1937年にアメリカで制作された映画で、19世紀のフランスの自然主義作家エミール・ゾラの半生を描いています。自然主義とは、19世紀後半にゾラが提唱した文学思潮で、実証的な科学的手法を用いて、人間の社会をあるがままに描くことを提唱し、日本の文学にも大きな影響を与えました。
ゾラが生きた時代は、工業化と都市化の急速な進展により、社会矛盾が耐え難いほど増大していた時代でした。映画は、1862年のパリから始まりますが、この時代のフランスはナポレオン3世による第二帝政の時代で、産業が猛烈に発展するとともに、パリ大改造が行われ、貧民は中心部から追い出され、従来のコミュニティは解体され、人々の心は荒んでいました。そんなパリの安アパートの一室で、ゾラと画家のセザンヌが暮らしていました。彼らは、真実を描き、不正を正すのだという信念に燃えていました。そして、1877年に出版された「居酒屋」が大評判となり、これによりゾラは富と名声を手に入れます。一方、セザンヌは故郷の南フランスに帰りますが、映画では、彼はゾラと別れる時、「芸術家は貧乏であるべきだ。お腹が大きくなると、足元が見えなくなる」と言って去って行きました。
1870年から、ゾラは「ルーゴン・マッカール叢書」の執筆を開始します。それはルーゴン・マッカール家とその子孫たちを通して、第二帝政期のあらゆる側面を描き出すものです。19世紀前半にバルザックが「人間喜劇」において、一つのことに執着し、そのことのために身を滅ぼしていく人々を、連作という手法を用いて描きましたが、ゾラもその手法を用い、遺伝と環境により、人々がどのように影響されるかを描き出しました。その叢書の一部として、「居酒屋」「ナナ」「ジェルミナール」などが含まれるわけです。そして、全20作からなるこの叢書の最期の作品が執筆されたのが1893年であり、その翌年の1894年にドレフュス事件が起こります。
フランス革命以来、フランスは何度も政体が変革されました。第一共和政の後、ナポレオンの第一帝政、ブルボン復古王政、七月王政、第二共和政、ナポレオン3世による第二帝政、そして普仏戦争後の1870年に第三共和政が成立します。百年足らずの間に6回も政体が変わり、共和政体はなかなか確立しませんでした。第三共和政でも、軍部や王党派が力を持ち、1886年から89年にかけてブーランジェ事件と呼ばれる、軍部によるクーデタ未遂事件も起きます。そして、1894年に、世に言うドレフュス事件が起きます。
参謀本部でスパイ事件が発生し、軍の上層部は、何の証拠もないままユダヤ人将校ドレフュスを有罪とし、翌年南米のフランス領ギアナ沖にあるデビルズ島(悪魔島・監獄島)に流刑とします。なお、この監獄はナポレオン3世時代に重罪政治犯の流刑地とされ、1973年制作の映画「パピヨン」の舞台ともなりましたが、あまりに非人道的なため、第二次世界大戦後に閉鎖されました。1896年に、軍の情報部が別の犯人をつきとめ、ドレフュスが無罪であることが明らかとなりましたが、軍部も政府も体面を保つため、ドレフュスを有罪のまま押し通しました。当時のフランスでは、反ユダヤ主義と反ドイツ感情が強く、世論はドレフュスを裏切り者として非難していました。ドレフュスの妻や一部の人々がドレフュスを無罪とするための活動を続けていましたが、ほとんど相手にされず、ゾラもこの問題にあまり関心がありませんでした。
映画では、ある時ドレフュス夫人が、万策尽きてゾラに助けを求めてきます。当時ゾラは、富も名声も社会的地位も得て、穏やかに暮らしていましたが、夫人が持参した証拠を見て、不正を暴露して正義を貫こうとしていた若い時代の自分が蘇りました。もしここで、ドレフュスの無罪を主張したら、ゾラは地位も名声も失うことが分かっていましたが、もしここで戦わなければ、フランスの民主主義はますます遠のいてしまうと考え、ドレフュス事件を調べ始めます。そして1898年、ゾラはドレフュス事件に関する大統領宛の公開質問状「私は弾劾する」を新聞に掲載します。ゾラ、58歳の時でした。政府はゾラを名誉棄損で訴えますが、それこそゾラの望むところでした。裁判を通じて、ドレフュス事件を再び取り上げることができるからです。
映画での裁判の場面は、なかなか迫力がありました。今や裁判は、軍や政府の横暴を暴き、フランスの民主主義を守れるか否かという問題となっていました。裁判では、予想通りゾラは有罪となり、禁固刑を言い渡されますが、ゾラはイギリスに亡命し、イギリスから世界中に向けて軍や政府の横暴を訴え続けます。その結果、世論はしだいにゾラを支持するようになり、1899年に政府はドレフュスを釈放し、ゾラも帰国します。この事件は、フランス革命以来なかなか安定しなかった共和政体が、ようやくフランスに定着するきっかけとなった事件で、フランスは二度と王政や帝政に戻ることはありませんでした。またオーストリアのユダヤ人ヘルツルは、新聞記者としてドレフュス事件を取材している過程で、ユダヤ人に対する偏見の大きさを知り、ユダヤ人国家の建設を目指すシオニズム運動をおこし、これが今日のイスラエル国に結びついている分けです。
ゾラは、1902年パリの自宅で一酸化炭素中毒により死亡します。62歳でした。暗殺説もありますが、真偽は不明です。いずれにしても、ゾラは信念に生きた作家であり、世界中に大きな影響を与えた作家でした。映画も、大変感動的でした。同じころ、セザンヌもようやく人々に認められるようになり、印象派から20世紀の絵画への扉を開きつつありました。
居酒屋
1956年にフランスで制作された映画で、ゾラの同名の小説を映画化したものです。「居酒屋」は1934年にも映画化されており、その他にもゾラの作品は、「ナナ」をはじめ多数の作品が映画化されています。
主人公のジェルヴェーズは、若くて美しく、また働き者で、洗濯女として働いていました。彼女はランチエという男性と同棲しており、すでに子供が二人いましたが、ある時ランチエは貯めた金をもって消えてしまいました。彼女は一生懸命働いて子供を育て、やがて屋根職人のクーポーと結婚し、彼との間にナナという女の子がうまれます。ところが、クーポーが屋根から落ちて大怪我をし、直った後も仕事をせず、居酒屋に入り浸って酒に溺れます。この間、ジェルヴェーズは、貯めたお金で念願の店をもって洗濯屋を始めますが、なぜかランチエが戻ってきて、ジェルヴェーズの家に同居し、二人の酒飲みを抱えて、店はしだいに傾き、結局悪意ある友人に店を乗っ取られてしまいます。そしてジェルヴェーズも居酒屋に入りびたり、そのまわりを、乞食のように薄汚れたナナが走り回っています。
不幸を絵に描いたような救いのない話です。歳をとると気が弱くなるのか、こうした救いのない映画を観ると、気が滅入ってしまいます。この小説が発表された当時、中流階級の人々からは、貧乏人を誇張しすぎている、という批判が強かったのですが、ゾラ自身がパリの下町に長く住み、一時はほとんどどん底に近い生活をしていましたので、貧しい人々の暮らしをよく知っていたと思います。当時のパリは、貧富の差が激しく、惨めな人々はさらに惨めになっていきました。ゾラが描いたのは、そうしたパリの現実だったのだと思います。
やがて、ジェルヴェーズの娘ナナは、たくましく育ち、高級娼婦となります。当時のパリには成り上がりの金満家が多数出現し、そうした金満家に高級娼婦が群がりました。1879年に発表された「ナナ」は、ジェルヴェーズの娘の物語ですが、私は原作を読んでいないし、映画も観ていません。「ナナ」は過去に何度も映画化されたようです。ナナは、高級娼婦として男たちを魅了し、多くの男達を破滅させていきますが、突如失踪し、伝説の人となる、という話です。実はナナは天然痘にかかり、醜い姿になって、人知れずパリの底辺で死んで行きます。この話も、救いのない話ですが、実在した娼婦の話を基に、この小説を書きましたので、これもまた、当時のパリの現実を描いていたと言えるでしょう。
デュマ(小デュマ)の小説「椿姫」も、19世紀半ばのパリの高級娼婦を描いたもので、1936年にアメリカで映画化されました。高級娼婦として贅沢三昧の生活をしていたマルグリッドは、普段は白い椿をつけ、生理の5日間だけ赤い椿をつけていたため、椿姫と呼ばれました。そんな彼女が、純真な青年の一途な愛に動揺し、享楽に溺れる生活を捨てて、彼の愛を受け入れようとしますが、結局病気のために死んでいく、という物語です。なお、小デュマの父である大デュマは、「モンテ・クリストフ伯(岩窟王)」などで日本でもよく知られる作家です。
ジェルミナール
1993年にフランスに制作された映画で、ゾラの代表作である同名の小説を映画化したものです。この映画は、160分に及ぶ大作で、製作費も半端ではなく、庶民を扱った映画としては異例の規模です。タイトルの「ジェルミナール」は、フランス革命暦の第7月に当たる芽月を意味し、季節としては春で、「すべてのものみな芽吹くとき」という意味です。
この小説は、1885年に出版され、この頃からゾラは社会主義に傾斜していきます。舞台は1880年代の北フランスの鉱山で、主人公は「居酒屋」のジェルヴェーズの息子エティエンヌ・ランチエです。ランチエは、ジェルヴェーズが最初に同棲していた男の息子で、父親に反発して家を出て行きました。彼はパリで鍛冶屋の見習いをしており、その後機械工となったようですが、不況のため解雇され、この地方に流れてきたようです。彼は無口ですが、どうやら労働運動を行っていたようです。また彼は、酒を飲むと短気になる性格を、親から遺伝的に受け継いでいたようです。
映画では、炭鉱労働の現場が詳しく描き出されます。子供は8歳になると炭鉱で働き、女性も働きます。家族中で働いても、食べていくのがやっとという状態です。映画ではさまざまな人々が登場し、炭鉱で働く人々の日常生活が描き出されます。毎日、食べ物の工面に必死です。一方、経営者の一族は、毎日贅沢三昧で、労働者の生活にはまったく関心がありません。労働者の生活と経営者一族の生活が対照的に描き出され、当時の社会の不条理が描き出されます。
そうした中で、経営者は賃金の引き下げを通告してきました。これに対して労働者たちは、ついにストライキを決意し、ランチエが指導者となります。しかし経営者は、憲兵隊を投入して弾圧するとともに、ベルギーから労働者を連れてきたため、ストライキは長引き、これ以上ストライキを続けることが困難となり、労働者たちはしだいに炭鉱に戻って行きます。この間に落盤事故があって多くの労働者が死亡しました。結局ストライキは失敗に終わり、ランチエは炭鉱を去り、映画は終わります。
この映画も、「居酒屋」や「ナナ」同様に、救いのない物語ですが、最後に次のように述べられます。「空には四月の太陽が誇らしく輝き、大地を温めている。あちこちで種が根を張り芽を吹いて、光と熱を求めて伸びる。樹液が満ち新芽が広がる音は、まるで大きな口づけのように響く。私の耳にはっきりと、仲間の打ち続ける音が聞こえてくる。光あふれるこの若々しい朝に、野原にざわめく。人々は芽生え、復讐を求める軍団は密かに成長し、未来に向け動き始めた。この芽生えの力で大地は張り裂けるだろう。」ゾラは、労働者の団結と社会主義に希望を見出しているように思います。