2018年9月1日土曜日

映画「ドラゴンゲート」を観て


 2011年に中国で制作された3D武侠映画で、中国の明代を背景としています。明代には民衆が力をつけ、多くの民衆文学が生まれます。「封神演義」 (http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2014/01/blog-post_4967.html)
「西遊記」 「水滸伝」 (http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/07/blog-post.html)などで、また清代には「聊斎志異」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/04/blog-post_9.html)などがあります。さらに日本の人気漫画「ドラゴンボール」は孫悟空を主人公としますので、「西遊記」の影響を受けています。「ドラゴンゲート 空飛ぶ剣と幻の秘宝」の原題は「龍門飛甲」で、邦題の「ドラゴンゲート」は、「ドラゴンボール」の人気にあやかったのでしょう。「ドラゴンボール」も漢字で書けば「龍玉」ということになります。
映画では、悪徳宦官と義賊との戦いと龍門での宝物の発見の物語が描かれます。明王朝は、1368年に洪武帝によって建国され、15世紀に入ると第3代皇帝永楽帝のもとで発展します。しかし、北方でオイラトと呼ばれる遊牧民が成長して明を圧迫し、1449年にオイラト討伐に向かった第6代皇帝英宗がオイラトの捕虜となるという重大事件が発生します。英宗はやがて解放されて復位しますが、1464年に死亡し、長子の成化帝が即位します。この間宮廷は混乱状態にあり、永楽帝以来重用されてきた宦官が実権を握るようになります。成化帝は、自身の乳母で19歳年上の宮女である万貴妃を寵愛したため、宮廷は混乱の極に達します。この映画は、こうした時代背景を前提に制作されています。当時宮廷では一人の宮女が、皇帝の子を身籠って宮廷から脱出し、怒り狂った万貴妃が宦官を用いて彼女の殺害を図り、これを義賊が助けます。そして彼女が生んだ子が後に弘治帝となり、名君と呼ばれるようになります。
 一方、かつて敦煌の方面にタングート(党項)族の西夏という国があり、300年前にモンゴル帝国によって滅ぼされました。その際西夏の人びとは、黄金を龍門の宮殿に隠し、やがて宮殿は砂嵐によって砂漠に埋もれてしまいます。ところがこの宮殿は、60年に一度の砂嵐で姿を現し、2時間後に再び嵐により姿を消すのだそうです。映画では、さまざまな人がこの日のために龍門を訪れ、すさまじい闘いが繰り広げられ、砂嵐で多くの人が死に、結局宝物は持ち出せなかった、という話です。なお、龍門という地名はたくさんあり、日本では洛陽近郊の龍門の石窟が有名ですが、映画で問題となっているのは西夏の支配地域なので、もっと西の方、敦煌に近いところではないかと思います。
 映画の内容はありきたりで、つまらないものでした。この映画は、ストーリーより3Dのアクションを見せることに主眼が置かれていると思われ、中国映画お得意のワイヤー・アクションをたくさん盛り込んでいましたが、私にはあまり興味がありません。


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