味していた。はるか西方の地でかつて高度の文明が栄えていたことは、ムスリムも知っていた。イタリア南部などムスリムがたびたび襲撃していた地中海沿岸地域には、その痕跡が歴然と残っていた。けれども、その文明はイスラームが世に出る以前の無明時代に崩れ去っており、今では過去の記憶にすぎなかった。

2020年6月6日土曜日

映画「馬を放つ」を観て


2017年に制作されたキルギス・フランス・ドイツ・オランダ・日本による合作映画で、近代化により滅びゆく伝統文化=遊牧騎馬文化を描いています。なお、遊牧騎馬文化については、このブログの「グローバル・ヒストリー 第10 遊牧騎馬民族の活動と内陸ユーラシア」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/01/10.html)を参照して下さい。







映画の舞台は、現在のキルギス共和国です。かつてのロシア帝国・ソ連領の中央アジアでは、ソ連邦崩壊後、カザフスタン・キルギス・タジキスタン・トルクメニスタン・ウズベキスタンが独立します。この地域は、古くからシルクロードの通路であり遊牧騎馬民族の活動の舞台でした。しかし近代化が進み、遊牧騎馬民の文化は廃れていきました。グローバリゼーションは、資本主義という共通の価値観で世界を一体化し、少数者を排除していきます。なお、ウズベキスタンについては、このブログの以下の項目を参照して下さい。映画「ダイダロス 希望の大地」を観てhttps://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2017/09/blog-post_30.html

映画「草原の実験」を観て http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2019/05/blog-post_11.html

主人公は村人たちからケンタウロスと呼ばれていました。ケンタウロスというのは古代ギリシア神話に登場する人と馬が一体となった怪物で、騎馬文化をもたないギリシア人が遊牧騎馬民族を見て想像した怪物だともされます。主人公は教育もない平凡な男で妻は聾唖者であり、5歳の息子も母親の真似をして言葉を話しません。解説によれば、これは不満を語ることができない、ケンタウロスを象徴しているのだそうです。やがてケンタウロスは夜競走馬を盗み出し、夜中中乗り回して返します。そのため馬が疲れて、競走馬として使えなくなってしまいます。一体誰が何のために盗むのか、村中で大騒ぎとなります。
やがてケンタウロスは捕まり、義兄に自分の心情を涙ながらに語ります。
昔キルギスの民が拳のように強く結束していたとき、欧州人は俺たちをケンタウルスと呼んだ。俺たちの祖先は、手を取り合い、平和に暮らしていた。家族の絆は強かった。しかし家族の絆は失われた。
ある晩夢を見た。白馬に姿をかえた神が現れ、人間たちの腹心の友となり、人間の翼となった。ところがお前たちは自分を神と思い込み、自然を破壊した。お前たちは富と権力を手に入れるため、肉にされた馬たちを思うと、心が引き裂かれる。俺たちは翼も心も失って怪物になってしまった。
 ごく普通のキルギス人が、伝統と文化の変容に直面し、そのストレスに耐えられなかった、ということでしょうか。
 その外に、この映画には二つの興味深い場面がありました。一つは言語です。キルギスのように長くソ連邦の支配下におかれた国では、言語は伝統的な言葉を話しますが、読み書きにはロシア語を使うことが多いのです。というのは、というのは伝統的な言語では、近代的な行政や科学に関する表現がないからです。キルギスでは、ロシア語が公用語、キルギス語は国家語だそうで、意味がよく分かりませんが、キルギス語を残そうという意志の表れでしょう。またキルギス語で書いたとしても文字はロシア文字を使います。映画では、ケンタウルスの聾唖の妻が手話で話し、書くときはロシア語を書いていました。ただしこの手話がロシア語なのかキルギス語なのか分かりませんが、多くの人々がキルギス語とロシア語を巧みに使い分けています。
 もう一つは宗教です。キルギスは長い間ソ連の支配下にあり、その間原則的に宗教は禁じられていましたので、信仰心があまり強くありません。今日人口の75%がイスラーム教徒で、映画でもモスクで礼拝の場面がでてきますが、信仰というより社会儀礼のようでした。イスラーム教はアラビア語を強制するので、嫌がられる傾向にあるようです。一方民間信仰は根強く残っているようで、ナマスと呼ばれる叙事詩か民間では親しまれているようです。ナマスは、9世紀にキルギスの独立を守って戦った英雄たちの物語で、その量においてホメーロスのオデュッセイアの20倍に及ぶそうです。ケンタウルスの信仰は、多分このナマスを基礎としたものだと思われます。
 なおナマスは、世界で最も長い詩として、ギネス世界記録に登録されているそうです。

2020年6月3日水曜日

映画「スノーデン」を観て




2016年に制作されたアメリカ・ドイツ・フランスの合作映画で、アメリカ国家安全保障局 (NSA)の職員だったスノーデンがNSAの情報収集の違法性を暴露した事件を描いています。
諜報活動というものは、何時の時代でも、どんな所でも、大なり小なり行われてきましたが、特に第二次世界大戦後に米ソの冷戦が本格化すると、諜報活動は大規模かつ組織的に行われるようになります。アメリカの諜報組織としては中央情報局(CIA)がよく知られていますが、NSACIAに劣らず重要です。NSAはアメリカ軍に所属し、その存在が長期間秘匿されてきたため、あまり知られていませんでした。CIAは主として人間を使った諜報活動を行うのに対し、NSAは主として電子機器を使った諜報活動を行いますが、どちらも諜報の対象は国外であって、自国民への諜報活動は禁止されています。そしてここで問題となったのは、自国民への諜報活動です。
権力は、少しでも多くの情報を得たがるし、可能な限り情報を隠匿したがります。その結果諜報機関が肥大化し、一人歩きするようになります。特に2001年に起きた9.11同時多発テロ事件以降、諜報活動が重視され、政権もこれを容認するようになります。本来の調査対象が外国であったとしても、それと関連する国内組織や人物を調査・諜報し、さらにこれと関連する個人を調査していく過程で、膨大な個人に対する諜報が行われ、プライバシーの侵害が行われました。
スノーデンは、大学でプログラミングなど計算機科学を学び、その過程でパソコンやゲームのオタクとなります。2003年に19歳で大学を離れ、特殊部隊の兵士としてイラク戦争に派遣され、さらにその後CIANSAでコンピューターセキュリティに関連する仕事を行います。アメリカの若者には、軍や政府機関で働くことで国家に奉仕したいと考える人が多く、彼もまたそういった若者の一人でした。この過程で彼は、CIANSAが行っている違法な活動やプライバシーの侵害を目撃します。彼は、常に自由を基本理念とするアメリカ合衆国憲法に忠実であろうとし、それこそがアメリカの民主主義の基礎だと信じていました。しかし彼がCIANSAで目撃した事実や彼の日々の職務そのものが、こうした理想とはかけ離れており、ストレスが強まって癲癇の発作まで起こすようになります。それでも、オバマが大統領に就任すると、スノーデンは事態が改善される期待していたのですが、その期待は裏切られました。
 こうした中で、スノーデンはNSAの情報収集活動を暴露しようと考えるようになります。こうした行動は彼自身の暗殺や逮捕に繋がる危険性がありましたが、すでに2006年にオーストラリアのジャーナリスト・アサンジがウェブサイト・ウィキリークスを立ち上げ、ハッキングによって得た機密情報を次々と暴露していました。こうした時代背景のもとに、スノーデンは2012年から2013年にかけて、NSAによる情報収集活動を暴露しました。その内容は驚くべきもので、アメリカの同盟国の首脳のメールや電話を傍受し、さらにアメリカ国民に対する幅広い情報収集が行われていました。スノーデンが29歳の時でした。
 その後スノーデンは潜伏生活を続けた後、ウィキリークスの支援でロシアに亡命し、彼の恋人も合流して平穏な生活を送っているそうです。国家機密を暴露することは、機密に関わっている人々の安全を脅かす可能性がありますが、それでも長期的に見れば自由と民主主義の発展にとって、情報を公開することは不可欠です。実際、その後のアメリカでは、情報収集に関する一定の制限が行われるようになりました。
なお、この映画の撮影は、アメリカでは妨害されたため、ドイツで行われました。