1997年から2004年までアメリカで放映されたテレビドラマで、ボストンのある弁護士事務所を舞台とした物語です。このシリーズは第8シリーズまであるのですが、日本でDVD化されているのは、第2シリーズまでのようです。
アメリカでは陪審員制度が定着しており、多くの人が陪審員を経験しますので、裁判物の映画やテレビドラマが非常に多く、このブログでも「映画でアメリカを観る(6)」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.com/2015/02/6.html)で、こうした映画を紹介しています。このドラマと並行して、「LAW & ORDER」というドラマが放映されており、これは実に20年も続きました。「LAW & ORDER」は、検察と警察の物語ですが、「The Practice」は主に刑事訴訟を扱う小さな法律事務所の物語で、「LAW & ORDER」に比べると幾分内容が雑ですが、それでも放映期間中に何度も賞を得ています。残念ながらどちらのドラマも、日本ではDVD化があまり進んでいません。内容が重すぎることと、司法制度が日本人には馴染みにくいからではないかと思います。
主人公のボビー・ドネルは一流の弁護士事務所に勤めていましたが、企業や金持ち相手の仕事に嫌気がさし、刑事事件を中心とする小さな弁護士事務所を開きます。彼の理想は、富や社会的地位に関係なく、法が公正に適用されることです。多くの被告人が無実を主張し、実際にはそのほとんどが有罪で、彼らの多くは司法取引で減刑されて服役します。そして、彼らの中には釈放されると再び罪を犯すこともあるでしょう。ただ稀に、そういった人々の中に本当に無実の人がいることがあります。こうよう人々のために、法を公正に適用し、えん罪を生み出さないようにすることが大切です。
こういう言い方をすると綺麗事に聞こえますが、日々の活動で行っていることの多くは、ボビーの言葉を借りるなら「ルールを曲げ、規則をかいくぐるのをモットー」としていました。その手法は、時には反吐が出そうなほど汚いやり方で、彼ら自身も自己嫌悪に陥ることもしばしばでした。また刑事裁判の弁護料は安いため、麻薬の売人の顧問をしたり、つまらない訴えを引き受けたりして、事務所の経営を維持しています。彼らが日々行っていることは、理想とは程遠いのですが、それでも事務所を維持していけば、時には彼らが本当にやりたいと思っている裁判に出会うこともあります。この事務所には5人の弁護士と1人の女性事務員がいますが、彼らはこのような価値観でほぼ一致しています。
アメリカの裁判物の映画を観ていると、アメリカの司法制度は日本のそれと相当異なっていると感じます。もちろんどの国の司法制度も、それぞれ長い歴史をもっていますので、異なっているのは当然なのですが、それにしてもアメリカと日本のそれは根本的に異なっているように感じます。アメリカでは12人の陪審員が評決を下しますが、それは有罪か無罪かだけで、中間はありません。もし検察官がある被告を第一級の殺人で起訴し、陪審員が有罪と判断すれば、被告はほぼ自動的に終身刑(州によって異なる)です。もちろんそこに至るまでに、例えば「罪をみとめれば懲役20年」といった具合に司法取引が行われますが、もし被告が本当に無罪で陪審員による評決を望んだとしても、有罪の評決がでる可能性があります。もし被告が有罪評決を恐れて司法取引に応じれば、被告は無実のまま20年の懲役を務めることになります。もちろん、日本にも冤罪は相当あると思われますが。
日本の司法制度に馴染んだ人にとっては、こうしたアメリカの司法制度には容易に馴染めないように思いますが、アメリカではこれが最も優れた制度だと思っている人が多いようです。陪審員制度の原型はヨーロッパ中世に生まれ、イギリスを通じて北米植民地にも伝えられました。18世紀後半にイギリス本国に対する反発が強まると、イギリスから派遣された裁判官や検事に対して、植民地人である陪審員がことごとく反発しました。つまり陪審員制度は、アメリカ合衆国独立の核となったのです。そのため、陪審員制度はアメリカの司法制度の根幹となり、アメリカ人の文化として定着していったのだと思います。それは人民による統治を確立するための重要な方法であり、参加型民主主義の典型的な例です。
陪審員制度にあっては、検察官や弁護士が陪審員をどう説得するかが重要になってきますので、裁判では検察官も弁護士もあらゆる手をつくして陪審員の説得を試みます。そのため裁判ドラマはスリリングで知的ゲームのような面白さがあり、この映画でも、手練手管を駆使した裁判闘争を見ることができます。ただ、ドラマでは日本ではありえないような法廷闘争が展開されますので、少し馴染みにくいかもしれません。
ドラマではさまざまに問題が取り扱われ、単に法廷闘争だけでなく、深刻な問題についても議論されます。例えば第2シリーズの最終回では、13歳の少年が母を銃で撃ち殺すという事件がありました。アメリカでは、殺人の場合こどもでも成人として裁かれる傾向があります。ではこの少年は成人として裁かれるべきか。もし成人として裁かれて有罪となれば終身刑です。このことについて検察官と弁護士が激しく議論しますが、結局判事は成人として裁くことを決定します。判事は、毎日嫌になるほど醜い事件と向き合い、それでも子供たちに希望を見出していました。だから子供が母親を殺すなどということはあってはならないことです。だからこそ、この13歳の少年を成人として裁くしかないということです。大変厳しい選択です。
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