はじめに
かつてバルカン半島の北西部に、ユーゴスラヴィアという国がありました。この国は本当に複雑な国でした。6世紀ころこの地方に南スラヴ人が進出し、やがて西方のスロヴェニア人とクロアチア人がローマ・カトリックを、東方のセルビア人などがギリシア正教を受け入れます。14世紀にセルビア人は一時大帝国を建設しますが、折からバルカン半島に進出してきたオスマン帝国軍にコソボの戦いで大敗し、15世紀にはバルカン半島の大半がオスマン帝国領となります。以後コソボはセルビア人の聖地となります。なお、オスマン帝国支配の下でイスラーム教に改宗する人々もおり、後に彼らはムスリム人と呼ばれ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナの基礎となります。
19世紀に入るとオスマン帝国の衰退は決定的になり、19世紀後半にはセルビアやモンテネグロが独立し、とくにセルビアは大セルビア主義を掲げ、セルビア人が居住する地域の統合を望むようになります。ところが、20世紀に入るとオーストリアがボスニア・ヘルツェゴヴィナを併合したため、セルビアとオーストリアの対立は決定的となり、1914年にセルビアの民族主義者がボスニア・ヘルツェゴヴィナのサライェヴォでオーストリア皇太子を暗殺し、これをきっかけに第一次世界大戦が勃発します。第一次世界大戦でオーストリア帝国が崩壊すると、この地域にセルブクロアートスロヴェーヌ王国が成立し、この国はまもなくユーゴスラヴィア(南スラブ人の国)と改名されます。第二次世界大戦中にユーゴスラヴィアはドイツの支配を受けますが、この時ナチスに支持されたクロアチアの民族主義者が、多数のセルビア人を虐殺します。
第二次世界大戦後、ドイツに対するパルチザン闘争を指揮したチトーを中心として、ユーゴスラヴィアは六つの共和国からなる連邦国家となります。それぞれの民族に不満はありましたが、当面チトーのカリスマ性により統一が維持されました。しかし1980年にチトーが死ぬと各地で不満が噴出し、ソ連でのペレストロイカの影響で東欧革命が起きると、ユーゴスラヴィアでも1990年に自由選挙が行われ、その結果各国で民族主義政党が勝利し、1991年にはスロヴェニアとクロアチアが独立宣言をします。これに対してセルビア軍を主体としたユーゴスラヴィア連邦軍が侵攻し、スロヴェニアは簡単にこれを撃退し、スロヴェニアの独立は確定しますが、クロアティアでは1995年まで血みどろの戦いが続きます。そしてこれが、この映画の舞台です。
灼熱
2015年に制作されたクロアチア・スロベニア・セルビアの合作映画で、クロアチアを1991年と2001年、2011年という三つの時代に分けて描いています。灼熱の太陽が降り注ぐアドリア海沿岸で、灼熱の恋が燃え上がります。
「1991年イェレナとイヴァンの物語」
クロアチア戦争が勃発する直前の夏、セルビア人の娘イェレナとクロアチア人の青年イヴァンは激しく愛し合っていました。しかしイェレナの兄がクロアチア人と付き合うことに反対するため、二人は町を出ることを決意しますが、結局イヴァンはセルビア人の村で殺されることになります。こうしてクロアチアは、隣村同士、隣家同士、愛人同士、夫婦同士が血みどろになって戦い、民族浄化が行われ、20万人ものセルビア人が難民となってクロアチアから脱出します。
「2001年ナタシャとアンテの物語」
戦争が終わってすでに6年がたちます。セルビア人の母ゾルカと娘のナタシャが故郷の村に帰ってきます。父も兄も戦争で死にました。村では至る所戦争の傷跡が残っており、彼女たちの家も、とても住める状態にはありませんでした。そこで二人はクロアチア人の若い修理人アンテを雇い、修理してもらうことになりました。ナタシャは兄たちを殺したクロアチア人を許すことができず、アンテを無視していました。しかしやがて二人は意識し合うようになり、かつて兄と遊んだ海岸で、二人は激しく愛し合いました。ただ一度だけの約束で。
「2011年マリヤとルカの物語」
クロアチア人であるルカは、セルビア人のマリヤを愛し、マリヤは妊娠しますが、ルカの母の反対で二人は引き裂かれます。しかしマリヤを忘れられないルカはやがて帰郷し、マリヤと子供に会います。マリヤは自分から逃げたルカを許せませんでしたが、結局二人は仲直りし、新しい家庭を築いていくことになります。
この映画は三つの異なる物語からなっており、それぞれ異なる男女が主人公ですが、男女を演じた俳優は同じです。人も同じ、場所も同じ、異なるのは時代だということでしょうか。クロアチア戦争が始まってから20年の間に、信じられないような憎しみが爆発、激しい戦いを経て、時代とともに憎しみが消えていく様が、男女の愛という形で描かれているのだと思います。それにしてもあの憎しみは、何だったのでしょうか。
ノーマンズ・ランド
2001年にフランス/イタリア/ベルギー/イギリス/スロヴェニアにより制作された合作映画で、1992年に始まったボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争を題材としています。なお、以後ボスニア・ヘルツェゴヴィナについては便宜上ボスニアと記述します。
ボスニアにはオスマン帝国時代にイスラーム教に改宗した人々が多く住み、彼らはボシュニャク人あるいはムスリム人と呼ばれますが、ここでは便宜上ボスニア人と呼びます。ユーゴスラヴィアの時代には、民族間の緊張の少ない状態が続き、都市部では多民族の混住、民族間の結婚なども進んでいました。ところが1991年にスロヴェニア・クロアチア・マケドニアが独立を宣言すると、ボスニア人も自民族による国家建設を宣言し、それに対抗してボスニア内に住むセルビア人やクロアチア人は、ボスニア人による支配を嫌い、独自の民族ごとの共同体を造り、武装し始めました。
この映画の舞台は、ボスニアのある戦場で、ボスニア軍とセルビア軍との間に国連軍が設定した無人地帯の、セルビア寄りの塹壕の中です。ボスニア軍の8人の兵士が交替のために前線に向かいますが、深い霧のため道に迷って無人地帯に入り込み、その内二人の兵士チキとツェラがセルビア軍寄りの塹壕に入り込んでしまい、ツェラが撃たれて意識を失い、チキが脱出路を探している間に、二人のセルビア兵がやってきます。老兵とニノという名の新兵です。老兵は、ツェラが死んでいると思い、ツェラの体を重し代わりにして地雷をしかけます。そこへチキが戻り、老兵を殺し、ニノを捕虜にします。
この地雷は、踏んで外すと1メートル飛び出して、2000個の弾をまき散らし、半径45メートル以内の生き物が全滅するという代物です。老兵はツェラの体を重し代わりに使っているので、彼をどければ地雷は爆発し、傍にいるものは全員死にます。そしてツェラは生きており、意識を取り戻しました。さあ、厄介なことになりました。ツェラが起き上れば、地雷は爆発するので、彼は寝ているしかありません。チキは彼を助けると約束しますが、どうすることもできません。ニノは捕虜なので逃げることもできません。こうして三人のやり取りが続くわけですが、それはまさに喜劇です。
その内、国連軍に出動が依頼されますが、国連軍は規則によってがんじがらめに縛られていて、一方の側の兵士を救出するために行動することは許されていません。今度はマスコミが登場し、女性レポーターが名前を売るために、国連軍が兵士を見捨てたとして全世界に報道します。今や世界中のマスコミが殺到し、国連軍もやむなく救助のため現場に人員を派遣します。しかし派遣された地雷の専門家は、このタイプの地雷は解除できないので、安全のためすべての人がこの場を離れるように要請します。かくしてツェラは、背中で地雷を抑えたまま、一人取り残されます。もはやマスコミもこの事件に関心を失い、後には滑稽さと空しさのみが残ります。
1995年に国連の調停でボスニアの和平協定が締結されますが、三つの民族を融和させるのは容易ではなく、政治は国際的監視の下に置かれています。三つの民族の相違は宗教と歴史的経緯くらいしかなく、言語は、日本でいえば標準語と関西弁ほどの相違もなく、文化も共通、混血も進んでいるにもかかわらず、なぜこれ程憎しみ会うのか理解できません。戦争の過程で、おぞましい民族浄化も行われます。しかしこの映画では、そうしたことには一切触れず、この戦争の滑稽さを浮き彫りにします。それは反戦への強烈なメッセージであると思います。
バーバリアンズ
2014年に制作された セルビア・モンテネグロ・スロベニアによる合作映画で、ユーゴスラヴィア崩壊後のセルビアの若者たちの姿を描いています。
ユーゴスラヴィアでは、1991年から95年にかけて、スロヴェニア人、クロアティア人、ボスニア人が相次いで独立し、そのすべてにセルビア人が武力で抵抗しています。そして今度は、セルビアの自治州コソボで独立運動が起きます。コソボ住民はイスラーム系アルバニア人が多数を占め、1980年代にイスラーム原理主義的かつアルバニア国粋主義的なアルバニア解放軍が結成され、1995年ころから各地でセルビア人の殺害を行うようになります。そして1998年から本格的な戦闘が始まり、1999年にはNATO軍がセルビア軍を空爆し、コソボは事実上独立します。さらに、最後までユーゴスラヴィアに残っていたモンテネグロが離脱して、ユーゴスラヴィアは消滅することになります。
セルビアは、ユーゴスラヴィア崩壊の過程で、常に独立反対の側に立ち、逆に欧米諸国は独立側支援し、セルビアまるで悪者であるかのように扱われてきました。しかしユーゴスラヴィアの崩壊に関わる一連の紛争は、セルビアを含む個々の民族のエゴによるものだと思います。どうして、このような民族的なエゴがむき出しになったのか、私には分かりませんが、この地域の複雑な歴史的経緯と欧米の利害の産物だと思います。いずれにせよ、セルビアはすべての戦いに敗北し、国際的に孤立し、国民は閉塞感に苛まれます。そして、これがこの映画の背景です。
映画の冒頭に次の詩がテロップで流れます。
夜になっても野蛮人はあらわれない。
もういないと言う人もいる。
“どうする?野蛮人は世の解決策なのに。” ギリシャ詩人カヴァフィス
常に外部に敵(野蛮人)をつくって体制の維持を図る。しかし外部の敵は仮想の敵でしかなく、問題は内部にあることを知った時、人々は一体どうすればよいのか。まさにそれは セルビア人そのものでした。
セルビアの若者たちは、将来への展望もなく、空しく日々を過ごします。散発的にコソボ独立反対が叫ばれますが、今更どうすることもできません。クラブに入り浸り、酒を飲み、女性と戯れ、時々地元のサッカーチームの試合を熱烈に応援します。今彼らが熱中できるものは、それしかないのです。なんともやりきれない映画でした。