2017年10月21日土曜日

映画「ヴァイキング・サーガ」を観て


2013年にイギリスで制作された映画で、8世紀末のイングランド王国形成期の暗黒の時代を描いています。DVDジャケットの下品な絵も、「ヴァイキング・サーガ」という邦題も、この映画の内容とは何の関係もありません。原題は「暗黒の時代」です。










イングランドには、古くからケルト人が住んでいましたが、紀元前後からローマ帝国の支配下に入り、5世紀ころアングロサクソン人が侵入し、七王国を建てます。この時代については、「映画で西欧中世を観て(1) キング・アーサー」 (http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/06/1.html)を参照して下さい。そして映画の舞台となったのは、七王国の一つノーサンブリア王国です。













ところで、イングランドにおけるキリスト教の普及の仕方には特異なものがあります。ローマ帝国の支配時代にキリスト教はイングランドでもある程度普及しますが、ローマ軍が撤退したのち、キリスト教も衰退してしまいます。ところが、ローマ帝国の支配を受けなかったアイルランドでは、キリスト教がケルト文化と結びついて独自の発展をし、イングランドでキリスト教が衰退した後には、アイルランドの修道士たちがイングランドにキリスト教を布教するようになります。そして、イングランドにおけるキリスト教布教の拠点となったのがノーサンブリア王国で、その北東岸に位置するリンディスファーン島(ホーリー島)に建設されたリンディスファーン修道院が中心となります。なお、リンディスファーン島は、潮が満ちると島となり、干潮になると土手道で本土とつながるようになっており、修道院は今日では廃墟となっていますが、今日でも観光客が集まっています。そしてこの映画の冒頭で、この島が映し出されます。



ノーサンブリアでは、ケルト文化やアングロ・サクソン文化などが融合したキリスト教文化が開花します。特に、挿絵や装飾がふんだんに施された手書きの福音書が多く作成され、その中でも有名なものはリンディスファーンの福音書です。この福音書は、当時すでに伝説となっており、この福音書を手に入れれば幸福を得られると信じられており、映画は、この福音書を守ろうとする修道士と、それを奪おうとするノルマン人との物語です。なお、この福音書は、宝石を散りばめた表紙は失われましたが、それ以外は非常に良い状態で1300年の歳月を超えて保存されており、大英図書館が所蔵しているとのことです。またウイキペディアによれば、この福音書の完全復刻版が丸善で220万円ほどで購入できるそうです。
 前置きが長くなってしまいましたが、この映画を理解するためには、この程度の予備知識が必要で、私も相当勉強しました。当時のイングランドは、七王国の内部対立、七王国間の対立、飢饉、ノルマン人(ノース人・ヴァイキング)による略奪で苦しんでいました。映画では、まず9世紀に編纂された「アングロサクソン年代記」が読み上げられます。時は793年、「ノーサンブリア王国で大飢饉と異教徒による修道院襲撃が起きた。異教徒たちは聖人の亡骸を犬の糞のように踏みつけた。」「修道士たちは辱めを受け裸で追放された。溺死させられた者もいた。」
 主人公のヘリワードは捨て子としてリンディスファーン修道院で育てられ、今や修道士たちがノース人に殺されていく中で、福音書を守るために先輩修道士と逃亡します。ノース人は故郷に帰っても貧しく、イングランドに定住して安定した生活を築きたいと考えていました。彼らにとって福音書の意味は分かりませんでしたが、イングランドで非常に尊重されているリンディスファーンの福音書を手に入れれば、イングランド支配を正統化できると考えていました。
 一方、ウェセックス王国のエゼルウルフという人物が、ヘリワードたちを護衛します。当時のエセックス王はエグバートで、彼は802年に七王国を統一してイングランド王国を樹立し、エゼルウルフはエグバートの息子で、イングランド王国の第二代国王となる人物です。イングランドの統一を目指す彼らにとってもまた、この福音書は重要な意味をもっていたのです。旅の途中各地の惨状を目の当たりにし、またケルトの宗教を信じる女性にも会いました。当時はまだケルトの宗教を信じる人々(キリスト教から見れば異教徒)がたくさんいたのです。いろいろな人との出会いがあり、当時の暗黒の社会が描き出され、苦労した末に福音書を安全な場所に届けます。その過程で、彼はただの本でしかない福音書を命かげで守ることに疑いをもつようになり、やがて修道士であることを止め、剣をとって侵入者と戦うようになります。そして映画は、「罪なき者の私の人生は、あの夜終わった」というヘリワードの言葉で終わります。
この事件については、おそらくイギリス人なら誰でも知っている事件だと思われますが、日本ではあまり知られておらず、理解するのが厄介な内容です。ただ、映画では様々な民族や宗教が葛藤し合いながら、イングランドが形成されていく状況が描かれており、私には大変参考になる映画でした。


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