2020年2月8日土曜日

映画「野火」を観て

 大岡昇平原作の小説(1951)を映画化したもので、作者のフィリピンでの戦争体験を基にし、死の直前における人間の極地を描いたものです。
194112月に日本軍はハワイの真珠湾を攻撃し太平洋戦争が勃発しますが、早くも19426月のミッドウェー海戦に敗北して制海権を失い、19446月にマリアナ沖海戦で制空権を失い、いよいよ主戦場はフィリピンに移ります。194410月にフィリピン中部にあるレイテ島とその沖合で日米両軍が激突し、日本軍は惨憺たる敗北を喫しますが、映画はこのレイテ島での戦いを描いています。
 原作者の大岡昇平は1909年に生まれ、フランス文学に心酔し、文学者の道を歩んでいましたが、1944年に召集され、フィリピンのマニラに到着し、レイテ島に送られました。この大岡がドラマでは、田村一等兵ということになります。レイテの戦いは作戦がいい加減で(当時の戦いはどれも似たようなものでしたが)、補給路が確保されておらず、兵士たちの多くは餓死していきます。レイテ島に投入された兵士は85000人とされますが、2カ月で8万人弱が死亡し、その多くは餓死だったとのことです。
 この映画は戦争糾弾よりも、カニバリズムを問題にしているように思えました。カニバリズムとは16世紀頃のスペイン人航海士達の間で、西インド諸島に住むカリブ族(Canib)が人肉を食べると噂が広がり、そのためこの言葉は「西洋キリスト教の倫理観から外れた蛮族による食人の風習」という意味で用いられるようになりました。なお、謝肉祭を意味するカーニバルは、語源も意味もまったく異なります。
 人肉を食べるという風習は、古今東西を問わず存在し、主として宗教的理由によることが多いようですが、社会的組織の規模が大きくなると、こうした風習は消滅することが多いようです。私が想像するに、共食いは種の存続という本能に決定的に反し、共食いを避けることが宗教倫理にまで高められたのだろうと思います。したがって、カニバリズムを肯定するのも否定するのも、結局は宗教倫理の問題のように思われます。
 ただ、ここで問題となっているのは、飢餓という極限状態での食人であり、これは厳密な意味でのカニバリズムとは異なるかもしれません。ただ、こうした状況下での食人は歴史上しばしば見られたし、太平洋戦争中にもしばしば見られたそうです。この映画は、食人に至った人間の心理や、その後の人間の心理をリアルに描いています。ただ、私は「血みどろ」の場面が苦手で、あまり正視できないこともあって、食人に至る人間の心理をよく理解できませんでした。
 ところで、三島由紀夫は徴兵検査で不合格となりますが、本来彼が入隊するはずの連隊はレイテに送られ全滅しました。三島由紀夫の苦悩の原点は、ここにあるのではないかと思います。自分はなぜ死ななかったのか、ということです。

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