矢島道子著、朝日新聞出版、2019年
明治政府は、西欧の学問を学ぶため、日本人を欧米に留学させるとともに、欧米人をお雇い学者として、日本に招聘しました。ナウマンはドイツの地質学者で、1875年(明治8年)に日本についた時、彼はまた二十歳でした。彼を含むドイツ人お雇い学者の宿舎は、加賀屋敷におかれましたが、この加賀屋敷の遺物としては、今日の東京大学の赤門が有名です。
日本における彼の最大の功績の一つは、東北日本と西南日本の境目となる地帯中央地溝帯(フォッサマグナ)を発見したことで、富士山をこの上もなく愛したナウマンが、富士山をさまざまな角度から観察する過程でこの地溝帯を発見したとされます。これを含めて、彼の研究は日本の地質学の発展に決定的な影響を及ぼしました。ただ、ナウマンについて広く知られているのは、彼の命名によるナウマン象です。横須賀や浜松などで発見された象の化石が、日本の固有種であるとして、大変話題になりました。
ナウマンは、日本の地質学の発展に大いに寄与したことは間違いありませんが、それにも関わらず彼の功績は日本ではあまり語られません。本書よれば、その原因の一つは、森鴎外によるナウマン批判にあるそうです。当時ドイツに留学していた森鴎外は、たまたま帰国していたナウマンが日本を侮辱するようなことを言ったとして批判しました。ナウマンの真意がどこにあったのか知りませんが、森鴎外は日本を代表する文豪ですので、日本ではナウマンに対する批判的な世論が生まれたとのことです。
本書で説明されている地質学についての説明はよく分かりませんでしたが、明治のお雇い学者やナウマンについて、詳しく知ることができました。
0 件のコメント:
コメントを投稿