副題 クレムリンの皇女スヴェトラーナの生涯
ローズマリー・サリヴァン著 2015年、染谷徹訳 白水社 2017年
スヴェトラーナは、1926年に独裁者スターリンの子として生まれ、スターリンに溺愛されて育ちましたが、彼女は父が行った粛清をよく知っていました。叔父・叔母・従弟などが、彼女の身近な人々が、次々と姿を消していったからです。1953年に父スターリンが死にます。すでにこの時までに彼女は結婚と離婚を三度繰り返し、二人の子供をもうけていました。1956年、フルシチョフがスターリン批判を行うに当たって、彼女は前もって原稿を見せられましたが、そこに書かれていることがすべて事実であったため、同意しました。
スターリン批判後も、彼女はスターリンの娘として特別扱いされていましたが、1967年に彼女は突如アメリカに亡命します。この亡命の物語は、スパイ映画もどきでした。当時インドのソ連大使館に滞在していた彼女は、一人で大使館を出てタクシーに乗り、アメリカ大使館に逃げ込んだのです。驚いたのはアメリカ大使館でした。アメリカは、そもそもスターリンに娘がいることさえ知りませんでしたので、ソ連による陰謀ではないかと疑ったり、また当時ソ連との間で緊張緩和の話し合いが進んでいたため、交渉が中断するのではないかといった懸念がありましたが、彼女の亡命は達成されました。彼女には二人の子供がおり、この子たちをソ連に残して単身で亡命しました。彼女は突発的に行動する癖があるようで、どうやら彼女はソ連の「国有財産」であることにうんざりしたようです。
こうして彼女の後半生が始まります。アメリカで彼女は回顧録を書いて巨額の印税収入を得ますが、詐欺ですべてを失います。その後、著作活動を行いつつ、資本主義社会で生きていくことを学びます。1980年代にイギリスに移住、さらにロシアに帰国、父と母の故郷であるグルジア(ジョージア)に帰国、さらにイギリスに移住、2011年に直腸がんで死亡します。85歳でした。
彼女は米ソ冷戦の全時代を、ソ連とアメリカで生き、ジプシーのように世界各地を転々とし、何度も結婚を繰り返し、そして最後までスターリンの娘という呪縛から解き放たれることはありませんでした。本書は上下巻合わせて800ページを超え、そうした彼女の生涯を詳細に描いています。
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