2019年1月30日水曜日

「日本の朝鮮統治を検証する 1910-1945」を読んで

ジョージ・アキタ/ブランドン・パーマー著 2013年 
塩谷紘訳 草思社 2013
 昔から、日本の朝鮮支配は朝鮮の近代化に寄与した、あるいは、日本の朝鮮支配は他の国の植民地支配に比べればはるかに穏健だった、という議論が行われており、日本の植民地支配を悪とする人々はナショナリストと呼ばれ、良い面を見直そうとする人々は修正主義者とよばれるのだそうです。
 私は以前に日本による朝鮮統治に関わる本を随分たくさん読み、日本の統治に対して義憤にかられていました。しかし私が読んだ本の多くは、日本の研究者が書いたものであり、こういう研究者もナショナリストと呼ぶのでしょうか。修正主義者によれば、こういう人々も朝鮮人の言いなりになっているため、ナショナリストなのだそうです。
 それでも私は、日本の朝鮮支配をもっと客観的に捉えるべきではないか、という疑問を常にもっていました。もちろんこうしたことを、加害者である日本人が行うことには躊躇があると同時に、こうした修正主義的議論は、常にイデオロギー的に利用される傾向があり、安易に手を出せない分野でした。私は、たまたま図書館で本書をみつけ、朝鮮統治を冷静に分析と書かれていましたので、借りて読んだのですが、結局失望しました。本書に科学的検証などどこにもなく、自説に都合の良い議論の寄せ集めでしかありませんでした。
 かつて(今もかも知れません)、イギリス人は今日のインドの近代化を可能にしたのはイギリスであり、イギリスの植民地支配は正しかったと主張しました。同様に、日本の朝鮮統治は、朝鮮の近代化に大きく貢献した、と主張されます。では「近代化」とは、すべてを犠牲にしてよい「絶対的な善」なのでしょうか。インドのマハトマ・ガンディは、この「近代化」を激しく批判したのです。

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