2012年にノルウェーで制作された映画で、実在したノルウェーの人類学者ヘイエルダールの冒険物語です。
まず、この映画の舞台となったポリネシアについて触れておきたいと思います。ポリネシアは、ハワイ、ニュージーランド、イースター島の三点を結ぶ三角形の海域で、その中にタヒチを含む多くの島々があります。「ポリ」とは「多い」という意味で、分子量が大きい高分子からなる物質をポリマーといい、合成高分子としてはポリエチレンなどがあります。またネシアは島々という意味で、インドネシアはインドの島々で、したがってポリネシアは多くの島々という意味です。ポリネシアに住む人々はモンゴロイド系の人々で、台湾に定住していた人々が、紀元前2500年ころから新たに進出してくる人々に押されるように海上に進出し、太平洋の島々に定住するようになりました。長い年月をかけたとはいえ、これ程広い海を移動するには、相当の航海技術があったと思われます。
ノルウェーの若い人類学者ヘイエルダールは、ポリネシアに滞在中にポリネシアの文化が南米のインカ文明に類似していることに注目し、ポリネシアの人々はアメリカ大陸から移住してきたのではないかと考えるようになります。考えてみれば、はるか昔にベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸にやってきた人々も、モンゴロイド系の人々でした。しかし、ポリネシアの人々がアジアからやってきたという学説は確立していること、さらに何千年も前の人々に何千キロもの航海は不可能であるといったことから、彼の主張は学界では受け入れられませんでした。
そこで彼は、16世紀のスペイン人がインカ帝国で使用されていた船を再現し、ペルーからポリネシアまで航海することになりました。現地の材料のみで制作された筏はコン・ティキと名付けられ、それはインカ帝国の太陽神ビラコチャの別名だそうです。1947年4月28日、ヘイエルダールと5人の乗組員がペルーの港を出港しました。ほとんど素人ばかりでした。船は筏であるため、方向を自由に操ることはできませんので、まずフンボルト海流で北上し、途中で赤道海流に乗り換えてポリネシアに入ります。筏には無線機が積み込まれており、彼らの行動は全世界に伝えられていました。そして出発してから101日目、8月7日に筏はポリネシアに到達します。
筏には撮影機も持ち込まれており、これを編集したドキュメンタリー映画は、アカデミー賞を受賞しました。ヘイエルダールの書いた「コン・ティキ号漂流記」は、何と5000万冊も売れました。実は私も買って読んだのですが、書棚を探しても見つかりませんでした。文庫本なので、どこかに紛れ込んでいるのでしょう。その後学界では、ポリネシア人のルーツを巡って大論争が展開されましたが、結局ポリネシア人のアジア・ルーツ説は覆らず、南米とポリネシアとの間に一定の交流があったことは否定できない、ということになりました。
ただ、ヘイエルダールの功績は、二つのことを我々に教えてくれます。一つは、古代人や現在の未開人の場合でも、現在の我々の技術を基準にして考えると不可能と思われるようなことを、やってのけるということです。我々は、まさかあんな時代にそんなことができるはずがない、という偏見を捨てなければならないということです。もう一つは、古代人にとって海は障壁ではなく道である、ということです。シルクロードの砂漠地帯を徒歩で渡ることも、船で海を渡ることも、同じくらい危険なのです。
その後ヘイエルダールは古代エジプト文明とアステカ文明の類似性に着目し、エジプトの葦で造った船「ラー号」でカリブ海に到達し、さらに葦で造った「チグリス号」でインド洋を公開するなどしました。まったく懲りない人ですね。彼は人類学者というよりは、冒険家というべきかもしれません。
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