2018年10月1日月曜日

小説(8) アルデンテ・ムーン(麻実)


碧々とした空に気の急いた月が、だけど当然の顔をして浮かんでいた。骨のような、なまなましい白さをこの世の何よりも美しいと思っている。そんな私をママは「変な子」だと簡単に片付ける。変わっているつもりは毛頭ないのだけれど。

私は摘みたてのあじさいを冷蔵庫に大切に丁寧にしまった。圧倒的な冷たさの中で、あじさいがどうなってしまうのか確かめたかったのだ。
次の日、冷蔵庫を開けてみたらあじさいはチョコレートになっていた。あじさいがチョコになっちゃった。
と。一瞬だけ、ほんの一瞬、真剣に考えたから、ママを振り返った。
「あじさい知らない?
ママは心底うんざりしながら答えた。
「やっぱりルイね。あじさいは捨てたわ。あんなことしたらお花が可哀そうじゃない。」
 おはながかわいそう? 花を捨てることは可哀そうじゃないのか。そっちのほうがよっぽど残酷だ。
 ママはときどき都合のいい常識を無自覚に押し付けようとする。正論だからこそ、タチが悪い。

 紫陽花。漢字で書くと美しく改まっていて、どこかよそよそしい。本当はもっと近づきたいのに。
 私は公園の片隅にあるあじさいの群衆にひとめで恋をした。晴れた青空をふんだんに凝縮し閉じ込めたかのような、水色のあじさいに。
 否、あじさいを背景に佇んでいる少年にあじさいごと一目惚れしたのだ。彼は見事にあじさいを自分の空間内に所有していた。
 こんなにも、あじさいが似合う男を他には知らない。
 彼は常に和服を着ていて、端正な顔立ちと、墨汁を零したような真っ黒な髪を携えている。そしていつもベンチに腰掛け、本を読んでいる。彼は何歳だろうか。名前はなんていうのかな。何をしている人なんだろう。どうしていつも、あじさいの傍にいるんだろう。
「あじさい綺麗ですね」
 私は勇気を出して声をかけてみた。できるだけ自然に。彼の隣は、雨の香りがしていた。
 彼は艶やかな黒髪を降水に震わせながらゆるりとした動作で、本当ですねと美麗にほほえんだ。
 その瞬間、心が搾り取られたみたいに苦しくなった。あじさいがすごく似合うなんて大胆なことは言えなくなってしまった。
「あなたは美しいが冷淡だ」
 彼がぽつりと零した、誰にともなく。
「何それ」
「花言葉」
「あじさいの」
 彼は頷き、とびきり上品な笑顔で
「昔、言われたことがあるんです。あなたは紫陽花みたいな人だって」と言った。
 さらさら流れる水滴のせいで彼の表情がよく見えなくなった。
 冷たい雨はあじさいを揺らし、恵みを与え、静かに降り続いている。私は彼の言葉の裏側にとうとう辿りつけず、途方にくれた。
 家に戻り、彼の言葉やしぐさや声が瞳の色について、様々なことを記憶からたぐりよせた。何度も何度も。
 自分で見ている世界、誰かが見ている世界が、同じであったらいいのに。
 なんて傲慢な願い。
 私はぞんざいに湯を鍋にはり沸騰させ、ちぎったあじさいを放りなげた。鍋一杯に浮かんだあじさいはその下のお湯によって支えられているくせに存在を忘れさせるかのように主張しまくっていた。ああ、なんて冷たいやつなんだ、と的外れなことを思っていたら、ママが覗き込みながら、キレイねと感動していた。私はそんな「ママ」を可笑しく思い、なんだか愛おしく思った。
 本当の本当は、何歳で何者で名前は何か性別はどちらかなんて、あってないようなものなのかな。きっと。私が私でしかありえないように。
 明日もその次の日も雨の中で、紫陽花が麗しく咲いている。彼の世界に、彼の見えているものに、ほんの少しでも寄りそえることがでたら、いい。

*自分と周辺との違和感は、麻実が常に悩み続けてきたことのように思います。
















(この絵と文章の内容は関係ありません。この絵は麻実が描いた不思議な絵です。)

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