2020年5月16日土曜日

映画「ロープ 戦場の生命線」を観て

2015年にスペインで制作された映画で、この映画の冒頭の字幕によれば、「1995年バルカン諸国のどこか」ということになっていますが、多分ボスニアでしょう。ボスニアについては、このブログでも何度も触れましたので、以下の記事を参照して下さい。
「映画でユーゴスラヴィアの解体を観て」
「映画でボスニアを観て」
「映画「ユリシーズの瞳」を観て」
戦争が始まる以前には、イスラム人とボスニア人が隣同士であろうと、セルビア人とボスニア人が夫婦であろうと、何の問題もありませんでしたが、一旦民族・宗教対立が起きると、人々はバラバラに引き裂かれ、互いに激しく殺し合いました。このようなことが何故起きるのか、私にはどうしても理解できませんが、同じようなことが今日でも世界各地で起きているのが現実です。
1995年一応戦争は終結しましたが、まだあちこちで戦闘が起きているボスニアで、平和維持のための国連軍や各種NPOが再建のための作業にはいっており、映画は、「国境なき水と衛生の管理団」というNPOの活動を描いています。ある村で井戸に死体が投げ込まれて生活用水が汚染されたため、「国境なき水と衛生の管理団」が現地に赴いて死体を引き上げようとしますが、ロープが切れてしまいます。そこで彼らはロープを求めて、何十キロはなれた駐屯地に向かい、二日がかりでロープを手に入れ、死体の引き上げに成功します。
映画は、この二日間を多少コミカルに描いています。プエルトリコから来たボランティアの男性、「国境なき水と衛生の管理団」の現場責任者の女性、ロシア出身の国連職員、通訳などが、一本のロープを求めて、右往左往します。その過程で、地雷の問題、国連職員の官僚主義、親と離れ離れになった子供、弾痕だらけの廃墟となった家、そして馬鹿馬鹿しいほどゆっくりとした動き。あの内戦中の激しい憎しみが嘘のようです。休戦処理とはこのようなものなのかもしれません。こうした地道な活動が、やがて真の平和をもたらすのでしょう。死体の浮いた井戸という深淵が、こうした活動を見守っているかのようです。


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