2018年9月8日土曜日

映画「ムーラン」を観て





























2009年に中国で制作された映画で、ムーラン(木蘭)という女性が国のために戦うという物語です。ムーランについては京劇の演目にあり、また中国でも映画化されていましたので、中国人の間でもよく知られた物語でしたが、何よりも1998年にディズニーがアニメ作品として制作し、中国で大変な人気になり、「ムーランⅡ」が制作されたり、さらに現在実写化の計画が進んでいるそうです。これに対抗して、中国でも2009年に実写版が制作されました。
3世紀に漢が滅びた後、4世紀には五胡と呼ばれる異民族が華北に侵入し、5世紀には五胡の一つ鮮卑族が華北を統一します。同じころ、かつて鮮卑が支配していたモンゴル高原で柔然が強力となり、北魏に侵入を繰り返すようになります。草原地帯は生活が厳しく、特に気候が寒冷化すると、生きていくことさえ困難となります。かつて鮮卑族は豊かな中国に憧れ、中国に進出して国を建て、豊かで安定した生活をするようになりました。そして、今や柔然が豊かな北魏を羨み、北魏に侵入して略奪を繰り返します。この映画は、こうした情勢を背景としています。なお北魏については、このブログの「映画で中国史を観る 北魏馮太后(ふうたいこう)(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/01/blog-post_4967.html)を参照して下さい。
この映画は、柔然討伐のため兵士の大規模な徴兵命令から始まります。民衆も、柔然による略奪に苦しめられていたため、ある程度徴兵に協力はするのですが、それでも相次ぐ徴兵のため限界に達しつつありました。ムーランの父も徴兵されますが、父は病気のため徴兵に応じられそうにありませんでした。ムーランは、幼いころより武術を習い、武術の達人でしたので、男装して父に代わって徴兵に応じることにしました。つまり、この映画の第一のテーマは、中国が最も重視する親への「孝行」ということです。もちろん女性が男装して軍隊に入ることは禁じられていますので、この行為は命がけです。それよりも、いかに男装していたとはいえ、女性が男しかいない兵隊たちの中で10年以上も暮らすことができるのか、という疑問はありますが、この物語はあくまで伝承ですので、あまり深入りすることは止めておきます。
この映画を観ていて疑問に思ったのは、そもそも徴兵を命じた北魏王朝そのものが異民族の王朝であり、そのような王朝のために戦うことに民衆には違和感はないのか、ということです。われわれが「民族」という時、そこには、19世紀のヨーロッパで生み出された「国民国家」という意味が含まれているように思います。この「国民国家」という概念が世界に与えた影響はあまりに大きかったため、我々が歴史を顧みるとき、細心の注意を払っても、国民国家的な意味で民族を捉えてしまう傾向があります。そもそも近代以前の中国に、国民国家的な意味での「民族」など存在しなかったと思います。「漢民族」とは、人種的なものではなく、文化的なものであり、この文化が共有される限り、支配層が誰であるかということは、問題ではなかったのだと思います。従って、北魏によって徴兵されたムーランは、素直に国(故郷)のために戦うことができたのだと思います。
女性が男装して戦うというイメージは、少女漫画的なイメージと重なりますが、この映画はそのような映画ではありません。厳しい戦いの連続、仲間たちの死は、彼女の顔から笑顔を奪っていきます。そんな中で、ウェンタイ将軍は彼女を助け、彼女が女性であることに気づきつつも、彼女をかばい、やがて二人の間に恋が芽生えます。一方、当時北魏も柔然も戦争に疲れ、和平への道を模索していました。その方法として、北魏の皇子の一人と柔然の娘との婚姻が決定されます。そしてその皇子がウェンタイでした。二人は心から和平を願っていましたので、恋をあきらめ、ムーランは故郷に帰っていきます。
ディズニーのアニメは、この物語をラブ・ロマンスとして描いているようですが、この映画は戦争の厳しい現実を描いており、大変興味深く観ることができました。また、北魏と柔然か抱えるれそぞれの問題が語られ、この点も興味深く観ることができました。

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