久保尚之著、1996年、丸善ライブラリー
現在の中国東北地方にあたる満州は、もともと清朝の発祥地であり、18世紀以降は漢人の移住が禁止されていました。しかし19世紀に入るとロシアが進出し、20世紀初頭にはロシアにより、シベリア鉄道と中国の旅順・大連をつないで満州を縦断する東清鉄道が建設されます。これに脅威を感じた日本は、やがて日露戦争に突入し、その結果南満州鉄道を手に入れます。しかし手に入れたのは鉄道であって、満州という領土ではありませんので、日本は次第に満州という領土に目を向けていきます。そしてこの頃から満州が政治的な単位として意識されるようになります。
本書は、この日露戦争前後の事情を、いろいろな角度から述べています。まず本書は、1928年(昭和3年)に宮崎県のある商業学校が朝鮮、満州、中国本土への19泊20日の修学旅行を行ったことを述べます。このことは、当時の日本人がいかに朝鮮や中国に自分たちの将来を託していたかを示しています。そして最後に、夏目漱石が1909年(明治42年)に旅行記として執筆した「満韓ところどころ」と伊藤博文暗殺で終わります。この旅行記は満州鉄道の依頼で書かれたものですが、さすがに夏目は満州鉄道の提灯持ちをする気はなく、現地の人々の姿をしっかりと捉えています。そして、本書のテーマは、それに先立つ南満州鉄道の獲得を巡るさまざまな問題、とくにハリマン事件の背景をとらえることです。
ハリマンはアメリカの鉄道王と呼ばれた人物で、彼は南満州鉄道の共同経営権を手に入れ、そこからヨーロッパまで大陸を横断する鉄道を建設したいと夢を抱いていたそうです。当時、アメリカのセオドアローズヴェルト大統領の仲介でポーツマス条約が締結されようとしていましたが、日露戦争はどう見ても日本が勝ったとはいえず、ロシアから賠償金をとることなど不可能でした。そのため、日本はロシアから南満州鉄道を手に入れたわけですが、これを経営する資金がなく、これに目をつけたハリマンが多額の資金を提供することを申し出たわけです。日本としては、喉から手が出るほど欲しい資金で、政府はハリソンとの間で覚書まで交わしましたが、多くの犠牲者を出した日露戦争でかろうじて手に入れた南満州鉄道を外国人との共同経営にすることには抵抗がありました。そうした中でセオドアローズヴェルト大統領が裏から手をまわして日本に資金を提供し、日本は一方的にハリマンとの覚書を破棄してしまいます。こうしてハリマンの夢は潰え去ったわけですが、セオドアローズヴェルトがこうした行動をとった背景には、本書によれば、大統領が中国における反米感情を高めることを嫌ったためとされます。
本書の主張が正しいのかどうか、私には分かりませんが、本書はハリマン事件をさまざまな角度から論じており、大変興味深い内容でした。なお、本書のサブタイトルは「日米摩擦のはじまり」で、この頃から微妙に日米摩擦が生まれてくる様子が描かれています。
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