私の書棚にあった南京大虐殺に関する本を3冊読みました。南京大虐殺に関する本は数えきれないほどあり、すでに私も読んだことがあるのですが、ここでもう一度智識を整理しようと思い、ウイキペディアの三つの項目「南京事件」「南京事件論争」「南京事件の証言」を読みました。この三つのテーマで、ほとんど本一冊部分の量があり、諸説入り乱れて、かえって分からなくなってしまいました。特に犠牲者の数に関する議論は「為にする議論」が多く、これでは犠牲者が浮かばれないだろうと感じました。
1937年7月に北京郊外で起きた盧溝橋事件をきっかけに、日中戦争が始まりました。さらに8月に上海事件が起き、11月に上海を制圧すると、休む間もなく中華民国の首都南京の制圧に乗り出したのです。そのため補給路が十分確保できず、食糧は現地調達ということになったのですが、それはつまり略奪です。村々が略奪され、ついでに婦女暴行と虐殺が行われました。虐殺はすでに始まっていたのであり、この時の数を南京大虐殺にいれるかどうかで、総数が異なってきます。いずれにせよ、12月10日に南京攻撃が開始され、13日に陥落、それからおよそ2カ月にわたって、南京とその周辺で虐殺、略奪、暴行が繰り広げられます。
南京大虐殺については、当時日本ではほとんど知られておらず、戦後の東京裁判でその事実が知らされ、国民に大きな衝撃を与えました。その後南京大虐殺についてあまり関心がもたれませんでしたが、1980年代に再び注目されるようになります。1982年に文部省が日本史の教科書に関して、日本の中国への「侵略」を「進出」と書き直させたという報道がなされました。この報道は誤報だとも言われていますが、真相は私には分かりません。いずれにしても、これをきっかけに中国が日本の教科書における南京大虐殺に関する記述に不満を表明し、南京大虐殺について関心が高まりました。ここで紹介した本は、すべて1980年代に出版されたものです。
なお、南京大虐殺は無かったとする人々がいますが、一般的にはこうした主張は支持されていません。こうした人々は、アウシュヴィッツでのユダヤ人抹殺はデマであるとか、アンネ・フランクは実在しないなどと主張する人々と同じだと思います。
中国/南京市文史資料研究会編、1983年、加々美光行・姫田光義訳、青木書店(1984年)
本書の目的は、著者が「あとがき」で述べているように、「日本軍による南京大虐殺の歴史資料を比較的系統的に保存することのほか、真実の歴史的事実を用いて人民に愛国的教育を行い、もって祖国を守り、平和を守るための認識と信念を高めることに着眼点をおくものである。……わたしたち中国政府と人民は、いずれも中日の友好を主張するものである。」
本書は南京虐殺の生き残りの証言や慈善団体の埋葬記録などに基づいて、40万人が虐殺されたとしています。中国政府の発表は30万人以上ですので、日中関係の現状を配慮して、本書は当初内部発行扱いとなりました。なお、この年に南京で南京大虐殺記念館が創設されますが、本書との関係については知りません。
虐殺された人々の数についての議論は止めておきますが、いずれにしても、こうした知りうる事実を積み重ねていくことが大切なのだと思います。
曽根一夫著、1984年、彩流社
タイトルに「続」とありますから、当然本編があるわけですが、たまたま私の書棚にあったのが、この本だったということであり、私は本編を読んでいません。
本書は、著者自身が一兵士として南京攻略に参戦し、著者自身が見聞し体験したこと、南京に向かう際の兵士の心情、食糧を強奪し、女性を犯し、村人を殺害し、村を焼く時の心情が描かれています。そして著者自身もこれらに参加したことを告白しており、二十歳を超えたばかりの若い兵士が戦塵にまみれて急速に変貌していく姿を描いています。もし、私自身が一兵士としてその場にいたら、私も筆者と同じように振舞ったでしょう。そして、一生この件については口を閉ざし続けただろうと思います。筆者自身が言うように、虐殺された中国の人々の怒りは当然ですが、加害者もまた、ある意味では被害者なのだとおもいます。
本書は、本編も含めて、出版直後から多くの批判を受け、書かれていることは嘘だと主張する人たちがいました。もちろん部分的な誤りはあるかもしれませんが、全体としてここで述べられていることが間違っているようには思えません。むしろ、こうした記録を書き残した勇気を讃えたいと思います。
秦 郁彦(はた いくひこ)著、1986年、中公新書
著者は日本近代の軍事史の専門家だそうで、部隊の配置や動きなどを通して、南京で起きたことを説明しようとしています。その際、タイトルを「南京大虐殺」ではなく南京事件とし、そこで起こったこともアトローシティ、つまり戦争においての残虐・残忍行為とします。南京事件で起きたことは、虐殺だけではない、ということです。
虐殺された人々の数については、利用しうる資料の範囲内で3万人と推測しており、中国側の発表とはずいぶん違いがありますが、筆者は、新しい資料が出れば追加すると述べています。被害者の数については、一つ一つ事実を積み重ねていくしかないと思います。もちろん、3万人でも十分大虐殺です。
南京事件の原因について色々語られていますが、どれもこれ程の惨事に至るには不十分のように思われます。筆者があげている原因の一つは、「昭和の日本軍は近代国家における近代的軍隊の資質を欠いていた」ということです。「他者への配慮と自立能力の不足、いいかえれば国際感覚の欠如と「下剋上」の現象であった。日清・日露戦争時代の日本軍は、神経質と思われるほど国際関係に注意を払い、とくに国際法規を守ることに熱心だった。それによって早く欧米先進諸国へ仲間入りする資格を獲得し、国民的悲願だった条約改正を実現したいという実利上の配慮もあった。しかし国際連盟脱退を転機として「世界の孤児」となった日本は、国際関係に配慮する精神的余裕を失ってしまったかに見える。しかも孤立への反動として狭量な日本主義、国粋主義の風潮が台頭し、青年将校たちの心をとしらえた。それに満州事変と派閥抗争の所産である「下克上」が結びつけば、不軌暴走は避けられれない。」