2020年5月13日水曜日

映画「女王陛下のお気に入り」を観て






















 2018年にアイルランド・アメリカ・イギリスによる合作で制作された映画で、18世紀初頭におけるアン女王の宮廷における女官同士の争いを描いています。
17世紀のイギリスは、内乱や革命に明け暮れ、不安定でした。1688年の名誉革命では、カトリックを復興させようとしたジェームズ2世が議会によって追放され、代わってジェームズ2世の娘メアリー2世とその夫でオランダ総督ウィリアム3世がイングランド王位に即位しました。このメアリー2世の妹がアンで、メアリーとウィリアムには子供がなく、1692年にメアリーが死に、1702年にウィリアムが死ぬと、その結果アンが女王に即位することになりました。
 アンはデンマーク王の次男ジョージと結婚し、夫婦仲はよく、毎年のように妊娠しましたが(合計17回)、双子を含め6回の流産、6回の死産を経験し、他の子も幼くして死亡しました。その原因は、今日では抗リン脂質抗体症候群と呼ばれる難病を患っていたためと推測されています。彼女の治世には、イングランドがスコットランドを併合して、彼女が初めて大ブリテン王国の君主となり、またフランスとスペイン継承戦争(植民地ではアン女王戦争)を有利に導くなど、その後のイギリスの繁栄の出発点のように見えますが、精神的にも肉体的にも不安定だった彼女は、親友である側近のマールバラ公爵夫人サラに公私にわたって依存していました。
 サラとアンは若いころからの友人で、名誉革命の際には二人で宮殿を脱出し、ウィリアム3世とメアリー2世に投降しました。以来サラは常にアンの相談役で、アンの国王即位後は事実上サラが政治問題を決定していました。また、映画で観る限り、二人は同性愛の関係でもあったようです。こうした二人の間に、もう一人の女性が登場します。没落貴族の娘アビゲイル・メイシャムです。彼女は野心家で、巧みにサラを女王から引き離し、女王の信頼と愛を勝ち取っていきます。
 映画は、アンを巡るサラとアビゲイルとの宮廷闘争として描かれますが、同時に政治闘争とも関わります。当時イギリスはフランスと戦争をしていましたが、議会内に戦争支持派と反対派が対立していました。進歩派のホイッグ派はブルジョワ階級に支持され、戦争は利益になるし、商業でフランスに優位に立ちたいため、戦争の継続を支持し、サラの夫は軍人でしたので、サラは戦争継続を支持します。一方、保守派のトーリー派は地主を基盤としますので、戦争の継続は負担が重いため、フランスとの和平を求め、アビゲイルはサラと対立するトーリー派を支持します。

 こうした中で、サラは宮廷から追放され、1714年にはフランスとの和平が成立しますが、この年にアンは死亡し、アンには子がなかったためステュアート朝は断絶し、アビゲイルも宮廷を去りました。サラとアビゲイルとの戦いは、宮廷での虚しい戦いであり、結局不幸なアンの孤独な姿のみが際立った映画でした。




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