2019年3月27日水曜日

「名古屋を古地図で歩く本」を読んで

ロム・インターナショナル[]KAWADE夢文庫、2016

私は人生の大半を名古屋近郊で暮らし、さらに名古屋で働いてきました。私は、毎日のように車で名古屋市内を走り、また地下鉄を使って移動しており、場所によって多少濃淡の差はあるものの、私は名古屋の地理を相当詳しく知っています。しかし、それらの町の歴史的な背景については、何も知りませんでした。どの町もどの通りも、あまりに当たり前に知っていて、その背景を知ろうという気持ちさえ生まれませんでした。






名古屋の出発点が、伊勢神宮に匹敵する社格をもつ熱田神宮にあることは明らかですが、名古屋が都市として発展するようになったのは、17世紀初頭における名古屋城の建設です。もともと尾張の中心は清洲でしたが、清州は洪水に見舞われやすく、また大軍をおくには手狭だったことから、家康は清洲城から名古屋城に拠点を移しました。それとともに、町が碁盤の目のように整備されました。本来戦国後期時代の町は、敵が進撃しにくいように、道を複雑に入り込ませるのですが、名古屋は初めから整然と整備され、その面影は今も残っています。ただし、当時の名古屋城の城下町は、城を中心に今日の西区と東区、さらに大須観音のある中区くらいで、今日の名古屋駅は城下町の外にありました。





 古地図を見ると、熱田宿は東海道の要衝にあることが分かります。さらに東海道はここから船で桑名に結びつけられており、熱田は東海道唯一の海上ルートの起点で、このルートが七里の渡しと呼ばれていました。名古屋城の建設に際して建築資材を運ぶため、熱田から堀川が開削され、城の完成後も堀川は物資輸送に大きな役割を果たします。この堀川は運河ですので当然源流がありませんので、守山区の庄内川から一部水を引いていました。私はかつて庄内川の岸辺に住んでおり、これでやっと私と名古屋の歴史の接点が見つかりました。

 本書を読みながら、古地図と現在の地図を比較しつつ、私の名古屋での生活と重ねつつ、私は私と名古屋の歴史との接点を見つけました。本書は決して特別なことが書かれた本ではないかも知れませんが、私にとっては私と名古屋との関係を知る上で、大変参考になった本です。

中根千絵・村手元樹編著、2013年 KADOKAWA
本書は、前に述べた「名古屋を古地図で歩く本」と一緒に借りた本で、名古屋に関するいろいろなエピソードを、あまり相互の関連性なく列挙しています。これらの内容については、私が知っていることが多いため、飛ばし読みをしました。ただ、若い人が名古屋について気楽に学びたいなら、役に立つ本ではあるでしょう。
なお、私のブログのタイトル「逍遥」のもととなった坪内逍遥は、現在の名古屋駅あたりで生まれ、現在の錦2丁目にあった日本最大の貸本屋「大惣」に入り浸っていたそうです。








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