2013年のイギリス・南アフリカの合作映画で、1995年に出版されたマンデラの自伝をもとに制作されました。マンデラについては、「映画でアフリカを観る 「レッド・ダスト」「マンデラの名もなき看守」」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2014/01/blog-post_7359.html)を参照して下さい。
南アフリカにはバントゥー系の人々が住んでいましたが、17世紀にオランダ人が入植し、やがて先住民の土地を奪い、彼らを労働力として農業を行うようになります。彼らは農民を意味するブール人、あるいはアフリカーナーと呼ばれるようになります。彼らは、もはや帰る祖国をもたない、アフリカの住民であり、彼らの言葉はオランダ語を基礎としたアフリカーンス語でした。
19世紀にイギリスがこの地域に進出し、やがて彼らは金やダイアモンドを求めて殺到し、アフリカーナーはイギリスとの激しい戦いの後、1910年に南アフリカ連邦が樹立され、アフリカーナーはイギリスに支配されることになります。その結果、アフリカーナーの多くは経済的な弱者となり、「プア・ホワイト」と呼ばれる貧困層を形成するようになり、彼らの不満をそらすために形成されたのが、黒人に対する白人の優位を保証するアパルトヘイト政策です。こうした時代に、マンデラは1918年に部族の首長の子として産まれ、伝統社会の中で育ちました。
第二次世界大戦中の好景気などを背景に黒人の発言力が増し、黒人の力を恐れたアフリカーナーはアパルトヘイト政策を強化していきます。その内容についてここでは触れませんが、それは少数派としてのアフリカーナーの恐怖心そのものを表現しており、この政策はその後ますます強化していまきす。そしてこの時代にネルソンは大学で法学を学び、アフリカ民族会議に入党して反アパルトヘイト運動にのめり込み、1952年には黒人最初の弁護士事務所を開業しました。映画によれば、この時代のマンデラは自信に満ち、人生を謳歌しており、努力して白人より良い仕事をすれば、やがて平等になれると信じていました。
しかし1960年に警察官による民衆への無差別発砲事件(シャープビル虐殺事件)が起きると、非暴力主義の限界を知り、アフリカーナーに対するテロ活動を行うようになり、1964年に逮捕され、国家反逆罪で終身刑の判決が下されます。以後27年間マンデラは獄中で暮らしますが、外では反アパルトヘイト運動が激化し、今なお獄中にあるマンデラが運動の象徴として尊敬されていました。もはや政府は、混乱を収めるためにはマンデラに頼るしかないと考え、1990年にマンデラを釈放します。
この後のことはよく知られていることですので、ここでは触れません。映画で描かれていることも一般によく知られていることであり、またマンデラの自伝に基づいていますので、面白い映画というわけではありませんが、マンデラの生涯について学ぶには、良い映画だと思います。
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