2017年8月20日日曜日

夏から秋へ

畑は早くも夏から秋に向けて衣替えを始めています。


庭の西側はトマトと里芋とさつま芋が茂っています。トマトはそろそろ終わりに近づいています。今年は本当によくトマトを食べました。さつま芋は後1カ月ほどで収穫できそうですが、さと芋はまだしばらくかかりそうです。奥にはさるすべりの花も咲いています。















東側は、耕した後で、ここに大根、法蓮草、小松菜、ジャガイモを植える予定です。小さな畑ですが、これでも維持していくのは大変です。それでも、家族が食べていくことはできそうです。



















2017年8月19日土曜日

映画「カミーユ・クローデル」を観て

1988年にフランスで製作された映画で、19世紀末期に活躍した女性彫刻家の半生を描いています。

カミーユ・クローデルは、幼いころから自分で粘土を掘り出し、いろいろな造形物を作っており、異常な才能を示していたようです。1885年、彼女は19歳の時ロダンに出会います。ロダンも彼女の才能を認め、当時彼が製作に取り掛かっていた大作「地獄門」を手伝わせるため、彼女を弟子とします。なお、この「地獄門」の一部として、日本でもよく知られている「考える人」が製作されました。いずれにせよ、カミーユは大変ロダンの役に立ち、やがて二人は愛し合います。









彼女は、二十歳代後半に妊娠し中絶するとともに、ロダンに長年連れ添った内妻がいることが判明し、二人の関係は決裂します。この作品は、内妻を連れたロダンに追いすがろうとするカミーユが描かれており、ロダンを忘れきれないカミーユの哀れな気持ちが描き出されています。一方、当時カミーユの作品はロダンの模倣として受け取られていたため、彼女は自分のアトリエで一人で創作に励むようになります。彼女はアトリエに閉じこもり、ロダンへの憎しみを増幅させ、自分の作品を破壊し始め、しだいに精神が破綻していきます。その結果、191348歳の時、家族によって精神病院に入れられ、訪れる人も少なく、1943年に家族に看取られることもなく、78歳で死亡しました。彼女の残された作品は、ロダンの意志で、彼女の死後ロダン美術館に展示されました。なお、彼女の弟は詩人であると同時に外交官で、第一次大戦後駐日大使を務めたとのことです。
 映画は、話が断片的で、ストーリーを十分読み取ることができませんでしたが、一人の天才彫刻家が心のバランスを失っていく過程は、鬼気迫るものがありました。天才として生まれたことは、彼女に不幸をもたらしたといえるかもしれません。また、女性は芸術家にはなれないと考えられていた時代でしたので、彼女の不幸は、そうした時代に先駆者として生きたことにあるのかもしれません。


2017年8月16日水曜日

巨大キューリ

今年はキューリが豊作で、時々陰に隠れているキューリを見逃して、巨大なキューリに成長してしまいます。毎日キューリばかり食べていますが、とても食べきれません。













2017年8月12日土曜日

映画「運命に逆らったシチリアの少女」を観て

2008 のイタリア, フランスの合作映画で、実話をもとにマフィアとの戦いを描いたものです。
 マフィアの起源は、中世シチリアにおける農地管理人だとされます。シチリアでは、次々と支配者が代わるため、これに対して管理人のような地方ボスが自衛組織あるいは互助団体を形成するようになり、農民たちにとってはこうした組織が唯一のよりどころになっていたと思われます。特に1860年代にイタリア王国が成立すると、イタリアにさまざまな勢力が台頭して政治的対立が激化すると、人々はますますマフィアに依存するようになります。さらに20世紀になるとマフィアの統合と組織化が進み、巨大な犯罪組織に成長していきます。中央集権化を目指したムッソリーニは、マフィアに対する弾圧を強め、一時マフィアは絶滅の危機に立たされますが、第二次世界大戦でアメリカがイタリアに上陸する際、アメリカはマフィアの手引きで上陸したため、再びマフィアが復活することになります。
 マフィアの影響力は政財界や検察・警察・裁判官にまで及んでいたため、マフィアの犯罪を暴くことは容易ではありませんでした。そしてここにリタ・アトリアという少女が登場します。彼女が敬愛する父もマフィアで、彼女が10歳の時、マフィアに殺されるのを目撃します。以後、彼女は彼女が日常的に目撃するマフィアの犯罪行為を、日記に記録していきます。そして1991年、17歳の時、彼女が信頼する判事に日記を渡し、裁判で証言することを約束します。
 判事は、彼女に対して証人保護プログラムを適用し、彼女の日記と事実を照合し、マフィアの犯罪を立証し、マフィアの大量検挙を行って裁判を開始しました。しかし判事はマフィアによって暗殺され、希望を失ったリタは、ビルの屋上から飛び降りて自殺します。この事件をきっかけに、マフィアの大量検挙が行われますが、今日でもイタリアでマフィアは大きな力を持ち続けています。
 この映画は、正義のためにマフィア打倒を決行する物語ではなく、父を殺されたことへの復讐に突き進む、山猫のような激しい少女の物語です。この映画が上映されるに当たっては、リタに関係のある人々は、自分たちが危険に晒されるため、上映中止を要請したそうです。
 ところで、マフィアの語源ははっきりしませんが、それがシチリアの特殊な社会現象であることは確かです。後にシチリアからアメリカに渡った人々が独自にアメリカン・マフィアを形成し、巨大な犯罪シンジケートに発展しました。そして現在のシチリアのマフィアは、アメリカン・マフィアのながれを汲むそうです。なお、マフィアと直接関係がなくても、ロシアン・マフィアとか金融マフィアなどように呼ばれることがあり、マフィアという言葉は、それほど広く普及しているわけです。


2017年8月9日水曜日

「皇弟溥傑の昭和史」を読んで

舩木繁著 1989年 新潮社
 本書は、中国清朝の最後の皇帝宣統帝、後の満州国皇帝愛新覚羅溥儀の弟、愛新覚羅溥傑の一生を描いたものです。著者は、溥傑とは陸軍士官学校の同窓生だそうです。
 愛新覚羅家の宿願は、清朝の復活でした。溥儀が満州国皇帝となったのも、川島芳子の活動も、それを目的としていました。そして溥傑は、満州国の軍隊を強化するために、26歳の時学習院中等科に留学し、日本語を学んだ後、陸軍士官学校に入学して軍人としての道を歩みます。この間彼は日本の皇室の女性と結婚して日満友好の象徴となりますが、その後満州国は崩壊し、溥儀も溥傑もソ連に抑留され、その後中国共産党に引き渡され、収容所生活を送ります。この間、日本にいた溥傑の娘が天城山で心中するという悲劇もありました。二人が収容所から解放されたのち、溥儀はまもなく死にますが、溥傑は、日中国交回復後、日中交流に大きな役割を果たします。
 以上のことについての事情は日本でもよく知られており、私もある程度知っていました。ただ、本書の主題とは直接関係ないのですが、李氏朝鮮(大韓帝国)の最後の皇太子とされた英親王についての記述は、大変興味深いものでした。日露戦争後、朝鮮は事実上日本の植民地となっていきますが、そうした中で英宗は、190710歳の時日本に留学させられ、以後人生の大半を日本で暮らします。いわば人質です。学習院を経て、士官学校で学び、この間に皇室の女性と結婚します。これは溥傑の先例となり、天皇を中心とする植民地支配のモデルとなりました。そして彼は日本で終戦を迎えますが、朝鮮が混乱していたこともあって帰国できず、晩年になってようやく韓国に帰国することができました。
 これらの人々は、日本の侵略政策に翻弄された人々であり、おそらく同じような運命にさらされた人々は、数えきれないほどいることでしょう。

2017年8月5日土曜日

映画「山猫」を観て

1963年のイタリア フランスによる合作映画で、160分を超える長編ですが、イタリア語版は200分を超えるそうです。舞台となっているのはイタリアのシチリアで、時代は前に観た「映画「副王家の一族」を観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/05/blog-post.html)とほぼ同じで、19世紀の後半です。
 当時、シチリアはスペイン-ブルボン家の支配下にあり、シチリアの人々にはブルボン家の圧政に対する不満が高まっていました。一方、この時代は、世界史的に国民国家が形成されていく時代で、ドイツやイタリアの統一運動、アメリカの南北戦争、日本の明治維新などは、そうした脈絡の中で捉えられます。こうした中で1859年、サルデーニャ王国を中心としてイタリア統一戦争が始まり、ガリバルディという人物が千人の義勇兵を率いてシチリアに上陸します。そして映画は、ここから始まります。
 ガリバルディは、それまでにも多くの戦いに参加し、イタリアでも民族的な英雄となっており、シチリアの反乱軍がガリバルディ軍の上陸を助けます。その結果、ブルボン家の軍隊はあっけなく敗北し、映画でも戦いの場面が描かれますが、映画では、ガリバルディは一切登場しません。ただ、シチリアの乾燥した荒涼たる風景が、しばしば映し出されます。
 映画の主人公は、サリーナ公爵という大貴族で、彼は時代の変化をよく認識していましたが、そのような変化を受け入れることに抵抗を感じていました。逆に、彼の甥タンクレディーはガリバルディの軍に参加し、新しい時代の到来に希望を抱き、平民の大金持ちの娘と婚約し、新しい時代に対応して出世することを夢見ていました。サリーナ公爵は、こうした生き方を決して否定はしませんでしたが、自らは古い社会の中で生きていこうと決意します。山猫はサリーナ家の家紋であり、犬や羊は人に従順に従いますが、山猫や獅子は決して人になつかないし、決して自分の場所を離れることはありません。
 映画の最後に盛大なダンス・パーティの場面が映し出され、年老いたサリーナ公爵はタンクレディーの若い許婚者と見事なワルツを踊り、映画は終わります。それは、滅びゆく貴族階級への鎮魂歌というべき映画でした。


2017年8月2日水曜日

満州国皇帝の通化落ち

北野憲一著 1992年 新人物往来社

 1932年に日本軍によって満州国が建国され、清朝最後の皇帝宣統帝(愛新覚羅溥儀)が執政(後に皇帝)となりましたが、194588日にソ連軍が侵攻すると、溥儀は満州国の首都新京(長春)を捨て、813日に通化に逃れます。そして815日に日本が敗戦し、818日に溥儀は退位を宣言し、翌日ソ連軍の捕虜となります。








通化は、当時人口3万人余りの小さな町でしたが、鴨緑江を隔てて朝鮮と国境を接していたため、戦略的に重要な町でした。19454月に、この町の女学校長として、本書の主人公である古荘康光が赴任し、当時この女学校の教師だった著者は、この時期の古荘についての思い出を書き残しました。
 当時古荘は30代初めで未婚であり、女学校の校長が未婚ではまずいため、辞令が出たその日に見合いをして結婚し、直ちに通化に出発しました。通化での生活は初めは穏やかでしたが、やがて敗戦が明白となると、一時溥儀が通化落ちしますが、このこと自体は彼らにとってあまり関係のないことでした。しかしソ連軍が侵攻し、二人のソ連兵が一人の女子学生を連れ出そうとしたため、古荘の妻は自分を身代わりに連れていくことを求め、結局彼女が連れていかれ、翌朝彼女は自殺しました。こうなると女生徒たちを逃がさなければなりません。幸いにも夏休中だったので、学校には18名しか残っておらず、また朝鮮との国境に近かったため、全員を逃がすことに成功します。結局、古荘が通化にいたのは5カ月余りでした。
 当時、こうした苦しみを味わった人々は、数えきれないほどいたと思います。この物語は、そうした苦しみの一コマでした。