2016年9月10日土曜日

映画「スパイ・ゾルゲ」を観て



2003年に制作された映画で、第二次世界大戦時に日本で起きたゾルゲ事件と呼ばれるスパイ事件を扱っており、篠田監督の最後の作品だそうで、3時間を超える長編です。篠田作品については、このブログでも、「はなれ瞽女おりん」(「映画で旅芸人を観て http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/05/blog-post_4.html)」、「鑓の権三」(「映画で浮世草子と浄瑠璃を観て」http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/05/blog-post_11.html)」、「写楽」「(映画で浮世絵師を観て) http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/03/blog-post_5.html)を取り上げており、興味のある方は参照して下さい。
ゾルゲは、ロシア生まれのドイツ人で、3歳の時ベルリンに移住し、第一次世界大戦が始まると、二十歳の頃に陸軍に志願し、悲惨な戦争を経験します。さらにその後のインフレと政治的混乱の中で、彼は共産主義に希望を見出していきます。こうした中で、彼はソ連の諜報員となり、1930年にドイツの新聞記者を隠れ蓑に上海で諜報活動を始めます。一方、もう一人の主人公である尾崎秀実(ほつみ)は、東京帝国大学在学中に、大杉栄虐殺など思想弾圧に触発されて、社会主義の研究を始めますが、表立った活動は行っていません。1926年に朝日新聞に入社し、翌年上海支局に転属となります。この頃彼はスメドレーに出会い、彼女に協力する形で間接的にコミンテルンの諜報活動を行うようになります。こうした中で、彼はゾルゲに出会い、彼の諜報活動に協力するようになります。なお、スメドレーについては、このブログの「「偉大なる道 上下」を読んで」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/04/blog-post_20.html)を参照して下さい。また、尾崎はスメドレーの著作「女一人大地を行く」を翻訳しています。
1931年に尾崎は帰国し、さらにゾルゲはドイツと日本の動向を探るため日本に渡ります。この間に満州事変が勃発し、さらにドイツではヒトラー政権が成立します。ゾルゲはドイツの駐在武官オットの信頼を得、さらにオットは後に駐日大使となり、尾崎は首相となった近衛文麿の相談役となったため、二人は両国の最高機密を知り得る立場になりました。ところが、ソ連でゾルゲの後ろ盾となっていたブハーリンがスターリンによって粛清されたため、ゾルゲは本国から疑いの目で見られるようになり、活動資金も送られなくなります。1941年にゾルゲは、ドイツが独ソ不可侵条約を無視してソ連に侵入するという信憑性の高い情報をソ連に伝えますが、スターリンはこれを無視し、その結果ソ連はドイツ軍の電撃的な侵入に大敗北を喫することになります。一方、当時日本では、ソ連と戦ってシベリアに領土を広げるか、石油資源を手に入れるため南へ進むかで意見が分かれていましたが、アメリカによる対日禁油政策のため南進が決定されました。この情報をいち早く入手したゾルゲは、ソ連にこれを伝え、その結果ソ連は日本に備えて配備されていた極東軍を西に移動することができ、ドイツに対する反撃を開始することが可能となりました。
一方、特高は早くから不審な電波が発信されていることをつかんでいましたが、発信源まで特定することはできませんでした。しかし次第にゾルゲ周辺の人々への内定が進み、1941年に尾崎とゾルゲが逮捕されました。ドイツ大使オットと近衛首相にとっては、まさに寝耳に水の出来事でした。結局、194411月や7日に、二人は処刑されました。それはロシアの革命記念日であり、そして終戦は間近に迫っていました。
ゾルゲと尾崎は、なぜコミンテルンの諜報員となったのでしょうか。もっとも尾崎の場合、共産党員となったこともないし、ゾルゲを通してコミンテルンに協力していただけでした。しかし、国家総動員で戦っている最中に、国家の最高機密を漏らしたわけです。この時代の良心的な人々の中には、心情的に共産主義に共感する人々がたくさんいました。第一次世界大戦の悲惨さ、その後の社会矛盾の拡大の中で、ロシア革命とソ連の共産化は、彼らにとって希望の星と思われたのではないでしょうか。しかし、結局ソ連は、スターリンのもとで醜悪な怪物と化していき、この映画の最後は、ベルリンの壁の崩壊とレーニン像の倒壊の場面で終わります。
この映画は冒頭で、魯迅の次の言葉をあげています。「思うに希望とは、もともとあるものとはいえぬし、ないものともいえない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になる。」そして映画の最後はジョン・レノンの「イマジン」で終わります。「想像してごらん、この世に国家なんか存在しないと、決して難しいことではない、殺戮も死もなくなり、宗教の争いも消えてしまう、想像してくれよ、平和に過ごしている姿を、君はこんな私を夢想家だと思うだろうが……」
 篠田監督が生まれたのは1931年ですので、彼は戦争中に少年時代を過ごし、その後の冷戦とソ連邦の崩壊を目撃している分けですから、彼は決して単純にゾルゲや尾崎を裏切り者とか英雄として扱っている分けではありません。激しく変化する世界の中で、二人のスパイの生き様を捉え直して見たのではないでしょうか。この映画に対する評価はあまり高くなかったようですが、私は面白く観ることができました。

 なお、篠田監督の映画には決まって妻の岩下志保が出演するのですが、この映画でも岩下は、最後に自殺した近衛の妻として出演していました。


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