1966年にブロードウェイで上演された演劇作品で、それが1968年にイギリスで映画化されました。内容は、イギリスのプランタジネット朝の創始者へんり2世を中心に、1183年のクリスマスに、シノン城を舞台とした夫婦、親子、兄弟の愛憎を描いており、「冬のライオン」とは、後継者問題に悩むヘンリ2世のことを指します。そして、この物語の背景は本当に複雑です。
前に、「映画「ヴァキング・サーガ」を観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2017/10/blog-post_21.html)で述べたように、イングランドは長くノルマン人の侵入に苦しめられ、結局11世紀に北フランスのノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服してノルマン朝が成立します。しかしそのノルマン朝も12世紀には王位継承を巡って混乱しますが、そうした中でノルマンディー公とアンジュー家の血を引くアンリがヘンリ2世としてイングランド国王に即位し、ここにプランタジネット朝(アンジュー朝)が成立します。そしてアンジュー朝をヨーロッパの大勢力に発展させたのが、ヘンリ2世とアキテーヌ女公アリエノール(エレノア)との結婚でした。
アリエノールは、相当したたかな女性でした。彼女は、豊かなアキテーヌ地方を中心とする広大な領地の女相続人で、15歳の時父が急逝すると、フランス国王ルイ7世と結婚させられます。1147年に彼女は夫ともに第2回十字軍に参戦しますが、途中で仲違いし、帰国後1152年に近親相姦を理由に離婚します。そして2か月後に11歳年下のアンジュー公アンリと結婚し、アンリがイギリス国王になると、今やフランス国土の3分の2とイングランドを支配するアンジュー帝国が成立することになります。アリエノールは、見事に前夫ルイ7世にしっぺ返しをしたわけです。もっとも、離婚の理由となった近親相姦という点では、アンリの方が血縁的に近かったとのことです。
ヘンリ2世は有能でバイタリティー溢れる君主で、イングランドやフランスの領地の安定に努めますが、家族には恵まれませんでした。彼には、若ヘンリ、リチャード、ジェフリー、ジョンの4人の息子がいましたが、彼らのうち、一人として父を裏切らない者はいませんでした。1173年若ヘンリは母アリエノールやリチャード、ジェフリーと組んで父に対して反乱を起こします。結局、翌年和解が成立しますが、しかし、ヘンリ2世はアリエノールだけは許さず、以後十数年間反逆の罪でイングランドでの監禁生活を強いることになります。
ところが、1183年に若ヘンリが病死したため、ヘンリ2世はこの年のクリスマスに、シノン城にアリエノールや三人の息子、新しいフランス王フィリップ2世を呼んで談合します。これが、この映画の舞台です。領域国家という概念が存在しない時代に、王は一身に多くの地位を集め、また家臣たちの個人的な忠誠によって自らの地位を保持していかねばなりません。領地を子供たちに分散させることは自らの国家を分散させることになります。特にアンジュー家はフランス領内に国王よりはるかに多くの領地をもち、その領地の所有者は形式上フランス国王の家臣ということになります。映画では、親子、兄弟、夫婦、愛人などの虚々実々の駆け引きが行われ、結局物別れに終わり、息子たちはそれぞれの領地に帰り、アリエノールは再び監禁されて、映画は終わります。
その後次男のジョフェリーは1186馬上槍試合での怪我がもとで死亡、1189年ヘンリ2世はリチャードとの戦いの途中で死亡、国王となったリチャードも1199年フランスで戦死します。結局、末っ子のジョンが国王となり、フランスのフィリップ2世と領地を巡って戦い、フランスにおけるアンジュー家の領土をほとんど失います。ジョンはあまり評判のよい君主ではありませんでしたが、結果的には彼の時代に、フランスに支配されないイギリスという政治単位が形成されることになります。一方、リチャードを寵愛したアリエノールは、リチャード即位後摂政となって実権をにぎりますが、リチャード死後隠遁して82歳まで生きます。教養があり、意志の強い女性だったようです。なお、ジョン王については、「映画「ロビン・フッド」を観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2017/01/blog-post_21.html)参照して下さい。
ところで、この映画が制作される2年前に、「ベケット」という映画が制作されました。ヘンリ2世とカンタベリー大司教ベケットとの友情と対立と悲劇的結末を描いた映画で、実はヘンリ2世とアリエノールを演じた俳優が、そのまま「ヘンリ2世」で登場します。カンタベリー大司教ベケットとヘンリ2世との物語は大変有名であり、その後のイギリスの宗教史にも影響を与えますので、是非この映画を観たかったですが、残念ながら手に入れることができませんでした。