2002年に韓国で制作された映画で、都会育ちの七歳の少年サンウと過疎地に住む聾唖の祖母との心温まる交流の物語です。
日本の東京には日本の人口の1割が住んでいますが、韓国のソウルには韓国の人口の2割近くが住んでいます。その背景には、日本の江戸時代では幕府の力が強かったものの、多くの藩がほぼ自立して藩の経営に当たっていたため、独自の産業構造や文化が地方に形成されたのに対し、李氏朝鮮では両班を基盤とした一極支配が500年以上も続いたということがあります。その結果、山村・農村の超過疎化は深刻な問題となっているようです。日本でも過疎化は深刻な問題ですが、韓国の場合「超」をつけるのが普通なのだそうです。
映画では、おばあちゃんの娘は、17歳の時村を出てソウルに行き、男と同棲して子供を生み、男と別れた後、仕事を探すため夏の間だけ、子供をおばあちゃんにあずかってもらうことになりました。サンウは初め田舎を馬鹿にし、おばあちゃんを馬鹿にし、一日中ゲームに明け暮れ、母がもってきた缶詰ばかり食べていました。ところがやがて電池がなくなり、缶詰がなくなり、サンウは都会生活から切り離されていきます。一方おばあちゃんは、サンウがどんなに我儘な態度をとっても、ただ黙々と孫のために働き続け、サンウもまたおばあちゃんの誠意に心を打たれるようになり、帰るころにはお互いに心を通わせるようになります。
ストーリー全体は誰もが考えつきそうな在りがちな内容です。それにも関わらず、多くの人々がこの映画に感動したのはなぜかと問われれば、この映画を観てもらうしかないということです。主人公の一人であるおばあちゃんは映画に出たことがないだけでなく、映画を観たことさえなかったそうです。サンウは2~3回コマーシャルにでたことがあるだけです。そしてこの映画の出演者は事実上この二人だけなので、恐ろしく低予算の映画でした。多くのお金を使い、一流の俳優を使うことだけが、良い映画を作ることではないということを、この映画は示しているようにおもいます。
なお、この映画の最後に次の字幕が流れます。「すべてのおばあちゃんにこの映画を捧げます。」もしかするとこの映画は、監督自身の体験に基づくものなのかもしれません。
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