2016年1月1日金曜日

映画でV.ユーゴーを観て

ヴィクトル・ユーゴーについて

 ヴィクトル・ユーゴーは、19世紀に活躍したフランス・ロマン主義の代表的な作家で、すでに二十歳頃から名声が高まっていました。18世紀ヨーロッパの文芸思潮は古典主義と呼ばれ、古典古代を模範として理性や調和と均衡を重んじ、理性を重視する啓蒙主義が普及しました。ところが、こうした理性重視の風潮が生み出したのは、フランス革命とナポレオン戦争という大混乱でした。その結果、19世紀になると、理性より感受性や主観を、普遍的な国家より国民国家を、古代よりは中世を重視するようになります。ヴィクトル・ユーゴーの小説は、教条主義によって抑圧されてきた個人の独自性を描き出しています。ここで紹介する二本の映画「ノートルダムのせむし男」と「レ・ミゼラブル」には過去に何度も映画化され、日本でも大変よく知られているものです。

 なお、ロマン主義の人々は、教条主義に対する個人の解放だけでなく、専制支配に対する人間性の解放を目指しますので、しばしば政治に関わることがありました。ヴィクトル・ユーゴーも政治と深く関わり、七月王政時代のルイ・フィリップ国王から貴族院議員に任命され、第二共和政時代にも保守派の議員として活躍し、1848年の大統領選挙ではルイ・ナポレオンを強く支持します。しかし、ルイ・ナポレオンが独裁を強めていくと、ユーゴーは激しく彼を非難し、その後19年間に及ぶ亡命生活を余儀なくされます。1870年の普仏戦争でナポレオン3世が失脚すると、ユーゴーは帰国を決意し、英雄としてフランス国民に迎えられます。彼は、その後も執筆活動を続け、1885年に死亡します。83歳でした。


ノートルダムのせむし男

1939年にアメリカで制作された映画で、1831年に出版されたヴィクトル・ユーゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ(パリのノートルダム)」を映画化したものです。
 まず、映画のタイトルについて、一言述べておきたいと思います。「ノートルダム」というのは、フランス語で「われらが貴婦人」、つまり聖母マリアのことを指しており、したがってノートルダムの名を冠した教会は世界中にあり、日本にもノートルダムを冠した大学が幾つかあります。そして、この映画ではパリのノートルダム大聖堂のことを指しています。ノートルダム大聖堂は、12世紀半ばから13世紀半ばにかけて、ほぼ1世紀かけて建設されました。高さ32.5メートル、9000人を収容できる広さがあり、この映画の舞台となった鐘楼には9つの鐘があります。そして主人公のカジモドは、この鐘楼守です。
 次に「せむし」ですが、これは「くる病」のことで、ビタミンD欠乏症による骨の石灰化障害です。主人公のカジモドは先天性のくる病のようで、彼はそのあまりの醜さの故に、生後まもなくノートルダム大聖堂の前に捨てられ、大聖堂で育てられ、そこの鐘楼守となりました。そして、当時26歳でした。ただし、「せむし」という言葉は、今日では差別用語となっています。この映画のタイトルが「せむし男」になっているため、日本語版ではそのまま訳したのだとおもいますが、原作のタイトルには「せむし」は用いられていません。
この映画のヒロインであるエスメラダは、ジプシーです。ジプシーは、今日差別用語として使用されませんが、北インドからヨーロッパに入ったジプシーはロマと呼ばれ、ここではロマという言葉を使います。ロマの出身ははっきりしませんが、北インドで歌舞音曲を生業とする下層カーストの集団と考えられています。いわば彼らは旅芸人で、11世紀頃から長い年月の間に少しずつ西へ移動し、その過程で地元の習慣や芸を取り入れ、独自の文化を形成していったようです。彼らは、15世紀初めにヨーロッパに出現し、しだいにヨーロッパの人々から、差別と偏見を受けるようになります。しかだって、この小説は、「せむし」と「ジプシー」とい、社会から排除された人々に光を当てている分けです。
ドラマの舞台となった時代は1482年のパリで、ヴァロワ朝のルイ11世の時代です。ルイ11世は、百年戦争を終結させたシャルル7世の子で、なかなか個性的な君主でした。彼は、権謀術数の限りを尽くして貴族勢力の弱体化に努め、また社会や経済の安定化に努めると同時に、知的好奇心も旺盛で、印刷術の普及に力を貸したり、珍しい動物を集めたり、さらに占星術に取りつかれるなど、変な君主でした。このルイ11世が、しばしば映画に登場します。印刷術に興味を示す場面があり、さらにロマの入国を認めたり、ヒロインのエスメラダの釈放を認めたりします。彼は、翌1483年に死にますので、映画に登場するのは、彼の晩年の姿です。
ドラマは、ノートルダムの醜い鐘つきカジモドが、美しいロマの娘エスメラダに恋をするという話です。エスメラダには別に好きな男性がいましたが、エスメラダに横恋慕する貴族がその男性を殺し、その罪をエスメラダになすり付けます。結局、エスメラダは裁判で処刑されることに決まりますが、ここから小説と映画とで内容が異なります。小説では、エスメラダは処刑され、何年か後に処刑台の近くの土の中から、若い女性と背骨が異様に曲がった男性が抱き合って、白骨化した死体が発見されました。あまりに悲惨な結末ですが、カジモドにとっては幸福な死だったのかも知れません。映画では、カジモドがエスメラダを救出し、エスメラダは好きな男性と抱き合って喜び、カジモドは「いっそ石になりたい」と言って、終わります。ほかの映画でも同じようなハッピー・エンドとなっているようですが、カジモドにとっては、こちらの方が不幸だったかもしれません。
 映画では、ノートルダム大聖堂を中心に、乞食や盗人の集団、大道芸人など、パリの最下層に生きる人々が描き出され、大変興味深く観ることができました。

レ・ミゼラブル

1998年にアメリカで制作された映画で、1862年に出版されたヴィクトル・ユーゴーの同名の小説を映画化したものです。この小説については、数えきれない程の映画化・舞台化・派生作品があり、日本でも、すでに明治時代に「ああ無情」というタイトルで完訳されています。「レ・ミゼラブル」というのは、「哀れな人々」といった意味で、日本の児童用のアニメなどでは、主人公の名前をとって「ジャン・バルジャン物語」としている場合もあります。
ヴスクトル・ユーゴーは、1840年代になると文芸思潮がロマン主義から写実主義へ移行していったこともあって、10年以上ほとんど執筆していませんでしたが、亡命中の1862年に本書が出版されました。出版当日には本屋に長蛇の列ができ、労働者はお金を出し合って購入し、回し読みしたといわれます。本書はかなりの長編で、折に触れて当時の歴史が語られるとともに、多くの人々の人生が語られ、それらの人生がジャン・バルジャンの人生と深く関わって行きます。
まず、ジャン・バルジャンの一生を年代順に追ってみたいと思います。彼は、1769年に南フランスの貧しい農家に生まれ、1789年にフランス革命が起きますが、彼の生活は何も変わりませんでした。1795年、彼が25歳の時に、空腹のため1本のパンを盗んで逮捕され、懲役5年の刑を言い渡されますが、4回脱走を企て、その度に刑期を延長されて、結局19年間重労働を強制される徒刑囚として過ごすことになり、そこで人間としての誇りを徹底的に踏みにじられます。この間にナポレオンが権力を握りますが、彼には何の関係もありませんでした。そして1815年、彼が46歳の時、ようやく釈放されます。この年、ナポレオンが最終的に失脚し、ブルボン朝が復活します。
ドラマはここから始まります。釈放されても生活の糧もなく、ただ怒りと不安のみが彼を支配していました。まさに彼は「哀れな人」でした。たまたま通りかかった司教館で、彼はミリエル司教に手厚くもてなされ、久々に人間らしい生活に戻りますが、その夜彼は銀のスプーンを盗んで逃げだしました。翌日彼は逮捕されて司教館に連行されますが、司教は自分がスプーンを与えたのだと主張し、燭台も与えたのになぜ持って行かなかったのだと言って、彼に燭台も与えます。これは非常に有名な話で、児童書などでも取り上げられているものです。そしてこの時から、彼の人生が変わります。
1819年、彼は北フランスのある町でマドレーヌと名乗って工場を経営し、人望があったことから、国王ルイ18世により市長に任命されました。1823年、ジャン・バルジャンの運命は、再び大きく転換します。かつてジャン・バルジャンがいた刑務所の看守ジャベールが、この町の警察署長として赴任してきたのです。囚人は釈放の1年後に警察に報告しなければなりませんが、ジャン・バルジャンはそれをしなかったため、脱獄囚扱いとなっていました。彼は町を出る決意をしますが、その前に2つのことを行う必要がありました。一つは、病に倒れた不幸な女性の死を看取り、里親に預けたコゼットという少女を引き取ることです。もう一つは、別の町で全くの別人がジャン・バルジャンとして逮捕され、裁判にかけられようとしていたため、この囚人の無実を証明するため、自分が名乗り出る必要がありました。この2つの問題を処理した後、ジャン・バルジャンはコゼットとともにパリに移ります。
 パリで、二人は父娘として穏やかに暮らし、そして10年の歳月が流れます。しかしパリに赴任していたジャベールが、1832年にジャン・バルジャンを追い詰めて逮捕しようとします。しかし、今までのジャン・バルジャンの行動を見てきたジャベールには、ジャン・バルジャンを逮捕することができませんでした。ジャベールは両親が刑務所の囚人であったため、刑務所で生まれ、成人後は看守となり、刑務所の外のことを何も知りませんでした。彼にとっては、法が絶対であり、法を守ることが自分の義務だと信じてきました。しかし、ジャン・バルジャンを見逃すということは、自ら法に背くことであり、彼はそのような自分を許せず、自らを罰するために自殺します。彼もまた「哀れな人」でした。
 小説では、さまざまな人間模様が描き出され、様々な「哀れな人々」が登場しますが、映画では、ジャン・バルジャンとジャベールの物語を中心に語られます。それでも、映画は充分ダイナミックであり、感動的でした。


0 件のコメント:

コメントを投稿