2000年に制作された中国・アメリカの合作映画で、中国系アメリカ人の女性監督によって制作されました。この映画は、中国で最初の映画(西洋鏡・活動写真・Shadow
Magic)がどのように制作されたかを語っています。
1891年にアメリカのエジソンが映写機を発明して以来、映画は急速に発展し、早くも1896年には日本にもたらされ、1898年には最初の映画が撮影されました。中国でも、1896年に初めて映画が上映され、1905年に北京の写真館で京劇が撮影され、これが中国最初の映画とされます。この映画は「1905年に北京の写真館で京劇が撮影され」という事実をもとに、中国における映画の誕生を語っています。
この映画の主人公は、豊泰写真館で働くリウ(劉)で、彼は腕のいい写真技師で、また京劇の役者の娘に恋をしていました。そして1902年、この写真館にレイモンドというイギリス人が訪れ、西洋鏡なるものを紹介します。レイモンドは、映画に熱中して借金を重ね、妻子に逃げられたため、一旗あげるために中国にきていました。レイモンドから西洋鏡を見せられたリウは、映画に熱中し、北京でも映画が大評判となりますが、それはリウにとって恩のある写真館の主人を裏切ることであり、恋人の父である京劇役者のライバルとなることでもありました。
リウは苦しみながらも、レイモンドとともに映画の撮影と上映に熱中します。そして二人で万里の長城の撮影に行ったとき、レイモンドはリウに言いました。「中国に今必要なのは、中国のすばらしさを世界に伝えることだ。変貌する前の姿を記録にとどめ、世界中に見せることだ」と。その後レイモンドは、ある事件をきっかけに中国から追放されますが、リウはレイモンドの仕事を引き継いで、映像を撮り続けます。彼が撮ったのは、北京に住む普通の人々の日常生活であり、また中国の美しい風景でした。彼の映画は大評判となり、結局北京の写真館が、1905年に京劇を撮影し、これが中国最初の映画となります。
すでにこの時代に京劇は衰退しつつあり、映画の普及は京劇の衰退を決定的なものとしましたが、その映画という新しい技術が、伝統的な芸術を後世に残す役割を果たしたわけです。この映画の監督は、映画の主人公と同様に、多分中国の伝統と映画をこの上なく愛していたのだと思います。映画は全体にコミカルなタッチで描かれていますが、感動的で良くできた映画だと思います。