2016年3月16日水曜日

「匪賊 近代中国の辺境と中央」を読んで

フィル・ビリングズリー著(1988) 山田潤訳 筑摩書房 1994
原題は「バンディット」で、「義賊」というような意味です。中国語の「匪賊」に該当する英語がないため、バンディットが用いられたのだと思います。なお、バンディットについては、このブログの「映画で近世東欧を観て バンディット」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/10/blog-post_10.html)、「「義賊マンドラン」を読んで」(http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2016/03/blog-post_9.html)を参照して下さい。
 「賊」とは、「他人に危害を加えたり、他人の財物を奪ったりする者。国家・社会の秩序を乱す者」で、盗賊、山賊、海賊などです。一方、「義賊」とは「権力者からは犯罪人と目され、無法者とされながらも、大衆から支持される人々」で、ホブズボームはこれを「社会派盗賊」と呼んでいます。では匪賊とは何でしょうか。「匪」とは、「非」と同じで、「……ではない」「悪」といった否定的な意味をもちます。本書によれば、匪賊という言葉が使用されるようになったのは、18世紀半ば以降だそうです。清朝の社会矛盾の増大の中で、各地で賊が反乱を起こし、義賊と呼ばれる集団が多数出現するようになりますが、政権の側からこれを義賊と呼ぶことはできませんので、匪賊という侮蔑的な呼び方をするようになったのだそうです。そして、1920年代から30年代にかけて、匪賊が大量に出現するようになります。この時代には、国民党も共産党も、互いに相手を匪賊と呼んでいたそうですから、この時代は、まさに匪賊の時代でした。そして本書が扱うのは、この時代の匪賊です。
 こうした匪賊は、世界中どこにでもいましたが、地域的には経済的に自立しにくい辺境に、時代的には社会が変動して権力の空白が生まれた時代に出現するようです。彼らは、かならずしも伝説で伝えられるような「正義の味方」「貧乏人の味方」ではありませんでしたし、単なる盗賊集団・殺戮集団でしかない場合もありましたが、地域社会の価値観と結びつき、国家の価値観と対立することが多かったため、民衆の共感を得ることが多かったようです。考えて見れば、中国の王朝交替の動乱期には、必ず多くの匪賊が出現しますし、何よりも「水滸伝」の物語は匪賊の物語です。そして、毛沢東が「水滸伝」の愛読者だったことは皮肉なことです。
 また、中国には歴史上多くの秘密結社が存在し、これが匪賊と混同されがちです。ただし、多くの秘密結社は、政府の調査能力不足のため政府が知らなかったというだけで、秘密でも何でもない結社が多かったとのことです。そして秘密結社は、一定の信条と規律をもっていたのに対し、匪賊はただ生きるために行動したのであり、頭目が死んだり政情が変化すると消滅するものが多かったようです。その意味で、匪賊は秘密結社より結束力も永続性も乏しかったようです。
 本書は400ページを越える大作であり、こうした匪賊の定義に始まり、1920年代から30年代の匪賊の動向を、非常に詳細に論じており、非常に興味深く読むことができました。



0 件のコメント:

コメントを投稿