2019年6月12日水曜日

お知らせ


すでに投稿は500回を超え、アクセスも24万件を超えましたので、このブログを閉鎖しようとも考えました。ネット上に流された情報は、私自身が閉鎖しない限り、永遠に残ってしまいますので、生きている内に閉鎖しておかねばならないと思っています。ただこのブログにもまだ未練があり、ほとんど私の体の一部のようになっていますので、容易に閉鎖に踏み切れません。結局、もう少し細々とブログを続けていきたいと思いますが、とりあえず、少し休息としたいと思います。
 写真は、我が家のあちこちに飾られてる造花の一つで、妻の趣味です。

2019年6月8日土曜日

映画「この自由な世界で」を観て


2007年にイギリスで制作された映画で、イギリスにおける労働者問題と移民問題をテーマに描く社会派作品です。
 EU(ヨーロッパ連合)は、第二次世界大戦後ヨーロッパの市場統合を目指して結成され、その後東欧や南欧の国々が加盟し、今やEUは全ヨーロッパにまで拡大しました。その結果、自由市場の恩恵を受けて豊かになる国や人と貧しくなる国や人の格差が拡大し、このことが今日EUからの離脱を求める国が増えている原因であり、今やEUは存亡の危機に立たされているのです。この映画では、こうしたことを背景としつつ、直接的にはEU内での労働力の自由移動の問題を扱っています。
労働力の地理的な自由移動は、封建制から産業革命を経て国民国家の下で近代化する過程で、新興産業が必要とする労働力を全国から調達するという重要な役割を果たしていました。その意味で、EUの下での「労働力の自由移動」は、一見すると欧州の戦火の元となった国民国家を乗り越え、より大きな欧州という統一体へと至るための崇高な目的のように見えます。しかし加盟国間の格差の拡大に伴い、失業率が高く、賃金の低い国から豊かな国に大量の労働力が移動するようになります。
経済的に繁栄している国は労働力が不足しており、自国の労働者が就きたがらない低賃金の労働力を補うことができ、本国では医師や教師のなど専門職だった人々まで肉体労働やウエイターのような職業に就かざるを得ません。また、こうした外国人労働者に仕事を紹介する斡旋業者、つまり手配師が問題です。何の当てもなく仕事を求めて来た人々にとっては、やがて斡旋業者に賃金をピンハネされ、さらに公害に晒されるような仕事を与えられます。
この映画の主人公アンジーはシングルマザーで、職業紹介所で働いていたのですが、些細なことで解雇されたため、自ら非合法の斡旋業を始めます。低賃金の労働者を求める顧客から注文をとり、労働者を集め、住居を提供し、毎朝バンで彼らを現場までお切り届けます。商売は順調でしたが、ある時、労働者を送り込んでいた会社が倒産して労働者に賃金を払えなくなり、労働者に暴行を受けたこともありましたが、何とかそれを乗り切り、商売をさらに拡大しようとします。
アンジーは、頭がよく、また義侠心のある女性で、目の前で苦しんでいる人を見捨てることができず、無理をしてでも助けようとしましたが、自分の眼の届かないところにいる人々の不幸には無関心でした。そして彼女が目を付けたのは、彼女の眼からは遠くかけ離れた場所にいるEU域外の労働者です。EU域内の労働者は合法であり、したがって賃金などに条件が課されますが、域外の労働者は不法入国であり、不法就労ですから、逆に安い賃金で雇うことができます。
彼女が目をつけたのは、ウクライナでした。この映画が制作された2007年頃、ウクライナとEUとの間で加盟交渉が行われており、EU諸国とウクライナとの関係が強化されつつありました。ウクライナは貧しく、イギリスなど豊かな国で働くことを望んでいる人々がたくさんいました。アンジーはこうした人々を不法入国させ、不法就労させようとしたのです。それはもはや斡旋業ではなく、奴隷貿易です。映画の最後で、彼女の美しいにこやかな顔が、一瞬悪魔のように見えました。よかれあしかれ、「自由な世界」で生きるということは、こういうことなのです。
このようなことは、今日でもかなり一般的に行われているようです。EU域外から比較的密入国しやすい国へ入国してしまえば、域内での移動は自由ですので、豊かな国に移動して不法就労する人々が後を絶ちません。           連日のようにテレビや新聞で報道されているEU問題の本質はここにあり、その根底にはグローバリゼーションによる格差の拡大が存在します。

2019年6月5日水曜日

ポーランド映画「国家の女 リトルローズ」を観て

2010年にポーランドで制作された映画で、社会主義体制の下での監視体制とユダヤ人問題を扱っています。
ポーランドの歴史は非常に複雑ですので、ここでは触れません。このブログの「映画で近世東欧を観て」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2015/10/blog-post_10.html)、「第5章 第二次世界大戦後の国際関係」を(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/06/5.html)、「映画でポーランド現代史を観て」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2016/10/blog-post_8.html)を参照して下さい。
 ポーランドにおけるユダヤ人問題についても、よく分かりません。もともと近世に多くのユダヤ人がポーランドに入植し、19世紀には帝政ロシアの支配下で迫害され、ナチス・ドイツの支配時代にはアウシュヴィッツ収容所が建設されました。この収容所はドイツが建設したものですが、当時ポーランド人もユダヤ人の迫害に手を貸しました。ただしポーランド人の名誉のためにも言っておきますが、同時に多くのキリスト教のポーランド人がユダヤ人を助け、匿ったのも事実です。彼らは、ナチス・ドイツ支配下のポーランドで地下組織を結成してユダヤ人を救済したのです。ポーランドのユダヤ人については、このブログの「映画でヒトラーを観て 戦火の奇跡」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/02/blog-post_24.html)を参照して下さい。
 第二次世界大戦後、ドイツでは反ユダヤ主義は排除されますが、ポーランドでは、ポーランドを占領したスターリンが反ユダヤ主義政策をとっていたこともあって、反ユダヤ主義が強く生き残りました。これまでに私は、反ユダヤ主義に関する本を多数読み、映画も多数観ましたが、ヨーロッパに強く根付いている反ユダヤ主義については、どうしても理解することができません。結局、第二次世界大戦後、多くのユダヤ人は新たに建設されたイスラエルに移住しました。
 中東ではユダヤ人の国イスラエルとパレスチナ人・アラブ諸国が対立し、イスラエルをアメリカが支援し、ソ連がパレスチナ人・アラブ諸国を支援したため、中東紛争は米ソ冷戦に巻き込まれることになります。1967年に第3次中戦争が勃発した時、ポーランド政府は当然ソ連とともにイスラエルを批判し、国内でも反シオニズム運動を弾圧します。こうした中で、1968年に三月事件と呼ばれる反シオニズム運動が起き、これをきっかけに15千人のユダヤ人が国外に亡命しました。その後もユダヤ人の人口は減り続け、かつて東欧で最大のユダヤ人人口を抱えたポーランドでは、今やユダヤ人人口は千人未満だとされます。このような有為な人材の流出が、ポーランドの発展に計り知れないほどの損失を与えたことは、明白です。
 この映画を理解するには、こうした時代背景を知っている必要があります。国家保安部のロマンはユダヤ人の小説家アダムを反体制活動家の有力者とみて、恋人のカミラをスパイとしてアダムの動静を探らせていました。彼女のスパイとしてのコードネームがリトルローズです。カミラは優秀なスパイで、多くの情報をロマンにもたらしますが、一方で彼女はアダムを愛するようになり、彼と結婚しようとします。嫉妬したロマンは、カミラがスパイであることをアダムに告げます。こうした中で三月事件が起き、その混乱の中でアダムは自殺し、さらに実はロマンがユダヤ人であることが判明し、ロマンはポーランドを去っていきます。
この映画はポーランドにおける根深いユダヤ人問題を描くと同時に、東ドイツなどと同様に、当時のポーランドが厳しい監視社会であったことを描いています。この1968年にチェコスロヴァキアで「プラハの春」と呼ばれる自由化運動が起きており、これにソ連軍が介入し、ポーランド軍もこれに加わりました。ポーランドの自由化には、まだ相当時間が必要でした。なお、東ドイツの監視社会については、「映画で東ドイツを観る」(https://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/03/blog-post.html)を参照して下さい。

2019年6月1日土曜日

映画「マンデラ―自由への長い道」を観て

















2013年のイギリス・南アフリカの合作映画で、1995年に出版されたマンデラの自伝をもとに制作されました。マンデラについては、「映画でアフリカを観る 「レッド・ダスト」「マンデラの名もなき看守」」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/01/blog-post_7359.html)を参照して下さい。
 南アフリカにはバントゥー系の人々が住んでいましたが、17世紀にオランダ人が入植し、やがて先住民の土地を奪い、彼らを労働力として農業を行うようになります。彼らは農民を意味するブール人、あるいはアフリカーナーと呼ばれるようになります。彼らは、もはや帰る祖国をもたない、アフリカの住民であり、彼らの言葉はオランダ語を基礎としたアフリカーンス語でした。
 19世紀にイギリスがこの地域に進出し、やがて彼らは金やダイアモンドを求めて殺到し、アフリカーナーはイギリスとの激しい戦いの後、1910年に南アフリカ連邦が樹立され、アフリカーナーはイギリスに支配されることになります。その結果、アフリカーナーの多くは経済的な弱者となり、「プア・ホワイト」と呼ばれる貧困層を形成するようになり、彼らの不満をそらすために形成されたのが、黒人に対する白人の優位を保証するアパルトヘイト政策です。こうした時代に、マンデラは1918年に部族の首長の子として産まれ、伝統社会の中で育ちました。
第二次世界大戦中の好景気などを背景に黒人の発言力が増し、黒人の力を恐れたアフリカーナーはアパルトヘイト政策を強化していきます。その内容についてここでは触れませんが、それは少数派としてのアフリカーナーの恐怖心そのものを表現しており、この政策はその後ますます強化していまきす。そしてこの時代にネルソンは大学で法学を学び、アフリカ民族会議に入党して反アパルトヘイト運動にのめり込み、1952年には黒人最初の弁護士事務所を開業しました。映画によれば、この時代のマンデラは自信に満ち、人生を謳歌しており、努力して白人より良い仕事をすれば、やがて平等になれると信じていました。
しかし1960年に警察官による民衆への無差別発砲事件(シャープビル虐殺事件)が起きると、非暴力主義の限界を知り、アフリカーナーに対するテロ活動を行うようになり、1964年に逮捕され、国家反逆罪で終身刑の判決が下されます。以後27年間マンデラは獄中で暮らしますが、外では反アパルトヘイト運動が激化し、今なお獄中にあるマンデラが運動の象徴として尊敬されていました。もはや政府は、混乱を収めるためにはマンデラに頼るしかないと考え、1990年にマンデラを釈放します。

この後のことはよく知られていることですので、ここでは触れません。映画で描かれていることも一般によく知られていることであり、またマンデラの自伝に基づいていますので、面白い映画というわけではありませんが、マンデラの生涯について学ぶには、良い映画だと思います。