2019年7月27日土曜日

映画「J.エドガー」を観て



 2011年にアメリカで制作された映画で、初代FBI(連邦捜査局) 長官であるジョン・エドガー・フーヴァーの生涯を描いています。
 FBIとはウイキペディアによれば、「テロ・スパイなど国家の安全保障に係る公安事件、連邦政府の汚職に係る事件、複数の州に渡る広域事件、銀行強盗など莫大な被害額の強盗事件などの捜査を担当する。さらに、誘拐の疑いのある失踪事案では、事案認知から24時間を経過すると、広域事件として自治体警察からFBIに捜査主体が移される」ということです。つまりまず第一にFBIは政治警察であり、ついで州境を超える重大犯罪を扱います。
 20世紀に入ったころのアメリカの警察は地方単位でばらばらに行動し、統一的な警察組織は存在しませんでした。こうしたことを背景に、1924年、フーヴァーは29歳の若さで司法省の捜査局長官に任命されます。当時フーヴァーに課せられた最大の任務は捜査官の綱紀粛清でしたので、彼は多くの捜査官を罷免し、同時に全国から優秀な捜査官を集めました。新任の捜査官には大学卒業などの高い教育を求め、上等なスーツを着こなすなど、エリート捜査官を育成します。  
 世界恐慌で荒廃した1930年代には、ギャングの取り締まりや営利誘拐事件の解決などで人々から英雄扱いされ、漫画や映画などでも取り上げられるようになります。第二次大戦中や戦後にはスパイや共産主義者の摘発を行い、さらに黒人公民権運動を弾圧するなど、思想統制の役割を担うようになります。今やFBIは国家の中の国家といわれる程強大な権力を握るようになり、歴代の大統領はFBIを抑えようと努めますが、フーヴァーは重要人物の弱点を調査した極秘ファイルをもっており、これをちらつかせることで、権力による介入を避けてきました。
 結局フーヴァーは、1972年に77歳で死亡するまで、実に48年間、8代の大統領に仕えて、長官としての地位を全うします。映画は、FBIにおけるフーヴァーの活動を描くとともに、私生活につても彼がマザーコンプレックスかつホモセクシャルであるとして描かれていました。多分そうかも知れませんが、私にはどうでもいいことです。アメリカでは、半世紀にわたってFBIを支配してきたフーヴァーを知らない人はいないと思いますが、私はあまり知りませんでしたし、日本でもFBIについても映画やテレビでしばしば見かけますが、日本とはことなるこのシステムについてはよく知りませんでした。そういう意味で、この映画は、FBIの創設過程を描いており、大変に参考になりました。フーヴァーについてはいろいろな功罪があるかと思いますが、アメリカに近代的な警察システムを生み出した功績は大きいと思います。ただ、アメリカ人は、こうした中央集権的なシステムを、あまり好まないようですが。
 この映画を観ていて、私はフランス革命期に活躍したジョセフ・フーシェという政治家を思い出しました。フーシェは、フランス革命から王政復古に至る時代に活躍した政治家で、ロベスピエールの恐怖政治に協力し、彼の処刑に加担し、ナポレオンの下でも重要な役割を果たし、ナポレオン没落後の臨時政府の中心となるなど、まるでカメレオンのように姿を変えながら時の権力者にとりついて生きていきます。彼の強みは、優れた警察制度の創設と圧倒的な情報収集能力にありました。こうした人物は、権力者にとって便利であると同時に、自分の弱点を握られているため、危険な存在でもあり、政治を謀略という邪道に向かわせてしまいます。彼のような人物はいつの時代にもいるようで、そのことは情報というものが権力にとっていかに重要であるかを示しています。なお日本の警察制度は、明治時代にフランスの警察制度をモデルに創設されたそうですが、それはフーシェが創設した警察制度です。

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