2017年8月9日水曜日

「皇弟溥傑の昭和史」を読んで

舩木繁著 1989年 新潮社
 本書は、中国清朝の最後の皇帝宣統帝、後の満州国皇帝愛新覚羅溥儀の弟、愛新覚羅溥傑の一生を描いたものです。著者は、溥傑とは陸軍士官学校の同窓生だそうです。
 愛新覚羅家の宿願は、清朝の復活でした。溥儀が満州国皇帝となったのも、川島芳子の活動も、それを目的としていました。そして溥傑は、満州国の軍隊を強化するために、26歳の時学習院中等科に留学し、日本語を学んだ後、陸軍士官学校に入学して軍人としての道を歩みます。この間彼は日本の皇室の女性と結婚して日満友好の象徴となりますが、その後満州国は崩壊し、溥儀も溥傑もソ連に抑留され、その後中国共産党に引き渡され、収容所生活を送ります。この間、日本にいた溥傑の娘が天城山で心中するという悲劇もありました。二人が収容所から解放されたのち、溥儀はまもなく死にますが、溥傑は、日中国交回復後、日中交流に大きな役割を果たします。
 以上のことについての事情は日本でもよく知られており、私もある程度知っていました。ただ、本書の主題とは直接関係ないのですが、李氏朝鮮(大韓帝国)の最後の皇太子とされた英親王についての記述は、大変興味深いものでした。日露戦争後、朝鮮は事実上日本の植民地となっていきますが、そうした中で英宗は、190710歳の時日本に留学させられ、以後人生の大半を日本で暮らします。いわば人質です。学習院を経て、士官学校で学び、この間に皇室の女性と結婚します。これは溥傑の先例となり、天皇を中心とする植民地支配のモデルとなりました。そして彼は日本で終戦を迎えますが、朝鮮が混乱していたこともあって帰国できず、晩年になってようやく韓国に帰国することができました。
 これらの人々は、日本の侵略政策に翻弄された人々であり、おそらく同じような運命にさらされた人々は、数えきれないほどいることでしょう。

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