柳父章著、1986年、筑波書房
本書は、19世紀前半に中国で活躍したイギリス人宣教師モリソンを中心に、「翻訳」というものの困難さと影響の大きさについて論じています。なお、著者は翻訳論を専門としているそうです。
モリソンは、1807年25歳の時に中国の広州に宣教師として赴任し、その地で27年間を過ごし、没します。宣教師とはいっても、清はキリスト教の宣教を禁じていますので、彼が滞在中に洗礼したのは10人程度だということですが、その間に彼は東インド会社の通訳や翻訳の仕事をするとともに、聖書の翻訳と華英字典の編纂という偉業を成し遂げます。歴史的・文化的な背景をまったく異にする言語を翻訳することは非常に困難な仕事で、モリソン自身が華英字典の序文で次のように述べています。
「読者は、翻訳に際して使える正確な言葉を、この字典に期待してはならない。ここで提供できるのは、しかるべき文句を取り出す手がかりとなるような言葉の意味なのである。また、中国語の詩的な意味が正確にここで得られると期待してはならない。言葉の移り変わる意味のすべてとか、よく使われる漢文古典の比喩の意味などもここに求めてはならない。そういうものは、これまでヨーロッパ人が中国語を学んできたのよりもずっと多くの、さまざまな才能の人たちの努力にまたなければならないのだ。」
聖書の翻訳にあたって特に問題となったのは、「ゴッド」をどのように訳すかということでした。モリソンは「神(シン)」と訳しましたが、中国における神は森や神社など至る所にいる身近な存在であり、モリソンは精神的な意味を込めて親しみのある神という文字を使ったわけです。これに対して、「上帝」という言葉を主張する人々がおり、この言葉は威圧的なイメージを与えます。本書は、こうした議論を中心に、「翻訳」ということの問題点を論じており、大変興味深い内容でした。
なお、モリソンの弟子であったアメリカ人宣教師が、日本で「ゴッド」を「神」と翻訳し、日本ではこの言葉が定着していくことになります。
市古宙三著、1989年、汲古書院
モリソンが翻訳した聖書の一部を、彼の弟子たちが手直しして小冊子として配布しました。特に彼らは、知識人が集まる科挙の試験場の入り口で配布したのですが、これがたまたま受験のために来ていた洪秀全の手に渡ります。当初、彼はこの冊子をほとんど読まずに放置していたのですが、ある時キリスト教についての不思議な夢を見て、その夢について語る過程で、太平天国の乱を起こします。
洪秀全の義理の弟に洪仁玕(こう じんかん)という人物がおり、彼は香港に滞在している時に、ハンバーグというスウェーデン出身の宣教師に洪秀全について語りました。ハンバーグはこの話をもとに、「洪秀全の幻想」という本を書き、これをもとにして本書が書かれました。したがって、ここで書かれた内容は太平天国の側から書かれたものであり、どこまでが真実かは分かりませんが、幻想的なイメージで書かれており、大変興味深い内容でした。