李氏朝鮮(1392年~1910年)
李氏朝鮮を扱った映画は沢山あるため、何回かに分けて紹介するつもりですが、とりあえずここでは、これから観る映画の予備知識として、李氏朝鮮について簡単に説明しておきます。李氏朝鮮には朝鮮王朝といった言い方もありますが、古朝鮮時代にも檀君朝鮮・箕子朝鮮・衛氏朝鮮といった国がありますので、ここでは混乱を避けるために李氏朝鮮を使いました。ここで観る映画に関する範囲内で李氏朝鮮について調べてみましたが、500年以上も続いた隣国の李氏朝鮮について、自分自身の無知に唖然としました。李氏朝鮮について私が知っていることは、1392年に李成桂により建国されたこと、仏教が弾圧され朱子学が重視されたこと、15世紀に世宗によりハングルが公布されたこと、16世紀末に豊臣秀吉軍による侵略を受けたこと、江戸時代に通信使を派遣していたこと、後は19世紀後半日本の侵略を受けて滅びたこと、くらいです。
李氏朝鮮については、歴史家がいくつかの時代区分を行っていますが、社会の変化との関係がよく分からないので、ここでは触れません。ただ李氏朝鮮にとって決定的な影響を与えたのは豊臣秀吉の朝鮮出兵だったようで、以後李氏朝鮮は徹底した鎖国状態に入っていきます。私のような素人の目で見ると、李氏朝鮮の歴史は、ここで止まってしまったかのように思われます。さらに李氏朝鮮では朱子学が重視され、朱子学を学んだエリート層が政治を動かしていため、社会が硬直化していたのかしれません。いずれにしても、500年を超える李氏朝鮮の歴史を表面的に見ると、勢力闘争や派閥闘争の連続のように見えます。豊臣秀吉が出兵して国土が荒廃していた時でさえ、派閥闘争に明け暮れていたのです。
純粋の時代
2015年に韓国で制作された映画で、李氏朝鮮建国初期の混乱と男女の愛を描いています。
映画の舞台となったのは、1398年に李成桂の後継者を巡って起きた第1次王子の乱です。李成桂には8人の男子がおり、そのうち前妃の子が6人、継妃の子が2人ですが、李成桂は寵愛した継妃の子、まだ幼い8男の李芳碩(イ・バンソク)を後継者としました。しかし、前妃の息子たちは、父とともに手を血に染めて戦ってきたという自負があり、父の決定には不満でした。特に有能で野心的な5男李芳遠(イ・バンウォン)は、前妃の子供たちと結束し、重臣である鄭道伝 (チョン・ドジョン)を奸臣として殺害し、さらに後継者の李芳碩も殺害します。これが第一次王子の乱で、事件後太祖は譲位し、事件の主役芳遠は親族・臣下の反撥を考慮して王位を辞退し、子供のいない2男李芳果(定宗)を推挙、即位させました。李芳遠は、丞相として実権を掌握し、国家体制の強化を推進します。
ドラマは、こうした一連の事件を背景として、鄭道伝の娘婿であるキム・ミンジェ将軍と卑しい身分の妓女カヒとの純粋な愛が描かれています。最後に二人は王子の乱の混乱の中で傷つき、川に落ち、水中でお互いに見つめ合いながら死んでいきます。この場面が、この映画のクライマックスなのでしょうが、逆に私は白けてしまいました。そもそも話の内容が歴史と関係がなく、しかも何度も濃厚なセックス・シーンが描かれますが、この映画にセックス・シーンが必要なのでしょうか。前に観た「霜花店」でもセックス・シーンが出てきますが、韓国の時代劇ではセックス・シーンは「お約束」なのでしょうか。これからまだ何本も時代劇を観ることになっているので、先が思いやられます。
歴史に話をもどします。1400年にまた王位継承権を巡って第2次王子の乱が起き、これを機に李芳遠は定宗を退位させ、その結果李芳遠(高宗)の実権が確立します。失意の太祖李成桂は宮廷を出奔し、仏門に帰依し、1408年に死亡します。太祖は仏教を弾圧し、儒教を国教とした君主でした。李成桂は武人としては優れていましたが、統治者としては今一だったように思われます。これに対して、太宗は優れた政治家で、数々の改革を行い、李氏朝鮮の政治体制は彼の時代にほぼ確立しました。そして彼の第3王子が、ハングルを発布したことで知られる世宗です。この太宗と世宗の治世50年間が李氏朝鮮の全盛期と言われます。
しかし、李氏朝鮮の歴史は、さらに450年以上続きます。
観相師
2013年に韓国で制作された映画で、ネギョンという名の天才観相師が、宮廷のクーデタに巻き込まれていく話で、大変興味深い内容の映画でした。
1450年、第4代国王世宗が死んだあと、文宗(ムンジョン、ぶんそう、在位:1450年 - 1452年)が第5代国王となりますが、病弱で、2年後に38歳で死亡し、端宗(タンジョン、たんそう、在位:1452年 - 1455年)が11歳で第6代国王に即位します。しかし、文宗の弟で端宗の叔父である首陽大君(スヤンデグン、しゅようだいくん)が、1453年にクーデタを起こして王の側近を排除し、1455年には端宗を廃して自ら王となります。その後端宗は、1457年に配流先で薬殺刑に処せられ、遺体は川に流されました。
この間の出来事に、主人公のネギョンが関わります。彼は観相師として都で大評判になり、宮廷に呼ばれて余命幾ばくもない国王文宗に合い、観相によって世子を脅かす者を探し、世子を助けて欲しいと頼まれました。しかし端宗は叔父である首陽大君によるクーデタで殺され、その混乱の中で多くの善良な役人や彼自身の息子まで殺されます。つまり正義は負けたわけです。しかも彼は観相師として端宗の死も首陽大君のクーデタも息子の死さえも予見できなかったのです。最後に彼は、自分に観えたのはほんの目先のことだけであり、大きな波を観ることができなかった、と呟きます。つまり観相師に歴史を変えることはできないということです。
ところで、新たに第7代国王となった陽大君=世祖(セジョ、せいそ、在位:1455年閏6月11日- 1468年)は、甥を殺したり、即位後も反対派を残虐に粛清したりしたことから、一般には悪逆非道とみなされ、逆に端宗が悲劇の君主とされることが多いのですが、世祖は君主としては有能で、官制の改革、法制や軍制の充実に努め、朝鮮王朝の基本法典である「経国大典」の編纂を開始するなど、王権の強化に努めました。さらに、クーデタに賛同した部下たちを側近として集め、この集団が後に勲旧派と呼ばれるようになります。これに対して朱子学を修めた新興の科挙官僚が士林派を形成し、ここに大地主が中心の勲旧派と中小の在地両班中心の士林派が、李氏朝鮮の二大勢力として対立するようになります。そして次に述べる燕山君が士林派を大粛清して、暴君と呼ばれるようになります。なお、旧勲派は16世紀末までに消滅しますが、その後士林派内に派閥対立が生まれ、この対立は、その後の朝鮮王朝の歴史に大きな影響を与えることになります。
王の男
2005年に韓国で制作された映画で、李氏朝鮮第10代国王燕山君(ヨンサングン、えんざんくん、在位1494~1506)の時代を扱っています。燕山君は、李氏朝鮮の27人の国王中最悪の暴君とされ、最後はクーデタで廃位させられます。真偽のほどは分かれませんが、映画では彼がこのような暴君なったのは、幼いころに母を殺されたことによるとされます。彼の母尹氏(いんし、ユンシ)は、貧しい家に生まれましたが、国王に寵愛され、正妃になりますが、彼女自身が嫉妬深かったこと、そして宮中の他の女性による嫉妬などで、宮廷は大混乱に陥り、結局彼女は毒殺されます。映画は、母を殺されたたことへの憎しみのため、燕山君の性格が歪んでいったという描き方をしています。
実は、この映画の主人公は燕山君ではなく、チャンセンとコンギルという二人の広大=旅芸人です。チャンセンは綱渡りで、コンギルは女形であり、とくにコンギルの美しさには目をひかれます。二人は決してゲイの関係ではなく、兄弟のような関係ですが、身分の卑しい旅芸人ですので、客からゲイの関係を迫られることもありました。それでもチャンセンとコンギルは、陽気に力強く生きていました。ところが都の路上で王を風刺する劇を演じていた時、二人は逮捕され、王の前に引き出されます。王は常に暗い顔をし、決して笑うことがありませんでした。そして二人は、王を笑わせることができれば許すと言われます。(なんだか、どこかで聞いたことのあるような話です。)
二人は王を風刺した相当下品でつまらない芝居を行いますが、これを観て突然王が大声で笑い始めます。その後王は彼らに役人の腐敗を暴く芝居をさせ、その度に役人たちを処刑し、最後に王の母の殺害を演じさせ、殺害を関わったものたちを次々と殺していきます。そして、ここでクーデタが起き、王は配流となり、チャンセンとコンギルは再び旅芸人にもどります。ここでもコンギルは王に寵愛されますが、これもゲイの関係ではなく、王はコンギルに母の面影を観ていたようです。
この映画は劇中劇という形を通して、芝居で過去に遡り、そして現実に戻って復讐が実行されます。その意味でこの映画は復讐劇ではありますが、全体にコミカルに描かれ、暗い雰囲気はありません。映画として、それ程出来の良い映画には思えませんでしたが、それなりに面白く観ることができたと同時に、李氏朝鮮が建国されてから100年ほど後に、こうした事件があったことを知りました。もちろん、映画の主人公であるチャンセンとコンギルはフィクションです。
以前に連続テレビドラマで「宮廷女官チャングムの誓い」が放映されており、妻が観ていたので時々一緒に観ていましたが、ストーリーの展開があまりに遅いので、私は途中でうんざりしてきました。ただ、当時は気が付かなかったのですが、このドラマは前の「王の男」と繋がっていました。つまり、チャングムの両親は燕山君の母の毒殺に関わって殺され、さらにチャングムは奴婢の身分に落とされます。ドラマはここから始まり、その後チャングムは、李氏朝鮮のお家芸ともいうべき、すさまじい勢力争いに巻き込まれていきます。
このドラマでもう一つ興味深かったのは、「医女」という制度でした。これは女性が医学の勉強をし、医師となる制度で、最初はすばらしい制度だと思って観ていました。しかし事実はまったく違っていました。李氏朝鮮の時代には、朱子学の影響で、女性が男性の医師に触れられることを嫌ったため、「医女」という制度が生まれたようです。ただ、「医女」の身分は奴婢であり、また芸道にも通じていましたから、風紀が乱れて末期には妓生(きしょう、キーセン、売春婦)と実質的に同一化してしまいます。結局、医女の制度も、朱子学の厚い殻を破ることはできませんでした。