2015年9月26日土曜日

映画で宗教改革を観て

はじめに
 宗教改革について、以前にはずいぶん沢山の本を読みました。何しろマックスヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」や大塚史学を学んだ世代ですので、宗教改革に関心をもつのは当然ですが、もう長い間宗教改革に関する本を読んでいませんので、最近宗教改革についてどのような研究が行われているのか、まったく知りません。
 宗教改革が起きた背景には、いろいろあるかと思いますが、何よりもカトリック教会に対する信頼が失われたことが大きいのではないでしょうか。1415世紀の苦しい時代に、カトリック教会は民衆を助けることがでなかっただけでなく、醜い内輪争いを繰り返し、今やローマ教皇は世俗君主となんら変わらない状態となっていました。一方、ルターは150522歳の時に修道士となり、祈りと研究の日々を過ごしていましたが、しだいに一つのことに思い悩むようになりました。つまり、いかに厳しい修行をしても、自分が神の前で正しい()と確信できなかったことです。そして彼が得た結論は、人間が義となるのは善行という行為ではなく、信仰によってのみである、ということでした。このことは、広く解釈するなら、信仰とは形式ではなく個人の内面の問題なのだ、ということではないでしょうか。そして、これによってルターは、千年以上続いたカトリック教会の体制に風穴を開けることになります。
 ルターと同じように、多くの人々が自分の罪が許されるのかどうか、ということについて不安を抱いていました。そうした中で、教会は贖宥状なるものを大々的に販売し始めたのです。それは、「贖宥状を買うことで、煉獄の霊魂の罪の償いが行える」というもので、平たく言えば「贖宥状を購入してコインが箱にチャリンと音を立てて入ると霊魂が天国へ飛び上がる」ということです。これにはカトリック教会内でも眉をひそめる人が多かったのですが、人は「信仰によってのみ義となる」と考えるルターにとっては黙視することのできない問題でした。彼は、1517年に有名な「九十五カ条の論題」を提出して贖宥状を批判しますが、この段階で彼は教皇を批判しようとか、カトリック教会を分裂させようと思っていた分けではありませんでした。彼はカトリック教会によって追い詰められ、しだいにカトリック教会から離れていったのです。
 当時、宗教・政治・経済体制に不満を持つ人々が沢山おり、ルターの主張はそういう人々にまたたくまに広まり、ルターの言葉を拠り所に、各地で反乱が頻発し始めました。また、ルターの説より過激な説を唱える人々もいました。まさに宗教改革の火ぶたは切って落とされたのです。前に述べたフランチェスコは、組織の巨大化を前に苦しみましたが、ルターには行動力があり、自説に反する者を切って捨てる強靭さがありました。こうして人々は、宗教のために血みどろになって戦うようになり、この戦いは17世紀の半ばまで続くことになります。
 ここで述べる映画は、ルターではなく、むしろルターとは異なる立場をとる人々の物語です。


キング・フォー・バーニング


1994年にドイツで制作されたテレビ・ドラマです。この映画は、1534年から1535年までの、再洗礼派によるミュンスターの反乱を描いています。「キング・フォー・バーニング」というのは日本語版のタイトルで、「火刑王」といったような意味でしょうか、意味がよく分かりません。原題は「終わりの日の王」ですが、これも意味がよく分かりません。もともと200分近くある映画が120分程度に短縮されているため、映画の意図が分かりにくくなっています。
再洗礼派とは、まだ信仰の自覚のない幼児洗礼を否定し、成人してから自らの意志で洗礼するというもので、キリスト教世界では基本的にすべての人が幼児洗礼を受けるため、成人してから洗礼を受けるということは、結果的には再洗礼ということになります。洗礼とは水で清めるということで、多くの宗教に見られる慣行ですが、キリスト教の場合、洗礼者ヨハネがヨルダン川で洗練を行い、イエスもヨハネによって洗礼されたところから、中世においては、魂を浄化しキリスト者になるための儀式として幼児に洗礼が行われるようになりました。

 今日の我々から見ると、再洗礼派の主張はもっともだと思いますが、キリスト教しかない世界において、生まれた子供に少しでも早く神の保護を与えたいという気持ちも理解できます。権力の側からすれば、成人してから洗礼したとすれば、その段階で洗礼を拒否する可能性が生まれ、それは体制崩壊に繋がりますので、何もわからない子供の内に体制内に取り込んでおく方が便利です。したがって、当然カトリック教会は再洗礼を認めないし、ルターも認めませんでしたが、再洗礼派は急速に支持を集めていきました。そして、ミュンスターにおいて、一時的ではありますが、この再洗礼派が支配することになります。
 1532年、宗教改革が始まってすでに15年たっており、ミュンスターでも宗教改革への期待が高まり、1532年から33年にかけてルター派による改革が進められましたが、この間に再洗礼派が急速に勢力を拡大し、1534年には再洗礼派が市政の実権を握ります。これに対して、この地方を支配する領主司教とルター派の軍隊がミュンスターを包囲し、ここにミュンスターの反乱が始まります。こうした中で、オランダから二人の再洗礼派の預言者を自称する人物が到来します。ヤン・マティスとヤン・ファン・ライデンです。彼らは、キリストの再臨は目前に迫っていること、ミュンスターは新エルサレムであると説き、信じない者には財産を置いて立ち退きを命じ、さらに各地から再洗礼派の信者を多数呼び込みます。今やミュンスターは熱狂の坩堝と化していきます。そして映画は、ここから始まります。
 ヤン・マティスは間もなく死に、ヤン・ファン・ライデン(以下ヤン)が新しい指導者となります。そして映画では、ヤンはペテン師ということになっています。以前ヤンと組んで旅芸人をしていたセバスチャンが、たまたま訪れたミュンスターで、ヤンが預言者として崇拝されているのを目撃し、以後ヤンが処刑されるまで冷めた目でヤンの行動を見つめるという形で、映画は進行します。やがてヤンは新エルサレムの王となり、また一夫多妻制を認めたり、滅茶苦茶としか思えないような行動をとります。なお、当時再洗礼派の信者には女性が多く、再洗礼派を拒否する男性の多くがミュンスターを去り、逆に多くの女性信者が流入したため、極端に女性の数が増えていました。そのことが一夫多妻制を奨励する要因となり、ヤン自身16人の妻をもっていたとのことです。


 しかし、町の包囲網はますます強化され、食糧を搬入することも困難となり、人々は飢え、そして1535年に町は陥落し、ヤンは捕らえられます。彼は激しい拷問にも耐え、道化師としてエルサレム王を演じ続け、処刑されて死んでいきます。そして彼と仲間の三人の遺体は、檻に入れられて教会の塔に吊るされ、その三つの檻は、現在も吊るされています。映画の原題「終わりの日の王」というのは、こういう意味なのかもしれません。ヤンの死を見届けたセバスチャンは町を去り、ミュンヘンの反乱は終わります。
 宗教改革で人々の価値観が激しく変わっていく中で、人々は混乱し、対立し、途方に暮れます。この時期には、騎士戦争、ドイツ農民戦争、シュマルカルデン戦争など立て続けに騒乱が起こっており、この混乱はさらに100年以上続きます。ミュンスターの乱も、こうした一連の事件の一つでした。ヤンが本当にペテン師だったかどうかは分かりませんが、こうした混乱の時代にペテン師が暗躍したとしても不思議ではありません。そもそも本当のペテン師はだれなのでしょうか。ヤンなのか、カトリック教会なのか、それともルターなのか。ただ、道化師セバスチャンのみが、冷めた目でこの混乱の時代を見つめていました。

バトル・オブ・ライジング コールハースの戦い

2013年にドイツ・フランスの合作で制作された映画です。タイトルの「バトル・オブ・ライジング」というのは、意味が分かりません。「蜂起」といったような意味なのでしょうか。原題は、「ミヒャエル・コールハース」で、この人物は日本ではあまり知られていませんが、ヨーロッパではよく知られた実在した人物のようです。この映画は、宗教改革とは直接関係ないのですが、宗教改革の時代の出来事であり、ルターが間接的に関係してきます。
 時代は、多分ドイツ農民戦争が終わってまもなくの1530年代頃で、ミヒャエル・コールハースという馬商人が、ドイツ(神聖ローマ帝国)のザクセンに馬を売りにいくところから、ドラマは始まります。このコールハースがどこの人物なのか、全然わからず、時々「王妃」とか「陛下」と呼ばれる人物が登場しますが、彼女がどこの王妃なのかも分かりませんでした。ところが映画の最後に、ナバラ王妃マルグリットであることが分かります。ナバラはスペインとフランスの国境地帯にあるバスク人の居住地で、スペイン側はすでにスペイン領となっていましたが、フランス側はまだ一応ナバラ王国として独立していました。しかしナバラ王国も後にフランスに併合されますから、今日の国境から見れば、コールハースはフランス人ということになります。バスク人ついては、このブログの「「バスク大統領亡命記」を読んで」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/04/blog-post_8.html)を参照して下さい。つまりコールハースは、ピレネー山脈で馬を育て、それをドイツに売りに行っていたのだと思います。彼はルターを尊敬し、常にルターのドイツ語訳の聖書を持ち歩いていました。一方、ナバラ王妃マルグリットはルネサンス文芸の保護者として知られ、ルター派にも好意的な立場をとっていました。なお彼女は、フランスのブルボン朝を創始するアンリ4世の祖母です。
 映画では、ある男爵がコールハウスから通行料として馬を取り上げ、それに対してコールハウスが裁判に訴えることから始まります。しかし男爵は宮廷の実力者たちに手をまわして控訴を棄却させ、さらにコールハウスの妻を死に追いやります。これに対してコールハウスは仲間を集め、男爵の館を襲い、男爵が逃げ出すと男爵を追い詰めるため、あちこちの町を襲うようになります。そして彼のもとに、封建的支配に不満を持つ何百人もの人々が集まり、今や完全に暴動と化していました。ルターは、暴力的行動に及ぶことには批判的で、ミュンスターの乱でも農民戦争でも弾圧を支持し、今回もコールハウスを非難します。しかしルターはコールハウスに直接会い、実情を知り、彼を赦免するようにいろいろ努力します。この間ナバラ王妃がいろいろ関わっているようですが、具体的にどう関わっているのか、よく分かりませんでした。
 コールハウスは、妻を殺されたという恨みもありましたが、男爵が不当にも馬2頭を奪ったという不正を許すことができず、不正は正されねばならないと考えていました。たかが馬2頭のために、ここまでするかとは思います。ルター(あるいはルターの代理人)は、「たとえ不正が行われたとしても、人を殺し続けることは間違いだ」と言います。結局、2頭の馬は返還され、男爵は2年の禁固刑を受けることになり、反乱を起こしたコールハウスは処刑されることになりました。これで男爵の不正は正され、コールハウスは満足して死んでいきました。コールハウスは不正を許せない頑固な義賊といったところでしょうか。彼はフランスでもドイツでも人気があるそうです。
 ルターが放った宗教改革という矢は、あらゆる所に飛び散り、ヨーロッパを大きく変えていきました。コールハウスの事件も、こうした大きな流れの一環だったのではないでしょうか。

わが命つきるとも

1966年にイギリスで制作された映画です。原題は“a man for all seasons”で、「どんな状況でもぶれない人」、つまり「信念の人」といった意味でしょうか。主人公は、イギリスを代表する人文主義者であるトマス・モアで、イギリスの宗教改革に最後まで同意せず、処刑された人です。
トマス・モアはヨーロッパでも名の知られた学識あるある人であり、また「良識」ある人物として知られていました。ヨーロッパ中が宗教改革で揺れ動く中で、彼はカトリック教会への信仰を護り続けていました。当時、カトリック教会の腐敗には目に余るものがあり、モアは誰よりも、そのことをよく知っていました。しかし、その問題とは別に、教皇を頂点とするカトリック教会による秩序ある信仰が必要であると信じていました。彼が1515年に著した「ユートピア」は、「ユートピアという架空の国を舞台に、自由、平等で戦争のない共産主義的な理想社会を描いたもの」(ウイキペディア)です。それは現実にはありえないものですが、同時に乱れ切った現実への痛烈な批判でもありました。それでも彼は、カトリックへの信仰を捨てることはありませんでした。
一方、テューダー朝は、ヘンリ8世でまだ2代目で、王朝の正統性そのものを否定して王位を要求する貴族もいるため、ヘンリ8世はどうしても直系の男子の後継者を必要としていました。テューダー朝の創始者ヘンリ7世は、長子のアーサーの妻としてスペインの王女キャサリンを迎えましたが、結婚直後にアーサーは事故で死んでしまいます。その後弟のヘンリ8世が即位し、大国スペインとの関係を維持するため、キャサリンを妻として迎えます。しかしこの結婚は宗教的には禁止されているため、ローマ教皇の許可を得て結婚しました。ところが、キャサリンが男子を生めなかったため、ヘンリ8世はキャサリンとの離婚を考え始めました。しかし、以前に教皇にキャサリンとの結婚の許可を得ていながら、今度は離婚を認めるなど、いくら教皇でも同意しかねます。しかもキャサリンは、当時ヨーロッパ最高の実力者であるスペイン国王カルロス1(神聖ローマ帝国カール5)の叔母に当たりますので、容易に離婚することができませんでした。この辺りの事情については、このブログの「三人の女性の物語 エリザベス」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/01/blog-post_1222.html)を参照して下さい。
そこでヘンリ8世はローマ教会からの離脱を決意し、1534年にイギリス国王を首長とする国教会を樹立し、キャサリンとの離婚を決定します。ローマ教会からの離脱という重大な問題を実行できた背景には、人々の中にカトリック教会に対する強い不満があったからです。そしてほとんどの人々が、自主的に、あるいは強制されて止む無く、あるいは表面上だけ、国王の決定に同意します。ところが、当時大法官だったトマス・モアが同意しませんでした。ここでは、大法官という地位だけが問題なのではありません。トマス・モアはヨーロッパ中で尊敬される知識人であり、良識人でした。イギリス人のすべてが賛成しても、トマス・モアが反対すれば、その決定の権威は半減してしまいます。そして結局、ヘンリ8世は、1535年にトマス・モアを反逆者として処刑してしまいます。
映画は、この間のトマス・モアの苦悩を描いています。この時代には歴史は激しく動いていました。特に、ルターの宗教改革以来、教会が分裂し、戦いに明け暮れていた時代です。彼が処刑された1535年は、ミュンスターの反乱の最中であり、またコールハウスが反乱を起こしていた時期でした。明らかに、時代はカトリックが衰退に向かう時代であり、世俗権力が宗教を支配する時代へと遷りつつありました。こうした時代に彼は、世俗が宗教に介入することに反対し、穏やかで統一された信仰を守ることを求めたのだと思います。トマス・モアの娘は、なんとか父の命を助けたいと思い、形だけでもよいから同意するよう父に懇願しました。しかし父は、「地球が丸いという者がおり、平だという者がいる。王が丸いと命じたら、丸くするのか」といって拒否します。
 ここで問題となるのは、カトリックが正しいのか、プロテスタントが正しいのか、ということではありません。どのような状況にあっても自分の信念を貫く、ということです。彼は決して物わかりの悪い人物ではありませんでしたが、どうしても譲れない一線があったのです。彼は死刑の宣告を受けた時、「私は王の忠実な召使いとして死にます。だが王より神のために死ぬのです」と述べとそうです。
1950年代のアメリカでは、「赤狩り旋風」と呼ばれる共産党主義者への激しい迫害が行われました。この映画は、こうしたことに対する反省の意味を込めて制作され、重厚な名画として多くの賞を受賞しました。


最後の谷

1970年にアメリカで制作された映画で、17世紀のドイツ(神聖ローマ帝国)で起きた三十年戦争を背景としています。ルターに始まった宗教改革は、今やドイツを荒廃させ、ずたずたに引き裂き、宗教に対する人々の熱い思いは、すっかり冷めてしまいました。三十年戦争については、このブログの「グローバル・ヒストリー 第18章 危機の17世紀」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/01/1817.html)を参照して下さい。
舞台となった時代は、三十年戦争が始まって23年後のことということなので、始まったのが1618年ですから1641~42年頃ということになります。そして1648年に三十年戦争は一応終わりますので、三十年戦争末期ということで、この頃すでにフランスが介入しており、戦争は泥沼化していました。場所ははっきりしませんが、西南ドイツのフランス国境に近い所のようで、この辺りで激戦が繰り広げられます。
主人公は、ヴォーゲルという名の元教師で、戦争で両親・兄弟・妻子を殺され、安住の地を求めて放浪していましたが、当時のドイツにそのような場所があるはずもありません。各地で村が焼かれて廃村と化し、魔女裁判で処刑された人々が吊るされ、さらにペストで死んだ人々の遺体が山積みになっていました。ヴォーゲルは、そうした凄惨な場所から逃げるように山に入り込みますが、山の谷間に小さな村を発見します。その村は平穏で、豊かな実りに溢れていましたが、人が全くいませんでした。村人たちは、軍隊が近づくと山に逃れ、軍隊が去るまで隠れていたのです。この村が、これ程平穏だったのは、周りを山で囲まれ、1年の内6カ月も雪に覆われてしまうからでした。
まもなく20人ほどの傭兵隊が村に侵入し、掠奪しようとしましたが、ヴォーゲルは隊長と話し合い、村人を守ってやる代わりに、冬の間この村で過ごさせてもらおうと提案しました。隊長はこの提案を受け入れ、村長と話し合い、色々条件を決めて、ヴォーゲルと傭兵隊はこの村に住むことに決めました。ここに、村人とヴォーゲルと傭兵隊の奇妙な関係が成立することになります。この村は敬虔なカトリックの村でしたが、村の外ではもはや宗教など関係なくなっていました。この戦争はカトリックとプロテスタントの対立という宗教戦争として始まりましたが、傭兵たちの中にはカトリックもプロテスタントもいました。村人は迷信深く、村にいるたった一人の神父の言葉に従順でしたが、傭兵たちは戦いと掠奪と強姦に明け暮れる毎日を過ごしてきました。ヴォーゲルは、こうした人々の共存を冷静に見つめます。
やがて、別の傭兵たちが掠奪のため村を襲ってきました。村の傭兵の数は少なかったのですが、地形を巧みに利用し、侵入した傭兵たちを倒すことに成功します。その戦闘場面は、黒沢監督の「七人の侍」と非常によく似ており、大変興味深く観ることができました。まもなく冬となって村は雪に覆われ、平穏な日々が訪れます。ヴォーゲルにとっても傭兵隊たちにとっても、久々に味わった平穏な日々でした。しかし村の人々にとって、ヴォーゲルや傭兵隊は、もはや必要のない人びとであって、早く出て行ってもらいたいと思っていました。そして雪が解けると、傭兵隊長は新たな戦いのために村を出ていき、戦死します。ヴォーゲルも、このままでは村人に殺される危険があるため、出ていきました。
その後、ヴォーゲルやこの村がどうなったのかは分かりません。戦争はまた6年続きます。この映画が何を主張したいのかはよく分かれませんが、30年に及ぶ戦争の一コマが、奇跡的に平穏を保った一つの村を通じてよく描かれていると思います。そしてルターに始まった宗教的な熱狂は冷め、人々はしだいに信仰心を失っていくことになります。




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