2007年にハンガリーで制作された映画で、1956年に起きたハンガリー動乱を扱っています。ハンガリー動乱については、それぞれの立場により「事件」「革命」「暴動」「蜂起」など、いろいろな呼び方があり、現在のハンガリー政府は「革命」と呼び、この日を記念日として「祝日」としています。日本では一般に「動乱」が多いようです。なお、この映画の原題は「太陽通り」で、この「通り」を守っていた若者たちの物語で、パッケージの写真にも違和感があります。
ハンガリーは、ドナウ川が貫流する草原地帯で、この草原はユーラシア大陸を東西に走る草原地帯とつながっているため、古くから多くの民族がこの地方に入ってきました。そして9世紀から10世紀にかけて侵入したマジャール人が、この地方に国家を築きました。ハンガリーというのは、「十本の矢」(十部族)を意味するのだそうですが、現在ではマジャール人の共和国となっています。彼らの言語のルーツは、前に触れたフィン人と同じだそうですので、彼らもまたインド・ヨーロッパ語族の中で孤島を形成しているわけです。
ハンガリーは一時繁栄した時期もありましたが、15世紀以降さまざまな勢力の支配下に置かれ、第一次世界大戦が勃発した時には、オーストリア・ハプスブルク帝国の一部を構成していました。その結果、第一次世界大戦ではドイツ・オーストリアの側で戦って敗戦国となり、多くの領土を失いました。そのため、第二次世界大戦では領土の拡大を期待して、ドイツの側で戦い、独ソ戦争ではソ連に侵入しました。そして戦後にはソ連軍により占領され、賠償金を課せられ、さらにソ連軍の駐留経費まで負担させられ、ハンガリー人の生活は崩壊します。さらにソ連型経済体制が導入されると、経済は混乱し、各地で暴動にまで発展しました。1953年にスターリンが死に、1956年にフルシチョフがスターリン批判を行うと、スターリン主義者だった政府の指導層は動揺し、ブダペストでは大規模なデモが発生し、ソ連軍が鎮圧に乗り出しました。
映画は、このデモが発生した10月23日に始まります。たまたま空き地でサッカーの練習をしていた青年たちが、デモのニュースを聞いて自分たちも参加しようということになりました。軍隊にいる友人から銃を借り、ブダペストの「太陽通り」にある映画館を拠点に、この通りを通過するソ連軍の戦車を阻止するということです。何とも軽薄な話です。映画館でも友人たちと騒ぎ、映画を観、恋人までやってきます。こうした中でソ連軍が通りに現れ、鉄砲では歯が立たないため、火炎瓶で攻撃します。結局、翌日にはソ連軍は戦闘を停止しますが、政府は事態を収拾できず、11月4日に再びソ連軍が侵攻します。今度は、政府機関もソ連軍も抵抗する市民を徹底的に弾圧し、その結果、多くの人々が死傷し、多くの人々が逮捕・処刑され、さらに多くの人々が国外に亡命しました。
映画はここで終わりで、主人公のガーボルは、淡々と戦闘に参加しているのみで、劇的な場面は何もありません。ただ「仲間でやれば何でもできると思っていた」だけです。この映画の冒頭に、高名な映画監督の「ただ人々を撮れば映画になる」という言葉があげられていますが、まさにこの映画は、そうした映画でした。
その後ハンガリーは30年以上統制下に置かれますが、1980年代にソ連のゴルバチョフがペレストロイカを提唱し、1989年にハンガリーでも民主化が達成されます。そして最後に映画では、多分この映画が制作された2007年に、太陽通りで壊れたまま残っていた映画館の前で、その後の仲間たちの消息を語って終わります。当時の人々は、あたかも普通に動乱に参加し、その後は統制下であたかも何もなかったかのように普通に暮らし、そして普通に民主化を迎えているかのようでした。しかし快活な青年だったガボールに深く刻まれた皺が、すべてを物語っているかのようでした。
君の涙ドナウに流れ
2006年にハンガリーで制作された映画で、前の「ブダペスト市街戦 1956年」と同様、ハンガリー動乱を舞台としています。タイトルの「君の涙ドナウに流れ」は大変詩的ではありますが、意味がよく分かりません。英語版のタイトルは「Children of Glory」です。 映画の登場人物は架空ですが、この映画は、ハンガリー動乱とメルボルンの流血戦という二つの史実を背景としています。
メルボルン流血戦というのは、1956年にメルボルンで行われたオリンピック競技において、12月6日のハンガリー代表とソ連の代表の試合で乱闘が行われた事件です。当時、ハンガリー動乱でソ連軍がハンガリーを制圧していた時代でした。こうした事情を選手たちも観客たちもよく知っており、ハンガリーが4―0で勝っていた時に、ソ連の選手がハンガリーの選手を殴ったため、選手と観客が入り乱れて乱闘となり、審判の判断で試合終了1分前に試合を終了させました。結局ハンガリーが優勝したのですが、オリンピックの後、ハンガリー選手団100人のうち、45人が西側諸国に亡命しました。ハンガリー動乱と流血事件から50年を記念して、この映画が制作されました。
ハンガリーの水球の代表選手だったカルチは、デモに参加していたヴィキという女性に出会い、恋をします。カルチは、ヴィキに誘われてデモや銃撃戦に参加し、オリンピックへの参加を止めようとも思いましたが、ソ連軍も引上げ、事態が収拾に向かっているように思われたため、オリンピックのため旅立ちます。しかし、その日、11月4日にソ連軍が再侵攻し、ブダペストを総攻撃します。その過程でヴィキは捕らえられ、処刑されます。もはやこうなったら、オリンピックでソ連を倒し、ハンガリーの名誉を守るしかありません。ハンガリー・チームはソ連チームに圧勝し、腹を立てたソ連選手がハンガリー選手を殴り、乱闘が始まりました。「流血」といっても額を切っただけなので、それほど大した流血ではないのですが、この事件は全世界に報道されました。ハンガリーは金メダルをとりますが、カルチの心は晴れませんでした。
映画の登場人物は、ほとんど架空の人物ですが、事件は実際に起きました。その後、カルチが亡命したかどうかは、映画では分かりませんでしたが、もはやハンガリーに戻る理由は彼にはなかったでしょう。
なお、1964年東京オリンピックで活躍したチェコスロヴァキアの女子体操選手チャスラフスカは、1968年の「プラハの春」を支持し、ソ連軍の侵攻に反対したため、同年のメキシコ・オリンピックへの出場が危ぶまれましたが、直前に出国許可がおり、6種目でメダルを獲得しました。しかしチェコスロヴァキアでは旧体制が復活していましたので、帰国後、彼女は困難な状況におかれることになります。
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