アーサー・フェリル著、1985年、鈴木主税・石原正毅訳、河出書房出版(1988)
本書は、サブタイトルにあるように、「石器時代からアレクサンドロスにいたる戦争の古代史」を扱っており、戦争が起きる社会的原因というよりは、「戦争」と呼ばれるものが、どのように発生したかを論じています。
原始社会においては、喧嘩による殺し合いと戦争との区別をつけることは容易ではありません。武器が存在していたからといって、それは狩猟や単なる殺人のためのものであったかもしれず、それをもって戦争が行われたとは言えません。筆者によれば、縦隊と横隊の証拠があれば、それは指揮と組織の存在を意味しており、すでに戦術が考案されていた、ということです。これについての明白な証拠は、新石器時代の初期に見られるそうで、それは武器の革新や定住と関係しているのだそうです。
本書は、オリエントやギリシアにおける武器や戦略・戦術の変遷を詳細に論じていますが、私自身はこうした内容にあまり関心がないため、かなり飛ばして読みました。古代オリエントにおいて、長い年月をかけて戦争技術が発展していき、やがてペルシアの戦争技術とギリシア・マケドニアの戦争技術が、アレクサンドロスによって統合されます。著者は、これが古代軍事技術の集大成である主張し、以後戦争は19世紀まで本質的に変わることはなかったと主張します。
最後に著者は、ナポレオン戦争のクライマックスともいうべきワーテルローの戦いで、もしアレクサンドロスが指揮をとっていたらどうなったか、という仮説を立てます。もちろんアレクサンドロスの時代に火薬はありませんでしたが、彼の時代には弓や投石器を含む種々の飛び道具は存在しました。戦いの勝敗を決するものがあるとすれば、二人の資質の違いにありました。アレクサンドロスは常に戦士の先頭に立って突撃し、兵士を鼓舞しましたが、ナポレオンは戦場のはるか後方から戦争を指揮しました。どちらが優れているのか分かりませんが、ナポレオン型の場合戦場から離れすぎて、迅速な指揮がとれないという欠点があり、それが敗北の原因となりました。とはいえ、アレクサンドロス型の場合、指揮官が戦場で戦死する可能性があり、指揮官がいない軍隊は統制がとれなくなってしまいます。
本書は、あくまで戦術・戦略という観点で戦争をとらえており、またオリエント・ギリシアの戦争に限られています。できれば、中国の戦争についても触れてほしかったと思います。アレクサンドロスの時代の中国は戦国時代の真っただ中にあり、すぐれた兵法が発達していたのですから、是非比較して論じてほしかったと思います。
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