1968年にイギリスで制作された映画で、19世紀半ばのクリミア戦争を題材としています。1960年代に制作された戦争映画は、ヴィクトリア女王百週年を記念して、イギリス軍の勇敢な戦いを描いた映画がおおいのですが(「映画でアフリカ史を観て(2) 」http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/04/2.html「映画でアフリカ史を観て (3)」http://sekaisi-syoyou.blogspot.jp/2015/04/3.html)、 を参照して下さい)、この映画はイギリス軍の無能ぶりを怒りを込めて描いています。
19世紀のヨーロッパは、ヨーロッパの歴史上稀に見る平和な時代だったと言われています。中世末の百年戦争以来、ヨーロッパは戦争の連続でしたが、1815年のワーテルローの戦い以降、確かにインドや中国での植民地戦争はありましたが、ヨーロッパの大国同士が戦うような大きな戦争はありませんでした。そして1853年から1856年のクリミア戦争は、イギリス・フランス・トルコが同盟し、ロシアと戦った戦いです。そこに至るには様々な背景がありますが、要するにロシアがトルコ領のバルカン半島への進出を企て、それを阻止するためにトルコを援助した分けです。
映画は、ワーテルローの戦い以来実戦経験のない年老いた高級将校たちが、パーティーやゴシップに明け暮れ、下士官たちには残酷な扱いをしていました。そこへ、インドで戦ってきたノーラン大尉が帰国しますが、当時は「インド帰り」というのは蛮地の垢に染まった者として軽蔑される傾向にあり、さらに彼は直情型だったため、しばしば将軍たちと対立します。そんな時に、クリミア戦争が勃発します。映画では、しばしばアニメを用いて国際情勢の解説をしますが、このアニメが大変面白く、アニメだけ切り取って編集してみたいくらいです。
戦争では、無能な将軍たちによる無謀な作戦により、ノーランが所属する騎兵隊は全滅し、ノーランも戦死、そして将軍たちが責任の擦り合いをしている場面で終わります。これは戦争というより、ほとんど虐殺でした。従来、この戦闘はイギリス騎兵隊の英雄的戦いとして描かれてきましたが、この映画では虚しい戦いとして描かれています。その後、イギリス・フランス・トルコの連合軍は、ロシア黒海艦隊の基地セヴァストポリを包囲しますが、膠着状態に陥って2年間がたちます。そして突破口を開いたのは連合軍ではなくサルデーニャ王国軍でした。サルデーニャ王国はクリミア戦争に直接関係がありませんでしたが、ここでフランス・イギリスの歓心を得て、イタリア統一に向けて有利な国際関係を築きたかったからです。15000のサルデーニャ兵は、この戦いにイタリア統一の命運がかかっていると信じ、決死の突入を行ってセヴァストポリを陥落させます。
結局、この戦いには勝者も敗者もありませんでした。ロシアは多少の譲歩をしますが、セヴァストポリは返還され、南下への野心を持ち続け、やがて第一次世界大戦の火種となっていきます。なおクリミア半島は、第二次世界大戦後に行政上ソ連邦内のウクライナに移管されますが、1991年にソ連邦が崩壊してウクライナが独立したため、ロシアはセヴァストポリ軍港をウクライナから租借することになりました。ところが、2014年にウクライナで親欧米政権が成立したことをきっかけに、ロシアはクリミア半島を事実上併合してしまいます。セヴァストポリはロシアの軍港であると同時に、多くの血を流してきた港ですから、ロシアの心情は理解できます。まして、セヴァストポリにアメリカの艦船が入るとしたら、許しがたいことでしょう。しかし、それを言うなら南シナ海は、15世紀における鄭和の南海遠征以来、中国の海であり、中国が領有権を主張できることになります。現在の国際体制や国際法が、欧米に有利なように作られたものであったとしても、やはり今日では国際法に従うしかないのだと思います。
イギリスは、とりあえずロシアの南下を阻止しましたが、1856年には中国でアロー戦争が起き、1857年にはインドでシパーヒーの乱が起き、多事多難でした。オスマン帝国は、英仏への従属を強め、没落への道を歩んでいきます。フランスは、ナポレオン戦争後国際舞台では低迷していましたが、この戦争後急速に拡大政策を促進することになります。一方、この戦いの過程で、イギリス・フランスはロシアを牽制するため、バルト海でも戦っており、さらに極東でカムチャッカ半島も砲撃していますので、クリミア戦争は地球的規模で戦われていたのです。そしてこの戦争が始まった1853年にペルーが日本に来航し、日本は開国を余儀なくされます。イギリスやフランスは、クリミア戦争に忙しく、日本に関わっている暇がありませんでした。色々な意味で、クリミア戦争はその後の世界の歴史に大きな影響を与えていたのです。
ところで、この頃から戦争における死者の数が非常に増大するようになりました。その原因は、兵器の発達ということもありますが、同時には鉄道の普及があります。鉄道により、大量の兵士や武器を戦場に送ることが可能になったからです。クリミア戦争では、きわめて多くの負傷者が出たため、ナイチンゲールは従軍看護婦として戦地に向かいます。病院では、軍隊特有の縦割りの命令系統に苦労しますが、何よりも問題だったのは衛生管理でした。なにしろ、病院では負傷による死者よりも、病院内での感染症による死者の方が多かったのです。
話は逸れますが、以前に「女たちの大英帝国」(井野瀬久美恵著、1989年、講談社現代新書)という本を読みました。それによれば、19世紀半ばのイギリスではヴィクトリア女王を模範とする家族道徳、つまり家庭の天子となることが女性に求められていましたが、現実には、男たちが次々と海外に出て行ったため、「女性余り」現象が生れており、結婚できない女性が増えてきたということです。その結果、女性たち自身が積極的に社会に関わったり、海外に出かけていくようになったということです。ナイチンゲールが海外で活躍した背景には、そうした事情もあったようです。そうした事情はともかく、この時代に勇気ある女性たちが、海外で大きな役割を果たしたことは、まぎれもない事実です。
さらに話が逸れますが、1859年にサルデーニャ王国がイタリア統一戦争を開始しますが、ここでも多くの死者がでました。スイスのデュナンという人物が、たまたま戦場を通りかかり、その悲惨さに3日間寝食を忘れて、負傷者の救助に没頭します。彼は、戦場での負傷者たちの中には、すぐ手当をすれば助かる人々が沢山いるのに、そのまま放置されて苦しみながら死んでいくことは許されない、と考えました。そこで、彼は敵味方に関係なく、負傷者を救助するための国際的な組織と取決めが必要であることを訴え、やがて国際赤十字社が設立されます。ただ、ナイチンゲールは、もともと財政基盤のしっかりした組織の必要性を主張していましたので、このようなボランティア的な運動には批判的だったようで、彼女は赤十字社の設立には関わりませんでした。
スイスの国旗
赤十字
赤新月
ところで、赤十字社の標章を知らない人はいないと思いますが、「赤十字」はデュナンの祖国スイスの国旗の色を逆にしたものです。スイスの国旗の由来については、はっきりしませんが、「戦場の血と神」を意味するとか、「文明の十字路」を意味するとか、色々な意見があります。問題は、赤十字社を全世界に広めていく際に、特にイスラーム世界で十字の旗を掲げることに抵抗がありました。そこで、イスラーム世界ではイスラーム教のシンボルである「赤新月」の標章が認められました。実は、その他にも赤十字社の標章には何種類もあり、赤十字社が全世界に広がるには、多くの苦労があった分けです。
話が完全に映画から外れてしまいましたが、それ程クリミア戦争は後の時代に大きな影響を残したということです。この映画は、興業的にはあまり成功しませんでしたが、私は色々な意味で興味深く観ることができました。なお、騎兵隊の戦闘場面では、あまりに多くの馬が怪我をしたため、以後こうした場面を撮ることが難しくなったそうです。
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