2016年3月19日土曜日

映画「ムーラン・ルージュ」を観て

2001年にアメリカで制作された映画で、19世紀末におけるパリのムーラン・ルージュでのダンサー・娼婦と青年との恋を描いたミュージカル映画です。19世紀末から第一次世界大戦が始まる1914年頃までの時代は「ベル・エポック(良き時代)」と呼ばれ、一般に享楽的で退廃的な都市文化が花開いた時代でした。その象徴的な存在の一つが、パリのモンマルトルの丘にあるムーラン・ルージュというキャバレーでした。













http://www.air-travel-corp.co.jp/search03.html フランス旅行専門店「空の旅」



モンマルトルの丘は、19世紀までは農村でしたが、19世紀後半にナポレオン3世によりパリの大改造が行われた結果、路地裏の貧民たちは追い出され、モンマルトルなどに移住し、貧民街として発展していきました。そこへ貧しい芸術家たちが集まり、既成の価値観に縛られない新しい気風が形成され、彼らはボヘミアンと呼ばれました。ボヘミアンとは本来チェコ人のことですが、15世紀にボヘミアにいたジプシー(ロマ)たちがフランスにやってきて、放浪者という意味でボヘミアンと呼ばれるようになりました。これはヴィクトル・ユーゴーの「ノートルダムのせむし男」の時代で、これについては、このブログの「映画でユーゴーを観て」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/01/v.html)を参照して下さい。やがて、既成の価値観に反発する人々はボヘミアンと呼ばれるようになり、そういう人たちが集まる場所はボヘミアと呼ばれるようになります。そしてモンマルトルは、パリのボヘミアとなっていきます。

このモンマルトルに、1889年にムーラン・ルージュという高級キャバレーが出現しました。ムーラン・ルージュとは、「赤い風車」という意味で、内部にも外部にも大量の電球をつけて、さながら不夜城のように輝いていました。ここへ来る客は、高級住宅地に住む金持であり、ここで働く女性たちはダンスや歌や簡単な演劇で男性たちをもてなしますが、彼女たちは基本的には娼婦です。要するに、ムーラン・ルージュは、金と力がある男たちが、日陰の女性たちをもてあそぶ場所でした。そして、ここに一人の奇妙な人物が入り浸っていました。画家のロートレックです。

ロートレックは名門貴族の家に生まれましたが、13歳と14歳の時に左右の大腿骨を骨折し、以後両足の発育が止まり、成人しても身長が152センチしかありませんでした。しかも上半身は大人として成長しましたので、かなりバランスの悪い体形となってしまいました。やがて彼は画家になることを目指してパリで修行し、ムーラン・ルージュなどに入り浸るようになります。彼自身が障害者であったため、日陰で生きる女性たちに共感し、彼女たちを愛情に満ちたタッチで描いています。また彼は、ムーラン・ルージュのためにポスターを描き、ポスターを芸術の域にまで高めました。しかし、彼は過度の飲酒のため健康を害し、1901年に36歳で死亡しました。
 映画の舞台は、1899年のムーラン・ルージュです。この時代のパリは、べル・エポック(良き時代)と呼ばれ、華やかな時代であると同時に、世紀末の退廃=デカダンスの時代でもあり、映画は、こうした当時のパリの雰囲気を、ムーラン・ルージュを通して描いています。映画は、ムーラン・ルージュの花形サティーンが、小説家志望の貧乏な青年に恋をし、やがて結核のために死んでいくという話しで、デュマの「椿姫」のストーリーと似ています。要するに、娼婦にも真実の愛があるという話で、ロートレックも映画で二人の恋を愛情を込めて見つめています。
 映画は、最初から最後までダンスと歌で満たされており、あまり私の好みではりませんが、映画を通じて、ベル・エポックと呼ばれた当時のパリの華やかさと退廃を、垣間見ることができました。

0 件のコメント:

コメントを投稿