2012年にメキシコで制作された映画で、1910年に起きたメキシコ革命を背景としており、メキシコ革命100周年を意識しているのかもしれません。メキシコ革命については、このブログの「映画「革命児サパタ」を観て」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/10/blog-post.html)、「映画でラテンアメリカの女性を観る 命を燃やして」 (https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/09/blog-post_28.html)を参照して下さい。なお、メキシコ革命に関する映画は非常に多いそうで、その多くはマカロニ・ウェスタン調だそうです。ゲリラがカーボーイハットをかむり、馬で自在に走り回り、政府軍の兵士を次々とやっつけるという話で、この映画もそれに近いと思われます。
メキシコ革命には、多様な人々が登場します。山賊、ゲリラの首領、保守派の軍人、地主、インディオの理想を追う人などが、暴動、裏切り、処刑、虐殺などを繰り広げます。それでも、1917年にかなり理想主義的な憲法が制定されます。そして、この映画で問題となるのは、この憲法がカトリック教会に厳しい内容だったことで、教会や神学校は閉鎖されました。1924年に、無神論者であるカリェスが大統領となると、1926年6月にカリェス法を制定し、次々と教会財産を没収していきました。
こうした状況の中、1926年に暴動が発生、死者や逮捕者が相次ぎ、実質的に内戦の状況となりました。これがクリステロ戦争と呼ばれるものです。映画では、反乱は横暴な政府に対して信仰の自由を求める戦いとして描かれますが、実際には、革命以前のカトリック教会は人民を抑圧してきたし、この戦争に参加した人々の中には、金目当て、戦争好き、長い内乱で行き場を失った人々などが沢山いました。したがってこの戦いは、革命戦争という観点から言えば保守反動勢力による時代に掉さす戦いとも言えるでしょう。もちろん少数者の要求や信仰の自由ということは決して無視できい重要な問題ですが、それでもやはりこの戦いは、時代の流れに逆らうものでした。
この映画で、もう一つ興味深かったのは、アメリカの動向です。アメリカは19世紀前半のメキシコの独裁政権と手を結び、資本を投下し、その結果農村が疲弊していきます。そうした中で革命が起きるのですが、革命中にもアメリカは常に保守派を援助して、革命に介入します。そして映画では、アメリカは革命政権に接近し、武器提供まで申し出ます。結局アメリカの野心は果たせませんでしたが、今日に至るまでのアメリカとメキシコとの関係がほんの僅かでしたが、描き出されていました。
映画の内容には問題がありましたが、映画としては西部劇を見ているようで、大変面白く観ることができました。これがメキシコ映画というものなのでしょう。また、映画の最初に「アラビアのロレンス」のピーター・オトゥールが出演していました。彼はすぐ死んでしまいますので、ここでピーター・オトゥールのような大物俳優を出す理由がよく分かりません。彼は翌年81歳で死亡しました。
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