2017年4月5日水曜日

「ゴッホとロートレック」を読んで

嘉門安雄著、1986年、朝日選書
 著者は美術史家で、特にレンブラントを専攻しているようですが、それとは別に、ゴッホとロートレックの絵画をこよなく愛し、二人の作品の解説を通して、二人の画家の足跡を追っています。なお、ゴッホについては、このブログの「映画で三人の画家を観て 炎の人 ゴッホ」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/04/blog-post_16.html)、ロートレックについては映画「ムーラン・ルージュ」を観て(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/03/blog-post_19.html)を参照して下さい。
 ゴッホとロートレックについては、どちらも37歳の若さで死んだこと、1886年から2年ほど二人はパリで暮らし、友人であったという共通点がありますが、当時パリでは多くの画家が絵を学び、お互いに親交がありますので、この程度の共通点は珍しくもありません。
「性格も生活環境も、そして絵画の出発点も結実も、全く異なるゴッホとロートレックである。しかし二人とも、とにかく描く。呼吸そのもののように描き続ける、描くことによって自己を確認し、主張しようとするゴッホ。それに対して、描くことによって自己を忘れ、解放しようとするロートレック。その手段、方法に違いはあるにしても、生理的にも精神的にも、所詮、絵を描くしか生きられぬ二人である。」
 「ゴッホは絵画を哲学するのに対し、ロートレックは絵画を生きている証しにする。かれは自己を投影するかわりに、むしろそこから自己を離そうとするかのようである。それは、孤独の中へ引き込まれるゴッホと、孤独を恐れ、避けようとするロートレックである。」
 「二人とも、浮世絵の美を見出し、理解し、教えられる。だが、ゴッホは観念にまで高めようとする。心の問題にまで昇華しようとする。ロートレックは「うん、素晴らしい」「面白いね」「なるほど、こうすればいいんだ。直観的だ」である。つまり、より感覚的であり、それを活用する方法を素早く見出すのである。北斎漫画に手を打ち、北斎の異様とも見える画面構成に喜び、ポスターに浮世絵版画の平塗りと色面の単純化を小気味よく活用するロートレックである。」
 二人の作品に対する著者の情熱が伝わってきます。


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