2009年にサハ(ロシア)・モンゴル・アメリカにより制作された映画で、チンギス・ハンの生涯を扱っています。原題は「チンギス・ハンの秘密」で、タイトルの由来は「元朝秘史」にあるようです。「元朝秘史」は、13世紀から14世紀に書かれたものとされますが、作者は不明で、チンギス・ハンの英雄物語を描いた歴史小説に近いものですが、躍動感溢れる内容のようです。
この映画が大変興味深いのは、ロシア連邦内のサハ共和国が制作しているという点です。サハ人はヤクートとも呼ばれ、テュルク系とモンゴル系の混血で、13世紀頃中央アジアからこの地に移動したそうです。彼らがどのような理由で移動したのか、またチンギス・ハンについてどのように思っているのかは知りません。ただ、社会主義国ソ連は、チンギス・ハンを侵略者として崇拝することを禁止し、モンゴル人民共和国でも禁止されていました。ソ連が崩壊後、モンゴルではチンギス・ハン崇拝が復活し、そうした中でサハ人がチンギス・ハンの映画を制作したということは、やはり彼らの間でもチンギス・ハンに対する思い入れがあるのではないでしょうか。なお、広大なサハ共和国の人口は百万人足らずで、その内半分弱がサハ人です。
今までに、チンギス・ハンを扱った映画を何本も観ましたが、この映画はまったく趣が異なっています。従来の映画は、分かりやすくするために、いろいろ説明が入るのですが、この映画では筋立てについての説明はほとんどありません。また、登場人物についての説明もないため、どれかが誰なのかもよく分かりません。ただ、チンギス・ハンについてのよく知られたエピソードが、断片的に淡々と語られているだけです。彼の誕生、父の死、苦しかった少年時代、結婚と妻の略奪、周辺部族との戦い、最大の敵ナイマンの滅亡、そして少年時代に盟約を誓い合った友ジャムカとの友情と決別などです。
映画全体を貫いているのは、テングリと呼ばれる神によって定められた運命です。「テングリ」は北方遊牧民の間に古くからある宗教で、中国の「天」の思想と似ており、中国の天の支配者は「天帝」ですが、遊歩民にとっては「澄み切った青空」であり、創造神でもあり、運命神でもあります。サハ共和国は、ロシアによる支配の時代に多くがギリシア正教に改宗しましたが、一部にテングリ信仰が残り、今日ではテングリ信仰復活の動きがあるそうです。この映画がサハ共和国で制作されたのは、こうした背景があるのかもしれません。映画は皆既日食から始まり、やがてチンギス・ハンが誕生します。それはテングリの意志を示しているように思われました。
映画では、運命に導かれ、チンギカ・はンが次々と戦争を行ない、多くの血が流されます。母は、こうした息子の行動に不安を感じていましたが、これもテングリの意志ならば、しかたがありません。映画は、宿敵ナイマンを滅ぼしたところで終わりますが、彼の大征服事業が始まるのは、これからです。彼が生きた時代は、ユーラシア大陸のネットワークが極限にまで発達した時代であり、農耕民、商業民、遊牧民が錯綜していた時代でした。これを一つの政治勢力の下に置くことは時代の要請であり、それがテングリの意志だったのかも知れません。人類の歴史は、モンゴル帝国の成立とともに、まったく新しい時代に入って行きます。チンギス・ハンの途方もない業績をみると、そこに何か運命のようなものを感じざるをえません。
映画では、なぜかキリスト教宣教師(多分ギリシア正教)が時代の目撃者として、また語り部の一人として登場します。さらにチンギス・ハンの息子の家庭教師として、中国の知識人がチンギス・ハンの行動を監察し、「元朝秘史」を著したことになっています。彼は言います。「歴史には二つの物語がある。戦争や国王の物語とある人物の人生にまつわる物語だ。後者は謎のものが多い。それを書き記すのが自分の役目だ」と。さらに、何故か日本刀を持った日本の武士も登場します。当時の日本は鎌倉時代ですので、武士がモンゴルに紛れ込んでいたとしても、不思議ではないでしょう。いずれにしても、多くの人々が入り乱れる世界において、やがてそれらが一つの政治的世界に吸収されていくことになるのでしょう。
映画は、ストーリーは読み取りにくかったのですが、大変に詩的で美しい映画でした。なお、モンゴル帝国については、このブログの「グローバル・ヒストリー 第13章 パックス・モンゴリカ(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/01/13.html)を参照して下さい。
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